第2話
だが最後の火焔放射がエリッサに向かって届く事は無かった。
何故なら突然、凄まじい振動が発生し、迷宮全体を襲ったのだ。
まさに天変地異、地震とは違う、地の底から噴火した様な突き上げられる様な破壊的な衝撃。
この迷宮の最下層で原因不明の大爆発が起きたのだ。
お陰で吐き出された火焔がエリッサに届く事は無かった。
だが違う災厄がエリッサを巻き込む。
「キャアアア!」
衝突による爆発がエリッサと地縛竜に向かって襲い掛かった。
吹き飛ばされたエリッサが岩肌の壁に叩きつけられる。
だが幸いにも僅かに残っていた水の障壁の加護か彼女の身を救った。
岩肌に圧し込まれながらもエリッサは何とか九死に一生を得る。
そして爆発が収まると、ふらつきながらも身を起こそうとした。
「うう……」
だが衝撃の後遺症が強すぎで直ぐには立ち直れない。
「な、何なのよ。一体……」
一体何が起こったというのだ?
「もしかして私の声が神様に……」
通じたのだとしても、その事実を確かめねばならない。
エリッサは何とか顔だけを上げると周囲を見渡した。
暫くは立ち昇る土煙で周りは見えなかったが、少しずつ空気の流れが落ち着くと徐々に視界が開ける。
しかも地縛竜が辺りにまき散らした火炎放射の残滓のお陰で周囲は充分に明るかった。
周囲を観察にするのには何の問題も無い。
だがその青い瞳に飛び込んで来た光景に釘付けになっていた。
目に映ったのは最下層の地表から浮き上がった金属の塊だった。
「なによ……。何なのよ、あれ?」
エリッサが思わず漏らす。
金属の塊は円筒形をしていて一見、樽の様に思えた。
樽は直径2mほどの大きな物で表面は爆発の影響で真っ黒に煤けておりまだ地中に半分ほど埋まっている様だった。
エリッサは樽の上方を見上げる。
最下層の天井はぽっかりと大穴が空き、それが遥か上の地表まで続き、青い空が見え隠れする。
まるで井戸の底から天を見上げている様だ。
恐らくあの正体不明の樽による爆発の余波が迷宮の階層を貫き地上まで穴を空けてしまったのだ。
グルルル……。
エリッサの背後で獣の呻く声が聞こえた。
振り向くと爆発の影響を真面に浴びた火焔竜が最下層の岩壁に体をうずめていた。
やがて火焔竜は爆発の影響から立ち直ると、そのまま起き上がり、エリッサの方へと歩き出した。
「ひぇっ!」
驚いたエリッサは慌てて傍にあった大きな岩に身を隠す。
だがこんな岩はつい先ほどまで無かったはずだった。
それが振動によって発生した落盤による物だと気付いたのは暫く後の事だった。
遅ればせながらエリッサは身を隠した岩の影で息を殺した。
しかし火焔竜はエリッサに見向きもせず、そのまま岩の前を通り過ぎていく。
火焔竜が金属製の樽の前で止まった。
明らかに新しく大空洞に現れた異物を警戒していた。
当然だ。樽は迷宮の階層を全てブチ抜き、破壊の限りを尽くしたのだ。
「……」
火焔竜とエリッサの瞳が樽を無言のまま凝視する。
暫く沈黙が続くと樽に変化が訪れた。
バンッ! と、内側から弾ける様に樽が割れた。
樽は粉微塵に砕けると中から生き物らしき肉塊が現れた。
肉塊は暫くその場で蠢き続けたかと思うと、ゆっくりと立ち上がり人の形になった。
「え?! 人?」
エリッサは思わず口にした。
人影は190㎝に届く長身で痩躯、よく見ると長そでの白い服を身に纏っている。
その容姿は見た限り男だ。だが足元がおぼつかないのか立ち上がっても、ふらふらと体を揺らし今にも転びそうだ。
「……」
エリッサは更に注視する。
「男の子?」
それは間違いなくひとりの少年だった。
充分に鍛えられた浅黒い肌に烏の羽の様に黒く肩まで届いた乱れた髪、離れていてもそれと判る碧色の瞳と幼さの残る端整な顔立ちをした美男子、少なくともエリッサにはそう見えた。
だがここの主たる火焔竜はそう思わない。
恐らく奴は人類側から送り込まれた新たな侵入者。
あの不可解な樽に乗ってこの迷宮を攻撃しに来たに違いない。
「グオオオオオオオ!」
威嚇の為の吠え声を上げながら地縛竜はこの招かれざる客目掛けて突進した。
落ちて来た樽のあった位置に向かって火焔竜の頭蓋が衝突した。
見ていられないとエリッサは目を瞑った。
直撃だ。圧倒的な暴力の前では為す術もない。
すぐに岩壁と頭蓋がぶつかる音が聞こえた。最下層は衝突の衝撃により天井から多くの落盤が発生する。
恐らく少年はこの一撃で岩壁と頭蓋に挟まれ物言わぬ肉片と化すはずだ。
エリッサは恐る恐る瞳を開けた。
そして火焔竜の頭蓋と岩壁の間を見つめる。
せめてあの少年の死に様を見届ける義務が自分にはある。
だが次の瞬間、思わぬ事が起こった。
少年の亡骸があるはずの岩壁と頭蓋の間が土煙を上げながら突然、爆発したのだ。
爆風と共に土煙がエリッサを直撃する。
「キャア!」
エリッサは思わず悲鳴を上げた。
だが土煙が通り過ぎ、次の瞬間、目に飛び込んで来た物を前にエリッサは茫然とする。
目の前では火焔竜の頭蓋が大きくのけぞり、土煙の下から人影が大きく宙に跳んでいたのだ。
「うそ……」
少女がつぶやく。
そして慌てて切れていた水の防御魔法を掛け直した。
もし目の前の出来事が事実ならば少年は火焔竜の突進を素手で弾き飛ばした事になる。
しかしそんな事はあり得ない。
生身の人間の力で地縛竜の真正面からの攻撃を止め、更に反撃する事など全く持って不可能だからだ。
だが少年はそのあり得ない事をやってのけた。
エリッサは岩陰に隠れたまま少年の姿を更に目で追い続ける。
高く跳躍した少年の身体は火焔竜の頭蓋を軽く飛び越えていた。
そしてそのまま降下すると右の脚で地縛竜の後頭部を激しく蹴った。
今度は巨大な頭蓋が最下層の地面に叩きつけられる。
「グギャ!」
顔面が地表と衝突した瞬間、火焔竜の喉から呻き声が上がった。
思いも依らぬ攻撃に火焔竜のすぐには態勢を戻せない。
だが少年の反撃はそれだけでは終わらない。
今度は火焔竜の頭蓋の前に着地すると両手の拳を丸めて、勢いよく殴り始めたのだ。
その瞬間、大顎から鍛冶場の様な火花が散り、鋼同士がぶつかり合う様な固い音が何度も鳴り響く。
「なんて事を……」
エリッサは唖然としていた。
少年の身体能力は人間の常識を超えていた。
その蹴撃から繰り出す一撃も殴撃による乱打もとても人の為せる技とは思えない。
更に少年は冒険者が装備するはずの武器も防具も彼は一切、持ってない。
身に着けていた白い服も火焔竜の最初に一撃と周囲からの地脈の熱波で既にボロ布の様に変わり果て半裸に近かった。
だがそんな状況に構う事なく目の前の地縛竜相手に攻撃を仕掛けたのだ。
一方、殴られた火焔竜の方は徐々に態勢を直し始める。
結局、少年の拳が如何に重くても外傷に至る事は無く、攻撃を顔面に受けても一瞬、顔を歪ませる程度で何の効果も無かった。
そして今度はお返しとばかりに少年に向かって反撃に出た。
大顎から凄まじい火焔を吐き大空洞の中を太陽光の様に照らす。
火焔放射は大顎から出ると帯の様に真っ直ぐに伸び、少年に浴びせ掛けられた。
だが少年は岩の地面の上で素早く方向転換し寸前のところで火焔の帯を避けていく。
回避の動きも素晴らしい。まるで荒野の豹の様だ。
並の冒険者なら避ける事も出来ず、その場で消し炭にされる事も珍しくない。
事実、エリッサも水の防御魔法の加護がなかったら焼き殺されていたはずだ。
一方、地縛竜の吐いた火焔は地表から噴きこぼれる鉱の霊気流と合わさって、最下層のドームの中で凄まじい熱波となって渦巻かせると、防御魔法を浸食してエリッサの頬を痛いほど刺す。
だがエリッサはその熱波を浴びて尚、目の前の戦いに釘付けになっていた。
「すごい……本当に凄い」
エリッサが溜息混じりにつぶやく。
少年の動きは人間が辿り着けるものではない。
そもそも人間が単身で地縛竜と戦える事が本来、あり得ない。
「でも……」
しかし人間である事には違いない。
戦う彼は人間という種族が持つ一般的な特徴を全て備えて居る。
自分と同じ人間であり、地縛竜と戦っているのならば同じ仲間のはずだ。
「だったら彼の助太刀に!」
だが舌が乾かぬ内に思いとどまる。
何故なら目の前の戦いが人間一人が加勢したところで意味の無い事を知っていたからだ。
地縛竜は百人を超える練達の冒険者達が一斉に掛かっても造作なく全滅させられる力を持つ。だから討伐する際は通常、軍隊の様な戦闘集団を編制して戦いに挑む。
決しておとぎ話の様な単独や少数精鋭で挑む敵ではない。
もし今の状態で加勢の為に近付けばいても、その力の前に敢え無くすり潰されるのが関の山だ。
だからエリッサは加勢にも入れず、ただ岩場の陰に隠れて事の成り行きを見守る他ない。
故に少年の行為は常識外れで、勇敢どころか単なる無謀としか言う他なかった。