第20話
何にしてもメリーナをブロタウロの突進から救う事が出来た。
一方、二人が居なくなった橋の上ではブルタウロの身体が勢い余って橋の向こうの光の壁と衝突した。
巨大な肉塊と魔法の障壁がぶつかり合い、周囲を凄まじい振動が襲う。
光の壁が揺れ、大地が震え、更に教会の建物にまで伝播した。
「な、なんだ?」
振動により病院の大部屋の患者達が狼狽える。
「皆、落ち着いて! 心配しなくても主が守って下さるわ!」
大部屋に一緒に居たミキシイナが患者達を大声で宥めた。
その甲斐あって大部屋の患者達は何とか平静を取り戻す。
そんな中、振動は少年の居る個室にも伝わった。
「!!……」
振動を受けた途端、少年は不意にベッドの上から跳ね飛ばされ、そのまま床に転げ落ちた。
だがその後、何を思ったのかゆっくりと立ち上がった。
そして一旦、周囲を不思議そうに見渡すと、後は何かに誘われる様に病室を出て廊下を歩き出した。
その歩く姿をミキシイナが大部屋の開いた扉から目撃した。
「ちょっと、アンタ! どこ行くつもりよ!」
ミキシイナが慌てて呼び止めようと大部屋から出る。
「ちょっと、うわぁ!」
だがその直度、再び衝突の振動が院内を襲った。
それが二度、三度と繰り返し揺さぶられ、立っている事も儘ならない。
「何なのよ? ……もう!」
ミキシイナが大部屋の扉にしがみつきながら壁を叩く。
そして懸命に少年の姿を探した。
だが少年の姿は既に廊下から消えた後で、何処を探しても見当たらなかった。
ブルタウロの攻撃が立て続けに光の壁を叩く。
ミャールの爆弾で脇腹を負傷しながらも身の丈5mの牛頭人身の猛突は止まる事を知らず、頭の二本の角で壁を脅かした。
「……!」
それでも司祭は無言のまま壁に加護を注入し続け、責苦に耐え忍ぶ。
こうなっては猛牛の頭突きが勝つか、司祭の忍耐が勝つかの我慢比べだ。
だが突進を浴びる度に、光の壁は徐々に輝きを失っていった。
「どうも今回は勝手が違うようですね……」
魔法を維持しながら司祭は僅かに呻く。
間違いなく今回の防御魔法は効きが悪い。
だがその原因は既に判っていた。
何故なら今回の攻撃には地縛竜が直接関わっているからだ。
奴はまだ西の城塞の外だが、その邪悪な鉱の魔力の影響がここにまで届き、光の壁の効果を弱めているのだ。
やがて神からの加護が薄れていくと鉄壁の防御にも翳りが見えていく。
「大変! このままでは……壁が突破されてしまいます」
危機を目の当たりにしたスフィーリアが杖を突きながら立ち上がった。
しかし彼女も先ほどの瞬間移動の魔法を使ったせいで霊力だけでなく体力まで著しく消耗していた。
疲労に耐え切れずスフィーリアの体がよろける。
「スフィーリア先生!」
それを傍に居たメリーナが慌てて支えた。
「メリーナ、お願い……。私を司祭様の傍に……」
「はい!」
メリーナはスフィーリアに肩を貸すと、そのまま歩き出した。
そして疲れ切ったスフィーリアを司祭の元にまで届ける。
「ありがとう、スフィーリア。あなたは村に逃げて……」
「そんな、先生を置いて一人で逃げられません!」
しかし疲労したスフィーリアを目にして、メリーナは離れようとしない。
仕方なくスフィーリアはメリーナを傍に置いたまま、司祭の隣りに立った。
そして光の壁の前に手を当てた。
「司祭様……お手伝い致します」
スフィーリアが司祭と同じ様に光魔法を唱える。
尼僧の加護も光の壁に注ぎ込まれた。
壁はほんの僅かばかり強度を取り増す。
だがそれも束の間、疲れ切ったスフィーリアの加護は突進の一突きを浴びただけで薄氷の如く脆くも崩れ去った。
「キャァ!」
衝撃に負けたスフィーリアの体が傍にいたメリーナ共々、弾き飛ばされた。
「スフィーリア! メリーナ!」
倒れた尼僧に向かって司祭が思わず叫ぶ。
同時に司祭の中で隙が生まれた。
再びブルタウロの強い頭突きが大きく壁を突き動かした。
その渾身の大打撃を受けた瞬間、村を守護していた灰色の壁は脆くも崩壊した。
「うわあああああああああああ!」
今度は司祭の体が吹き飛ばされる。
その衝撃は凄まじく、司祭の体は紙切れの様に舞い、教会の裏手の畑の方まで飛ばされてしまった。
司祭を失った神聖魔法の加護は完全に途切れる。
残っていた光の壁も光の欠片となって霧散し、その瞬間、ワリカット教会を守る全ての防御が失われた。
そこに光の壁の外側の川岸の土手に身を隠していた人影が飛び出した。
だがそれは街から逃げて来た村人達では無く、その村人達を追って冒険者街からやってきた三十人ほどのガキーマ達だった。
「キシャアアアアアア!」
人語とは思えぬ咆哮を上げながらガギーマ達が教会に押し寄せる。
ガギーマの狙いは光の壁の内側に残っていた避難民達だった。
避難民達に向かって傍若無人な蛮意が振舞われる。
下位の眷属の指の先端は鉤爪によって鋭く研ぎ澄まされ、中には小さな手に収まり切らない様な大きなナイフや棍棒を握った者まで居た。
更には冒険者街で火を放った松明を持った者さえも居る。
鉤爪が逃げ惑う人々の皮膚を切り裂き、振るわれた短剣や棍棒の先端が鮮血で滲む。
「ぎゃあああああああああああ!」
「いやあああああああああー!」
老若男女関係なく弱者に対する無差別な攻撃が繰り広げられた。
轟く悲鳴、目を覆う様な惨事、情け容赦ない蛮行、その暴力の渦中にはスフィーリアが助けたあの茶色い髪のメリーナもいた。
一匹のガギーマがメリーナの背中に飛び付いた。
「きゃああああ!」
少女から悲鳴が上がる。
同時にガギーマが爪を立てるとメリーナの服を背中から無理やり破り取った。
「やめてえええええええ!」
もろ肌を曝されながら少女の悲痛な叫び声が周囲に響く。
メリーナの絶叫は動けなくなっていたスフィーリアの耳元にすぐに届いた。
「ううん……!!」
スフィーリアが痺れる体を懸命に起こす。
だが尼僧は目の前に映った光景に愕然とした。
今まさに非情な強姦魔が少女に襲わんとしていた。
「お止めなさい……この恥知らず!」
スフィーリアが傍に落ちていた自分の杖をガギーマに向かって投げ付けた。
杖の先端に嵌められた銀色の魔石がガギーマの額に命中する。
「ギャ!」
ぶつけられた衝撃を浴びて、メリーナの背中に取り付いていたガギーマが無様に振り落とされた。
そこへスフィーリアがメリーナの元にふらつきながらも駆け寄る。
「大丈夫……メリーナ?」
スフィーリアが心配気にメリーナを抱き起した。
「スフィーリア先生……」
メリーナは恐怖で顔を強張らせていた。だが体を調べても幸い怪我は無い様だった。
スフィーリアがメリーナに向かって諭す。
「ここは私が食い止めます……あなたは早く村の方にお逃げなさい。村にはイーサン先生達が居られるはずですから一刻も早く、この事を伝えて……」
「けど先生が!」
「いいから早く!」
スフィーリアが気力を振り絞って強く促すとメリーナは頭を下げながら立ち去った。
その後姿を目で追いながらスフィーリアは僅かに安堵する。
だが落ち着いている暇はない。
いつの間にか彼女の周囲は数人のガギーマによって包囲されていた。
そしてスフィーリアとの距離を徐々に詰めていく。
奴等は誰もが血走った淫欲に取り付かれた細目をギラつかせていた。
そして耳元まで裂けた口から涎を垂れ流しながら邪悪な笑みを湛えていた。
それは目の前の美しき獲物を前にして、己の下腹に凄まじいまでの邪悪な淫欲を掻き立てられていた証だった。
その一方でスフィーリアの面差しが緊張と恐怖で固く強張っていく。
だが気丈にもそれを跳ね除けようとスフィーリアは奥歯をぐっと噛み締める。
やがて彼女に向かってガギーマの腕が伸びた。
「お止めなさい! 汚らわしい!……」
スフィーリアは手を払い除け、毅然とした態度でガギーマを叱り飛ばした。
しかし声に張りがない。
先ほどの瞬間移動の後遺症がまだ残っていた。
同時にスフィーリアのその拒絶の態度がガギーマ達にとって襲撃の合図となる。
ガギーマ達が狙いすました様に一斉にスフィーリアに飛び掛かった。
清廉な法衣に爪が掛かると、ビリビリと布が引き裂かれる音がする。
「いっ!」
尼僧が思わず呻いた。
間近に迫る災厄を前にスフィーリアの胸のうちに焦りと絶望感が広がる。
そして飛び掛かった小鬼達が彼女の全身を弄ぼうと次々と圧し乗った。
「ぃやぁ!」
スフィーリアが飛びついたガギーマ達の体を払い除けようとする。
だが相手は多勢に無勢、そして未だ抜けきらない疲労感。
スフィーリアは瞬く間にガギーマ達にうつ伏せで組み伏せられ身動きできなくなる。
肢体を羽交い絞めにされ美しき尼僧に凌辱の危機が襲う。
「きゃあああ!」
堪らず悲鳴を上げた。
スフィーリアの美しい面差しが土に塗れながら恐怖で歪む。
気丈に振舞っていてもまだ少女の年頃だ。
凌辱の恐怖の前に気持ちが押しつぶされる。
「ギヒャアハハハハハハハハ……」
その慄く悲鳴を耳にしてガギーマ達がせせら笑う。
だが我も人、彼も人。卑しい眷属でもガギーマも人類の一種だった。
故に人間と同類で性交の手段も変わりない。
実際、敵の前に陥落した街では幾度となく眷属による強姦事件が起きていた。
その災厄がスフィーリアにも降り掛かろうとしていた。
上半身の法衣は無惨にも剥ぎ取られていた。
暴力の前に屈服させられ、白いふくよかな乳房が露わになる。
「やっ! お止めなさい! 止めてっ……」
スフィーリアが狼狽えながらつぶやく。
そこには冒険者としての強さも尼僧としての落着きも既にない。
ただの一人の哀れな少女が居るだけだ。
その一方、付け火係のガギーマ達が松明を教会に向かって投げつけた。
教会の漆喰の壁は何とか炎を食い止めたが炎の勢いが強まれば火災を起こす可能性もある。
更にこの災厄の元凶を作ったブルタウロも攻撃の矛先を教会へと変えていた。
司祭の光の壁を打ち破った後、今は教会の壁を破壊しようと繰り返し体ごとぶつかっていた。
白い漆喰塗の外壁には大穴が空き、その被害は内部にまで広がっていた。
このままでは教会が崩壊し村に住む大勢の人々が心の依り所を失う。
そうでなくても既に多くの人々が村に侵入した眷属達に傷付けられていた。
なのに自分はその身を汚されながら目の前の光景を眺める事しか出来ない。
その状況にスフィーリアは愕然としていた。
凌辱される事より、何も出来ずに居る事が口惜しい。
「主よ。どうかお助け下さい……」
スフィーリアが最後に拠り所に向かって祈った。
しかし天は哀れな下僕に対して何も答えてはくれない。
ブロタウロによる破壊行為は尚も続く。




