第29話
次の日から早速、マグナ・グライプの社会復帰の為の訓練が始まった。
春のうららかな日差しの中、掃夫小屋で待っていたマグナの前にスフィーリアが一人で現れた。
「さあ、参りましょう」
スフィーリアがまず最初に連れて行ったのは教会の礼拝堂だった。
礼拝堂はブロタウロの襲来の際、手酷くやられ、正面の壁と扉が破壊されていた。
特に壁には大きな穴が空き、修理が必要だった。
しかし街の復旧作業は砦や冒険者街の方が優先され、教会の中は手付かずのままだった。
そして襲撃直後は軽傷者の救護施設になって居たが、今は一人の負傷者も居ない本来の礼拝堂に戻っていた。
スフィーリアはマグナを礼拝堂の正面一番奥、この教会で最も尊き場所に招き入れた。
「マグナ、あなたもこちらに……」
スフィーリアが手を差し伸べるとマグナは礼拝堂の最前に立ち、上を見上げた。
彼の真正面には銀の燭台を挟んで構台が置かれており、その先には円盤状のモニュメントが壁に飾られていた。
そのモニュメントこそが人類が新大陸に足を踏み入れた時から崇められてきた唯一神「ザイーナ」を具象化した本尊だった。
ザイーナの本尊は真鍮で出来た金色の真円の金属板が本体で、その中心から放射線状に二色の来光が伸びていた。
真円は神の存在の神聖さと完璧さを表し、来光の左半分が光を表す金色で、右半分が闇を表す漆黒色だった。
それはブルザイ教の象徴である光と闇の一神二元の二重神を示し、同時に光魔法の光輝と闇魔法の陰影を表現していた。
床の上にスフィーリアが両膝を付く。
「さあ、あなたも同じ様に……」
スフィーリアに促され、マグナも彼女の真横で同じ様に両膝を付く。
そこからはずっとスフィーリアの真似をさせられた。
両膝を付いて瞳を閉じ、両手を前で合わせ頭を少し垂れる。
それはブルザイ教の正式な祈り方だった。
マグナは祈った。
祈っている最中は無心だった。何も考えずただひたすら手を合わせた。
しかしそれは神ザイーナに対して正しい祈り方ではない。
正しくは神への信仰を一心に思い、祈るのだ。決して無心であってはならない。
だがそれは無理もない事だった。
今のマグナの中に神がまだ存在しない。
神に対して何の知識も信仰もないのなら神に祈る意味や向き合い方が判らなくて当然だ。
もしかしたら目の前の本尊が何なのかも判っていないのだろう。
意味のない空虚な祈り。神の無い形だけの信仰。
だがそれでも構わない。
今のマグナは子供と変わらない。
子供は何も判らないのだから、信仰の意味が判らなくて当然だ。
意味が分からなくてもまずは形から入らせる。
穏やかな気持ちで……。
そして母親の様にこれから信仰の意味を説いていく。
そうすればマグナの中にも自然と信仰心が生まれてくるはずだ。
神を敬う心が生まれれば他者を敬う心も育っていく。
同時に行儀作法も教え、人としての常識を植え付ける。
これは結果的に暴力を自制させる精神になるはずだ。
なので最初に祈りを捧げ、彼の心に楔を打つ。
それは長い歴史の間に、ブルザイ教が子供達に対して執り行ってきた普遍的な布教の方法でもあった。
「どうか彼に主の導きが在らん事を……」
スフィーリアは神の前で手を合わせると最後にマグナの自立の成功を祈願した。
祈り終えるとスフィーリアはマグナの方を見た。
マグナはまだ祈っていた。
「マグナ、もうよろしいですわよ」
スフィーリアは再び手を差し伸べマグナの祈りを解いた。




