第102話
「泥棒?」
ウェッツが聞き返す。
だがイーサンは答えない。
代わりに今度は畑の畝の上で異変が生じる。
周囲は芋畑だった。
そのジャガイモの葉が畝に沿って一本ずつ風も無いのに揺さぶられた。
何が起きた? 二人は周囲をきょろきょろと見渡しながら顔を青ざめさせる。
「遂に来たか……」
そんな中、イーサンが二人に言った。
「貴様ら、今からそこを一歩も動くな。声も上げるな。音も立てるな。代わりに目を閉じろ! それと周りにあるロープにも鉄杭にも一切、触るな。触った瞬間に死ぬぞ!」
「ひいっ!」
イーサンの死ぬの一言に二人は声を引き攣らせながら慌てて目を閉じた。
その傍らでイーサンが懐から掌に治まる程度の銀盤を取り出した。
銀盤の表面にはびっしりと魔法文字の彫刻が施されている。
「主の言霊を風と土の精霊に伝え給え……」
イーサンが呪文を唱えた。
すると銀盤が凄まじい放電現象を起こす。
銀盤は教会所蔵の雷の魔法の宝物だった。
僧侶の使う神聖魔法の中に雷撃の魔法は無い。
代わりに風の精霊フィーメラと土の精霊ドグラの理力を宿した魔道具で雷を起こす。
放電現象の光は辺りを昼間の様に明るく照らした。
直視すれば目を痛めるほどのはげしい光だ。
同時に放電は畑に巡らされたワイヤーの編み込まれた麻のロープを伝って地面に打ち込まれた杭に吸い込まれていく。
蜘蛛の巣状に張られたロープが放電現象で美しく輝き、更に雷撃の帯が杭を通して地中へと広がっていった。
その直後、局所的な地響きが足元から響いた。
だが揺れの感じから地震ではない。
まるで土の下で生き物がのたうち回る様な振動。
「来るぞ!」
イーサンが思わず叫んだ。
その直後、土の下から突然、何かが這い上がる様に飛び出した。
蛇の様な足の無い長大な触手、その先端にはヤツメウナギの様な丸い口、しかも太さは鍛えられた戦士の上腕より太く、鞭の様にしなやかだ。
それは間違いなく動物の体の一部だった。
それが6本、畑の中を飛び出すと雷撃の光に照らされながら天に向かってウネウネと不気味に蠢いていた。
「な、なんだありゃあああ!」
生き物の体の一部らしきものを目の前にウェッツ達が愕然とする。
だがその横ではイーサンが息を整えながらつぶやいた。
「やはり思った通りだ……」
「思った通りって何だよ?!」
「野菜泥棒の正体だ」
「野菜泥棒? こいつが?!」
「ツチナマコと呼ばれとる動物だ。本来は森の土の中に潜み、木の根を喰らう野性の生き物だ」
「何でそんな奴がここに?」
「だが偶に、人の生存圏に入り込んで根菜を喰らって被害を出す。特にこの前の地縛竜の攻撃の後、東の砦の兵士の幾らかが西に移った。その人が減った間隙を縫って畑の下に侵入したのだろう……。村の畑を食い荒したのもコイツの仕業だ」
「……」
「その上、雑食性でな。地下からバミーラビットの巣を襲う事もある。貴様らもうっかり近付くと土の下から食らい付かれて片脚を持ってかれるぞ」
「ひぃえええええ!」
そうイーサンが語り終えた直後、二人は再び気の抜けた悲鳴を上げた。
その間にもツチナマコの五本の触手が畑の上の気配を感じ取っていた。
長い触手を鞭の様にしならせた。触手の先端は奴の口になっていた。
口の中には太い大根やバミーラビットの首を簡単に切り飛ばすほどの鋭い牙がびっしりと並んでいた。
一本のツチナマコの触手がコルダに襲い掛かる。
それは数時間前、巡回中だったマグナを暗闇から襲った物と同じ物だった。
だがコルダにマグナの様な俊敏性はない。
「た、助けてええええぇ!」
生命の危機を悟ったコルダが絶叫した。
そこには牛筋亭で息巻きながらナイフを振り回していた時の勇ましい彼の姿はない。
イーサンがコルダの前に割って入る。
彼は手にはいつの間にか鋼鉄の棍棒が握られていた。
棍棒が振るわれると触手に向かって一撃を浴びせた。
鈍い音と共にツチナマコの長い触手の動きが一瞬怯む。
「ぎゃあああああ!」
その後ろで悲鳴が上がった。
ウェッツの背後を別の触手が襲ったのだ。
「ウェッツ!」
コルダがウィッツの元に駆け寄った。
肩に出来た傷口から瞬く間に血が滲み出し、ウェッツのシャツが赤く染まる。
「痛てぇ! 痛てぇよぉ~!」
負傷したウェッツが泣き叫ぶ。
「貴様達は直ぐに立ち去れ! このままではツチナマコ退治の邪魔になる!」
イーサンは二人に向かって叫んだ。
だが二人が逃げる前にツチナマコの本体が遂に土の中から姿を現した。
姿を現した土の中の怪物の正体に二人は絶句する。
全長7m、直径3m、体は骨の無いぶよぶよした肉の塊、まるで芋虫の様な生き物、その背中から五本の長い口が上へと伸びていた。
だがそれこそがツチナマコの正体だった。
そんなツチナマコを土の中から這い出させたのはイーサンによる雷撃だった。
それはワームグランティングと呼ばれる土の中の生物を地上へとおびき出す手法だった。
だが本来は地中に差した杭を手に持った鉄棒を擦り合わせて地中に振動を伝え、小さなミミズを地上へと誘引する方法で、電撃を与えて地中の大型生物を追い出す様な乱暴な行為ではない。
だがその電撃が功を奏し野菜泥棒は逃げ場を失い、畑の上でのたうち回る。
「遂に現れたか……。マグナ、出番だ!」
イーサンは大声で叫んだ。
その直後、畑の中から風より早く、黒い影が疾走した。
影はツチナマコに迫ると赤と金の炎をなびかせながら真上に跳んだ。
炎はツチナマコの背を軽々と超え、次の瞬間、直下に向かって叫んだ。
「ガッツ・ランサー」
闇夜の中に銀槍が煌めき、一閃と化す。
解き放たれた槍はツチナマコの胴体を容易く貫入した。
太ったブヨブヨの肉塊が爆散する。
肉片が飛び散る中、イーサンの前で銀槍を投げた炎が着地した。
炎は消え、人の姿へと変わり最後に一人の少年と成した。
「御苦労だった、マグナ。ビバ、ザイーナ」
イーサンが労いの言葉を掛ける。
「ビバ、ザイーナ」
少年も勝鬨を上げながらイーサンの前で微笑んだ。
影の正体は同行していたマグナ・グライプだった。




