第36話
依頼初日。
二人は依頼主の農家から借り受けた柄の付いた大きな捕獲網を持って、当面の仕事場となる畑の中へと入っていった。
畑は広大で幾つもの畝が続く背の低いワイン用のブドウ畑だった。
農家の話ではバミーラビットはブドウの実だけでなく樹皮や木の根まで食い荒らし、木そのものを枯らしてしまうらしかった。
そして辺りを見渡すと不思議な事に気付く。
「なによ、バミーラビットなんてどこにも居ないじゃない」
エリッサが思わずぼやく。
確かに畑のどこを探しても土ウサギの姿は見えない。
だが暫く観察しているとある事に気付く。
畑の外に小高い丘があり、その丘が動物が出入り出来るほどの小さな穴ぼこだらけになっていた。
その丘の所々に開けられた穴から時折、生き物が顔を覗かせた。
数は見えているだけで二十匹。
そして穴から遠巻きに二人の様子を窺っていた。
「バミーラビット!」
二人が同時に叫んだ。間違いなく穴から出て来たのは目当てのバミーラビットだった。
だが二人の声が聞こえた途端、茶色い体毛をした生物たちは一斉に丘を全速力で下りブドウ畑の中へと侵入してきた。
「逃がさないわよ!」
「逃がしませんわよ!」
ついに新米冒険者によるウサギ狩りが開始された。
二人は懸命に畑の中を走り回った。
依頼遂行の為、何としても標的を捕獲せねばならないと意気込む。
全ては輝かしい冒険者稼業の第一歩の為に。
そして土ウサギを見つけては柄の先の網を振るいながら丸い尻尾の後を追いかける。
だが始まって早々、二人だけの即席パーティはこの害獣駆除の困難さに愕然とした。
どれほど懸命に走っても、バミーラビットに追い付く事が出来ないのだ。
相手は恐ろしくすばしっこい。畑の中を猛スピードで縦断し、跳ねまわりながら方向転換をしてくる。お陰でこちらが全速力で追い駆けても、追い付くどころか距離を詰める事すら儘ならない。
だが何も土ウサギの身体能力だけが優れている訳ではない。
追い回す二人の体力も追撃には適当だとは言い難かった。
冒険者と言っても、二人ともこの前まで大きな街の神学校と高名な精霊師の私塾の下で暮らしていた都会っ子だった。
土いじりも知らなければ虫すら触った事もない。
その為、農作物が植えられた土の上を走り回るのは最初から石畳の上を歩く普段とはまるで勝手が違っていた。
そんな二人は捕獲網を手に依頼主の畑の中をドタバタと走り回る。
そして足が縺れてひとりで転んだり、時には仲間との接触もあった。
「あ痛ぁ!……」
畑の中で互いの頭がぶつかり合う。
「ちょっと、痛いじゃない! どこに目を付けてるのよ!」
獲物を逃した上に、スフィーリアとぶつかったエリッサが大声で相手を罵倒する。
だがそれを耳にしたスフィーリアも思わず言い返た。
「あなたが急に前に出て来たのが悪いのですわ! 邪魔しないで下さいまし!」
「なんですって!」
「何ですの? 文句、ありますの!」
頭の痛みを擦りながら尚も二人は罵り合う。
作業を初めてからずっと、こんな調子で二人は口喧嘩を繰り返していた。
そして獲物を一匹も捕まえられないまま時間だけが過ぎていく。
その間、ブドウ畑の中はバミーラビット達の天下だった。
二人が他の仲間を追い掛けている間に他の土ウサギが実を食みブドウの木の皮にかじり付く。
「止めなさい!」
勢い余ってエリッサが網の柄でウサギに殴りかかる。
だがウサギはスルリと柄の先から逃れると、今度はエリッサの背後に回って勢いよく飛び掛かった。
お尻に体当たりを浴びた瞬間、エリッサの体が大きく弾き飛ばされる。
「きゃあ!」
哀れ、エリッサの体は前のめりに土の上に転がされてしまった。
「あ痛たた……」
それを眺めていた他の土ウサギがケケケケと奇妙な鳴き声を上げる。
まるで邪悪な悪鬼の放つ笑い声の様だ。
「あったま来た! 魔法で吹っ飛ばしてやるわ!」
怒りが頂点に達したエリッサが攻撃魔法の詠唱を始めた。
明らかに土ウサギ達はこちらを舐めている。
よくよく考えれば最初からそうだった。
本来、臆病なはずのウサギ達がこちらを見つけた途端、集団で畑に攻め込んできた。
それどころか平気でこちらに体当たり攻撃まで仕掛けて来る。
相手はこちらが何も出来ない事を最初から知ってるのだ。
だが舐められるのもこれで終わりだ。
「覚悟しなさい、畜生共め! フレイム……」
遂に冒険者稼業初日に火炎魔法が放たれようとした。
だがそれをスフィーリアが必死に止める。
「お止めなさい! 植えてあるブドウの木まで壊すつもりですの! それにここでの魔法は禁止されていますわ!」
「ぐぬぬぬ……」
スフィーリアの声が届いたのかエリッサは寸前で魔法攻撃を止める。
そして再び土ウサギのあの憎たらしいケケケケの鳴き声だけが響いた。
結局、記念すべき冒険者稼業の第一日は何の成果もなく終了した。
捕獲網の中には一匹のバミーラビットも納められてはいない。
なのに険悪だった最初のムードもそのままだった。
「何ですの! あなたが邪魔したせいで一匹も捕まえれれませんでしたわ!」
「それはこっちの台詞よ! アンタのせいで今日一日、台無しじゃない!」
日が暮れても二人の口喧嘩が収まる事はなく、帰路の最中も相手に当たり散らし続けていた。
そして街に戻るとお互い無言のままぷいと背中を向け合うと、後は各々が別々の方向を歩き出して別れた。
当然、夕食も宿泊する宿屋も違っていた。
それどころかその時の二人は自己紹介すら済ませて居らず、互いの名前どころか、相手が何者かもほとんど知らないままでいた。
そんな依頼はまだ二日も残っていた。




