第18話
スフィーリアは寺務所に入った。
寺務所とは単に教会の事務室の事を指す。
中では既に司祭の他にもう一人、橙色の髪を短く切りそろえた尼僧が居た。
尼僧の名はミキシイナ・ステン。スフィーリアより年上で、先輩の尼僧だ。
「皆、揃いましたね」
司祭が二人に呼び掛ける。
「西の砦に眷属が出た模様です。詳しい状況は不明ですが恐らくここには三年前と同じ様に冒険者街の避難民が押し寄せて来るでしょう」
「作戦はどうします?」
聞いたのはミキシイナだ。
「前に説明したマニュアルに沿って行動します。ミキシイナは病院の患者達の傍に居て下さい。スフィーリアは私と一緒に教会の外に向かいます。小川の橋の前で彼等の防波堤になつつ迎撃に当たります」
司祭の説明を聞きながらスフィーリアは強張った表情を浮かべていた。
眷属がこの村に攻めよせて来たのは実に三年ぶり、この村に来て一年になるスフィーリアにとって初めての襲来だった。
スフィーリアが緊張の中で息を呑む。
入院している患者達のほとんどが、足元もおぼつかず逃げる事も儘ならない。
もしここまで眷属が押し寄せてきたら、病院は蹂躙され、一人残らず殺されるはずだ。
「それでイーサン先生とハリカ先生は?」
再びミキシイナが聞いた。
イーサンとハリカはこのワリカット教会に所属している僧侶だった。二人とも村に家があり、早朝とあってまだ教会には出勤していなかった。
「イーサンもハリカもまだ村の方です。多分、半鐘の音を聞いてこちらに向かってくれているでしょうが……」
「それまでこの三人で防御か……。明らかに人手不足だよねぇ。こんなんで守り切れるの?」
ミキシイナが司祭に対して少々行儀の悪い口調で聞き返す。
「ですがこの人数で乗り越えねばなりません。皆、直ちに配置について下さい。我等に主の祝福を」
短い打ち合わせが終わると三人は小走りに寺務所を出ていった。
「スフィーリア!」
廊下でミキシイナがスフィーリアに声を掛ける。
「確か、あんた、この村に来て初めての攻防戦だよね」
「はい、城壁を挟んでの大きな戦闘は初めてですわ」
「怖いかい?」
「はい、少し……」
「正直ね」
ミキシイナが小さく笑う。
「なら正直なあなたに一つ良い事を教えて上げるわ。危なくなったら、逃げる。絶対に逃げるんだよ」
「ミキシイナ先輩……」
「特にアンタは頑固でクソ真面目だからね。無駄にがんばっちゃう所があるから、それが心配なのさ」
それはミキシイナなりの気配りの言葉だった。彼女は尼僧として口が悪く素行不良の面があるが、その言葉の裏には後輩の尼僧に対する配慮があった。
「判りましたわ。危なくなったら逃げてみせます。こう見えても駆けっこは得意なんですから」
後輩は先輩の前でそう答えた。
それを聞いてミキシイナも嬉しそうに笑った。
「そうそう、それで良い。こんな事で死んだらクソつまんらないよ」
その後、二人は別れてそれぞれの持ち場へと走った。
しかし走り去っていくスフィーリアの背中を見ながらミキシイナの瞳の奥は僅かに曇る。
恐らく、スフィーリアは逃げないだろう。
この先、この教会にどんなに危険な状況が訪れようとも、決してこの後輩の尼僧はここに居る入院患者や逃げ落ちて来た村人を置いて逃げる様な事をしないはずだ。
そして粉骨砕身、死ぬまで村の為に戦うつもりだ。
「主よ……。どうかこの村に鉄壁の加護を……」
柄にもなくミキシイナは心の中で祈った。
それはいうまでも無く、後輩の無事への祈願だった。




