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爆槍!アルス・マグナ  作者: 七緒木導
第三章 緑乃原事件
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第27話

 火焔竜が撃退され、次の日の朝が訪れた。

 朝食の時間、少年の居る病室にスフィーリアが現れる。 

 少年は既にベッドから起きていた。

 そしてぼんやりと宙を眺めていた。

「おはようございます」

「おはよう……ございます」

 尼僧が朝の挨拶をすると少年からも返事が返って来る。

 だがその挨拶は心の底から出た物はなく、昨日と同じ鸚鵡返しの反応でしかない。

 そしてスフィーリアの手には少年の為の食事は無かった。

 無論、朝食が用意されていない事には理由がある。

「昨日の砦の戦いで大勢の負傷者がここに運ばれてきましたの。それで病室が不足して、どうしてもあなたの居るここも必要になりましたのよ」

 スフィーリアは朝食の前に少年に個室から別室に移動してもらう理由を伝えた。

 だが結果的に少年をこの部屋から追い出す事になる。

 その為かスフィーリアの表情はどこか申し訳なさそうだ。

 だが少年は説明に対しても特に反応する事もなくじっと彼女の顔を見詰めるだけだ。

「さあ、こちらですわ」

 尼僧は少年が了承したと無理やり判断すると、早速、手を引いて病院の外に出た。

 スフィーリアは歩きながら少年に今日の自分の予定を伝えた。

「申し訳ございませんが、今日はあまり構って上げられませんの」

「……」

「昨日から負傷者の治療がまだ続いていますし、戦死された方のお葬式も執り行わなければなりません。ですから今日はあなたの側にはそんなに居られないと思いますわ」

 スフィーリアは歩きながらそう伝えたが、彼は手を牽かれながら、ぼんやりと彼女の後ろを付いて行くだけだった。

 二人は教会の敷地内を歩きながら目的地へと向かった。

 先日の戦闘で教会の施設の一つである礼拝堂の外壁と堂内の内装の一部が手酷く壊された。しかし今、二人が歩いている場所で戦禍の痕が見える事はなかった。

 途中、スフィーリアは教会の中で出来るだけ外部の人間と会わない経路を取った。

 今、教会では昨日での戦いの負傷者や死亡者の関係者が往来中で誰もが気持ちが落ち着かなかった。

 中には棺桶に縋りついて泣き叫ぶ者も居る。

 そんな状況を少年が目にした時、予想外の行動を取らないとも限らない。

 不用意な刺激は避けるべきだというスフィーリアの配慮だった。

 幸い、道すがら、二人が誰かとすれ違う事は無かった。

 ただ一度、遠くから冒険者のパーティが礼拝堂に入っていく姿を見掛けたが、少年がそれを見て、何かしらの興味や反応を示す事は無かった。

 そんな彼の反応を前にスフィーリアは安堵したのと同時に、外部に対する興味の薄い事に落胆も覚えた。

 何故なら明日から少年は社会復帰の為の訓練が本格的に始まるのだ。

 その名も社会復帰プログラム。人間らしさを取り戻す為の修練だった。

 だがその為には本人にも外の世界に対する好奇心と探求心が必須だった。

 なのにその両方が今の少年には欠けている様でスフィーリアの気持ちは重くなる。

 だがスフィーリアは直ぐに首を横に何度も振った。

「いいえ、ダメですわ。始める前から挫けていては。根気よく……。何事も根気よくですわ」

 そう自分に言い聞かせて気持ちを持ち直させた。


 やがて二人は少年の新しい部屋の前に到着した。

 部屋は教会の北にある離れの掃夫の小屋だった。

 掃夫とは教会が住み込みで雇う使用人の事で清掃等の雑務を担当する。

 小屋は一ヶ月前まで勤めていた前任者が住んでいたのだが、その彼が引退したせいで空き家になっていた。

 掃除を済ませた小屋のベッドに少年が座らされると、暫くしてスフィーリアが食事を運んできてくれた。

 今朝の朝食の献立は昨日と同じ雑穀の粥だった。

 スフィーリアはスプーンで椀の中の粥を掬い口に運んだ。

 少年はゆっくりと咀嚼した後、飲み込んだ。

 その様子を見てスフィーリアは安堵する。

 どうやら食事に対する興味は在る様だし、スプーンを差し出せば食べる為の合図である事も完全に理解してくれた様だった。

「今度は自分で食べる事を覚えませんとね」

 だがやれば出来るはずだ。スフィーリアは少年への教育に手応えを感じる。

 そんな時。少年の口から思わず声が漏れた。

「ス……フィーリア……」

「え?」

 突然、自分の名前を呼ばれた事にスフィーリアは目を丸くする。

 明らかに自分の名前を呼んだ彼の声だ。

 だが何時もの鸚鵡返しではない。彼自身の奥から湧き上がった言葉だった。

「どうなさったの?」

 スフィーリアは思わず聞き返す。

「おい……しい……おいしいね……」

 少年は続けて言う。

「もしかして、これって……」

 スフィーリアは息を呑む。

 美味しい。それは明らかに過去に記憶した言語を使った意思表示だ。

「あなた、言葉が判るのですか?」

 スフィーリアが期待を込めて聞き返す。

「あなた、ことば……わかる……」

 だが少年の言葉はまた鸚鵡返しに戻る。

 しかし最初のおいしいは自分で発した言葉だ。

「もしかして何か思い出しましたの?」

 スフィーリアが訊ねる。

「……」

 しかし少年からは何も返って来ない。

 どうやら彼の美味しいは、記憶を取り戻したのではなく、覚えた言葉を使ってみせた様だった。

「これは……。これはとてもすばらしい事ですわ!」

 それでもスフィーリアは感嘆の声を上げた。

 理由はどうあれ少年は自分で感じ、考え、話す事に成功したのだ。

 頭の中で外部との交流の手段を確立しようとしている。

 教会の前で戦った事以外に自分の意志を示そうとしている。

 ここで一人の人間として誕生しようとしているのだ。

 その事実にスフィーリアは感動すら覚えていた。

「良かった……。本当に良かったですわ……」

 スフィーリアの瞳から自然と涙が溢れ出る。

 これは明らかに自立への可能性の第一歩だ。

「でもその前にご飯ですわね。きちんと食べないと……」

 スフィーリアは一旦、落ち着くと最後まで少年に粥を食べさせ続けた。

 その後も色々と少年に語り続ける。

「他に、何か覚えた言葉はありまして? 言ってみせて下さいまし」

「……スフィーリア。エリッサ……またくる」

 少年はスフィーリアに聞かれると、その言葉を理解し、頭に浮かんだ言葉を途切れ途切れ発し続けた。

 彼が何かを言う度にスフィーリアはそれに合わせて嬉しそうに頷く。

 会話が楽しい。言葉を覚えたての我が子に接する母親とはこの様な気持ちなのだと、その想いを噛み締めていた。


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