第28話
食事が済むとスフィーリアは掃夫小屋を離れ、司祭に少年の事をありのまま報告した。
「それは良かったですね。これで彼も先々の目途が立つというものです。きっと主がスフィーリアの彼への献身にお答え下さったのでしょう」
「そんな、私なんて何も……」
司祭から賞賛を受けたスフィーリアがはにかんでみせる。
「では、計画をこのまま進めていきましょう」
司祭が言うとスフィーリアも頷いてみせた。
夕方になって司祭は少年の元を訪れた。
だが今度はスフィーリアの他にもう一人、尼僧を連れていた。
尼僧は長く薄い茶褐色の髪を綺麗に纏めた知的な雰囲気を漂わせた眼鏡美人だった。
ただスフィーリアとは違い、彼女は狐の様な大きく上に尖った耳と、長くしなやかなに延びる尻尾を持っていた。
それは彼女が人間でない種族である事を示している。
「初めまして。君が迷宮から来た少年ね」
小屋の中でひときは明るい声が響く。
「私の名はハリカ・エレ。ここで教師をしているわ」
ハリカは自分を至極、簡単にそう説明した。
彼女はこの教会の学僧であり尼僧であった。教会付属の学校の教師であり、普段はこの村や近隣の村々の子供達に勉強を教えていた。同時にルフォーレと呼ばれる人孤族の女性であり、既婚者で二児の母でもあった。
そんな彼女の眼鏡を掛けた面差しの奥には知性を漂わせている。
学僧は初めてコモラ迷宮で発見されたという少年と面会した。
しかし少年は新しい人物の登場にもぼんやりと顔を見るだけでスフィーリアと時の様な興味を示す事はない。
その後、ハリカもスフィーリアと同じ様に丹念に会話を続けた。
暫くして司祭がハリカに訊ねる。
「どうです、彼の具合は」
「スフィーリアの言った通りね。彼の精神状態は生まれたての赤ん坊と一緒。記憶を失っていて真っ新な状態。でもたった一日で言葉を理解し、少なからず会話が出来るようになった。要するに脳みそはちゃんと生きてるって証拠ね」
「ならこれから彼をきちんと教育すれば、私達が考えるより早く社会復帰も可能という事ですね?」
司祭の問いにハリカが頷いた。
「司祭様! その教育係の役目、私にやらせて下さい!」
スフィーリアが声を上げて答えた。
だが司祭はすぐに首を横に振る。
「残念ですが却下です」
「何故ですの? この御役目、私が責任を持って執り行いますから」
「別にあなたを除け者にするつもりはありあせんよ。責任者は飽くまでハリカ先生に任せるという事です。それにスフィーリア、あなたのはあなたの仕事があるはずですよ」
確かにスフィーリアにはこの教会の僧医という立場の他に、冒険者パーティ「ワイルドキャット団」の回復師という役割があった。
「ですが彼の教育にはあなたも参加しなさい。ハリカ先生とよく相談してね。それともう一人、外部から教育者に相応しいと思える人を頼んでおきます」
「外部から?」
「まあ、もう一人については追々、お話しします。まだ先方が受けるとは限りませんからね。ではハリカ先生、よろしくお願いします。難しい仕事ですが教育者でもあり二児の母でもあるあなたなら可能でしょう」
「尽力させて貰うわ。じゃあスフィーリア、後でこれからの事を話し合いましょ」
「はい!」
スフィーリアから元気な返事が返って来る。
例え責任者という立場で無くても彼女のやる気は変わらない。
結局、彼の教育の責任者はハリカが担う事となり、スフィーリアとその外部の人物が補助を担当する事となった。
そんな中、ハリカが少年の前である事を訊ねた。
「ところで、司祭様。この子の事は何て呼ぶの。名無しじゃ幾ら何でも不便だし、何より可哀そうだわ」
「そうですね、彼にも名前が必要ですね。ハリカ、スフィーリア、何か意見はありませんか?」
「マグナ……。マグナというのは如何でしょう?」
真っ先にスフィーリアが答えた。
「成程、二十五年前のコモラ迷宮を攻略した討伐隊のリーダー、聖人マグナ・ライデンからですね。ではそれにワリカット教会の建立者ビルド・グライプの名も頂いてマグナ・グライプといたしましょう」
「マグナ・グライプ」
司祭の提案に二人は何度もその名を噛み締める。
「じゃあ、スフィーリア、彼の名を呼んで上げなさい」
「私が? よろしいのですか?」
「勿論、あなたが名付け親ですからね。お願いしますよ」
司祭に後押しされ、スフィーリアが少年の前に出る。
「マグナ、それがあなたの名前ですわ。今日からあなたはマグナ・グライプですわ」
「マグナ……グライプ」
少年はまた鸚鵡返しにつぶやく。
だがそれが自分に与えられた名前だとは、少年はまだ気付いて無い様だった。




