第30話
祈りの時間が終わるとスフィーリアはマグナを教会の中庭へと連れ出した。
中庭には薬草を栽培する小さな温室と手入れの行き届いた縦長に広い花壇があり、その中で色とりどりの草花が列を為して咲き誇っていた。
花壇の美しさは僧侶達と村人の有志の賜物だった。
特に村人達は足しげく教会に通い、長い年月を掛けて中庭の花壇を立派な物に育て上げていた。
彼等の花に対する情熱は神への信仰と教会への孝恩に比例し、それが当たり前のように親から子に受け継がれ今に至っている。
故にこの満開の花盛りは、このワリカット教会が村中から愛され頼りにされている証でもあった。
二人は春の花で溢れ返る花壇の前で屈んだ。
先日の戦いでもここは戦禍を逃れていた。
「マグナ、これが花ですわ」
スフィーリアが花壇の中のひとつに手を沿えながらマグナに教えた。
「これが……はな」
マグナが真剣な表情でスフィーリアの言葉を繰り返す。
「そう、花ですわ。花は草の体のひとつですわ」
「くさ?」
「そうですわ。これもこれも全部が草の仲間ですわ」
「なかま……」
「そう、仲間ですわ」
スフィーリアは花壇の前で手を広げる。
そんな彼女の言い回しは簡潔で短くゆっくりした物だった。
そうやって言葉を理解させ、世界の仕組みを教え込ませる。
それはスフィーリアが自分で考えた指導方法だった。
「花は草だけでなく木にも出来ますわ」
「はなは……きにもできる……きもなかま?」
「そう、その通りですわ。草と木は仲間ですわ」
スフィーリアはマグナの勘の良さに感心する。
彼は花という言葉を使って草と木を結びつけたのだ。
マグナは思った以上に呑み込みが良い。
これならば多少難しい会話でも付いて行けるのではないか?
「草や木は土や水や日の光の力を借りて大きくなるのですわ」
「つち……みず……ひのひかり……ちから? かりて。かりて?」
だが難解な言葉の連続にマグナが困った顔をする。
「これはまだ難しかったみたいですわね」
彼の顔を見てスフィーリアは苦笑した。
司祭の指示通り、訓練はハリカ先生の指導の下、スフィーリアが補佐をするという形を取った。
しかしハリカ先生はこの村で唯一の学校の教員であり、昼間は生徒達の指導に当たる必要があった。
しかも先生は既婚者であり学校を離れれば二児の母に変わる。
残念ながらマグナ一人の為に充分な時間が取れる訳ではない。
当初はマグナの学校で学ばせようかという話もあったが、生徒の主だった年齢層は12歳児以下がほとんどで、その中に成人の外見を持つマグナを編入させるのはマグナと子供達の双方にどんな影響を及ぼすか司祭も先生も計りかねていた。
よって昼間の指導のほとんどをスフィーリアが受け持つ事になった。
その決定はスフィーリアにとって歓迎すべきことだった。
彼を自分が善き道に導くのだ。
ブルザイの使徒としての使命感にスフィーリアの心は燃え上がる。
「お任せください! きっとマグナを立派に立ち直らせてみせますわ!」
スフィーリアは皆の前でそう宣言した。
だがスフィーリアにも僧医と冒険者の仕事がある。
それに彼女は正規の教育者では無い。
やはりスフィーリア一人に任せるには荷が重いのではないか。
かといってマグナ一人の為に別の教員を雇う余裕は今の教会には無い。
そう考えた司祭はある外部の人物に助っ人を頼んでおいた。
「ハァ~イ、マグナ」
颯爽と、その助っ人が中庭に姿を現した。
そして気軽にマグナに声を掛ける。
「私の事、覚えていてくれてる?」
「エリッサ……」
「ピンポーン! 大正解!」
マグナが名前を言い当てると助っ人が顔を綻ばせた。
助っ人の教育係とはエリッサの事だった。
「エリッサ……お、おはよう……」
「すご~い! 感激! もう挨拶まで覚えたのね!」
エリッサがワザとらしく喜びを露わにした。
マグナもエリッサの顔を見た途端、子供の様に微笑む。
「それはそうでしょう。挨拶は基本ですから、最初に教えましたわ」
反面、傍にいたスフィーリアは面白くなさそうな顔をした。
「基本のキか……。相変わらず堅いわね」
「そんな事より、本当に来ましたのね……」
「そりゃそうよ。他でもない司祭様からのご依頼ですもの」
「依頼料は?」
「勿論、無償よ」
「気前のよろしい事」
「こう見えても敬虔なブルザイ信徒ですのよ、私。それに彼には個人的にとても興味がそそられるもの」
「興味?」
「知的好奇心て奴かしら。あなたはそうではないの、スフィーリア?」
そうエリッサが答えると、今度はスフィーリアの顔色を伺いながらニヤニヤする。
しかしそんな親友の態度をスフィーリアは無視した。
「まあ理由はどうあれ、くれぐれもマグナの教育の足を引っ張るのだけは止めて下さい。まだ彼は赤ちゃんと変わりないのですから下手に悪い事を教えてトラウマでも付けたら大変ですわ」
「判ってるわよ。そんなハリカ先生と同じ事、言わなくても……」
「それとパーティの方はどうしましたの? あなたまでこちらに来ては立ち行かないのでは?」
「パーティは当分休業ね。だから二人には好きな様に個人活動をしてもらう事にしたわ。ロウディは嫌そうな顔してたけど」
「そんな吞気な事言って……。二人とも優秀ですから他のパーティに引き抜かれても知りませんわよ」
「その時はその時。去る者は追わず。愛想尽かされたらハイそれまでよ」
「相変わらず、いい加減ですこと……」
「それより、あなたこそ大丈夫なの? さっき離れてた所から見てたけど、日の光がどうのとか小難しい事、言っちゃってさ。赤ちゃんに光の加護でも教えるつもり?」
「そんな事しませんわ! 私はただ生き物のなりたちを……」
「やっぱり。頭、カチンカチンね。司祭様が私に助っ人を頼む訳だわ」
呆れたエリッサが溜息を吐いた。
だがそんな彼女の言葉にスフィーリアはムッとする。
「エリッサ! そんな言い方されては、流石に怒りますわよ!」
「なら見てなさい。教育のお手本を見せて上げるわ」
そう言うとエリッサはマグナの横に座って目の前の花に手を翳した。




