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思い出海岸

作者: 生田英作



「思い出は永遠だよ」


 俺が最後にその言葉を聞いたのは、四年前。

 この海岸で、だった。

 八月最後の日曜日。

 人々でごった返す波打ち際を見つめる俺に智花(ともか)は言った。

 そして、その三日後──

 智花は、この海岸で死んだ。

 彼女は気が付いていたのだろう。

 この海岸で並んで海を見つめていたあの日には、もう俺の心が彼女から離れていることに。

 俺は、上手に隠しているつもりだった。

 だが、そんな状態が長く続かないこともよく分かっていた。

 宙ぶらりんの状態に決着を付けるべく訪れたこの海岸で、俺は彼女に別れを告げようと決めていた。

 だが、出来なかった。

 お気に入りの白いワンピースに身を包み、嬉しそうにはしゃぐ智花を見て、「別れよう」という言葉が喉の奥でつっかえてしまい、どうしても出てこなかったのだ。

 そして──


 彼女は自ら死を選んだ。


(………………)


 冬の海風のせいか、タバコの煙のせいだろう。

 涙が出た。

 いつの間にか随分短くなってしまったタバコを携帯灰皿で揉み消すと、俺はいま一度黒い海を見つめた。


(もう、ここには来ないよ)


 この春、俺は結婚する。

 ここに来るのは、今日が最後だ。


(さよなら……)


 智花──

 俺は、踵を返すと駐車場に向けて歩き出──



「……えっ?」



 俺は、自身の目を疑った。

 目の前にあったのは、水着姿の人で溢れる海の家だった。

 スピーカーから流れる大きなBGMと人々の騒めき。

 頭上から降り注ぐ真夏の太陽と海岸に並んだ白いビーチパラソル。

 白く波立つ青い海。

 これは、まるで……

 俺は、周囲を見つめて息を呑んだ。

 目の前に広がっているのは、まさに四年前の夏のあの日に見た光景だった。

 四年前の八月。

 最後の日曜日。


(……どうして?)


 と──

 次の瞬間、ふと気が付けば、俺は白いビーチパラソルの下に座っていた。

 ビーチパラソルの投げ掛ける濃い陰の向こうに広がる夏の海。

 尻の下に敷いたブルーのピクニックシートとその上に置かれた大きなバスケット。


(このバスケット……)


 なんの変哲もないそのバスケットに俺は見覚えがあった。


(このバスケットは……)


 そう、中身も知っている。

 中に入っているのは──


(まさか──)


 その時だった。


 

「たっクーン!」



「……………」


(そんな──)


 目の前の光景は、あり得ないものばかりだが、それにしたって──

 それにしたって──


(そんな、馬鹿な……)


 砂浜を笑顔でこちらに向けて小走りに駆けて来るのは見間違えようもない。

 白いワンピースに同色のサンダル。

 人懐っこい丸い瞳に、毛先のくるんと丸まったショートの黒髪。



「たっクーーンっ!」



 智花だった。

 四年前に死んだ智花だった。


(そんな……)


 絶句する俺を尻目に笑顔でビーチパラソルの下に駆け込んできた智花は、はにかんだ笑顔で買ってきてくれた缶ジュースを差し出した。

 そして、彼女自身は俺の隣に座ると、


「プシュッ」


 と缶ジュースのプルタブを開け、嬉しそうに飲み始めた。


(…………)


 ビーチパラソルの下から見える砂浜とその向こうの海──

 遠い波頭を見つめる智花の横顔──

 智花は、あの頃のまま、いつも通りの笑顔で俺に話しかけて来る。

 あの頃の──

 いつもの──

 背中に冷や水をぶっ掛けられたかのように、背中から冷たい物が俺の両の二の腕へと広がって行く。

 缶ジュースを持った俺の手が微かに震えていた。

 息ができない。


(これは──)


 目の前の光景は──

 隣にいる智花は──


(あの日と同じ)


 いや、


(何から何まであの日と同じ)


 いや、それどころか、


(あの日の事をそっくりそのまま──)


 全身が恐立って、俺の喉が苦し気に鳴った。


(……再現している?)


 俺は、間違いなく冬の海岸にいた筈なのに。

 隣に座っている智花は、間違いなく四年前に死んだ筈なのに。

 いまいるのは夏の海岸、しかも、死んだ筈の智花が隣にいる。

 何がどうなって……

 いや、もしこれがあの日の再現であるならば、この後──

 そう、この後に……

 俺は、隣で話し続ける智花の話をうわの空で、否、聞く余裕もなく、ひたすらに頷き続けていた。一秒が、一分が、十分にも一時間にも感じられるような時が過ぎ、俺の首筋をねばっこい冷たい汗がたらたらと流れ落ちて行く。

 鳩尾の辺りからじわじわと這い上がってくる不安。

 そして──

 智花は俺の顔を覗き込むようにして、そっと耳元で囁いた。





「思い出は永遠だよ」





「───────っ!」


 やはり間違いない。

 これは、あの八月の最後の日曜日の光景だ。

 智花が死ぬ三日前のあの海だ。

 と、俺がそう思った次の瞬間──

 ふと気が付けば、俺は白いビーチパラソルの下にひとりで座っていた。

 ビーチパラソルの投げ掛ける濃い陰の下、周囲から聞こえる人々の騒めき。

 尻の下に敷いたピクニックシートとその上に置かれた大きなバスケット。

 ……あれ? 


(智花?)


 そう、俺は周囲を見回して智花の姿を探す。

 さっきまで隣にいた智花の姿が見えない。


(どうなって……)


 その時だった。


 

「たっクーン!」



「……………………」


 俺は、まじまじと見つめてしまった。

 智花だった。

 白いワンピースに白いサンダル。

 波打ち際を笑顔でこちらに向けて小走りに駆けて来る智花。

 そう、両手に買ってきた缶ジュースを持って──


(これって……)


 まさか──

 ビーチパラソルの下に駆け込んできた智花は、はにかんだ笑顔で俺に買ってきてくれた缶ジュースを差し出すと、自身は俺の隣に座って海を眺めながら嬉しそうに缶ジュースを飲み始めたのだった。


(…………)


 ビーチパラソルの下から見える砂浜とその向こうの海──

 智花の横顔──

 智花は、あの頃のまま、いつも通りの笑顔で俺に話しかけて来る。

 あの頃の──

 そう、あの日の、あの時の智花。

 さっき見た光景の中の同じ智花だった。


(これは……)


 嫌な予感がする。

 これは、さっきと同じ。


(同じ光景を……また再現している?)


 そうなのか?

 額の辺りから滲み出た汗が俺の顔を伝う。

 目の前の光景は、さっき見たそれに何から何までそっくり同じだった。

 否、四年前のあの日の光景のそのままだった。

 そう、さっき見たものとまったく同じ──

 智花は、さっきと同じように缶ジュースを飲みながら俺に話し続けている。

 俺は、冷たい焦燥に駆られつつもなんとか相槌を打つ。

 しかし……

 これは、一体なんなのだろうか?

 なぜ、あの日を再現しているのか?


(これは……。まさか、死んだ智花からの……)


 そうなのか? 智花?

 俺のそんな疑念に一切お構いなしにあの日の再現が、目の前では続いていた。

 たらたらと俺の顔を伝う汗。

 そのくせ、芯から冷たくなるほどの怖気が俺の体を覆っていた。

 この次の瞬間に何が起きるか、俺は全て知っている。

 さっきも一度見ている。

 聞いている。

 そして──

 さっきとまったく同じタイミングで、

 同じ顔で、

 あの日とまったく同じセリフを智花は俺の耳元に囁いた。

 そう、あの言葉だった。

 




「思い出は永遠だよ」





「…………………」


 そして──

 気が付けば、俺は白いビーチパラソルの下にまたひとりで座っていた。

 目の前に広がる夏の海。

 隣にいた筈の智花の姿は見えない。

 否──



「たっクーン!」



 足元に打ち寄せる波に飛沫を上げながら笑顔でこちらに向けて小走りに駆けて来る智花。

 これは、あの日の再現──というだけではない。

 同じ光景を繰り返している。

 そう──


(ループしている!)


 ビーチパラソルの下で凍り付く俺に、智花は缶ジュースを渡すとさっきと同じように隣に座って缶ジュースを飲み始めた。


(智花……)


 俺は、まじまじと隣に座る智花の横顔を見つめた。

 智花の様子に不自然なところはない。

 少なくとも、同じことを何度も繰り返している人間のそれではなかった。

 いや、そもそも──


(智花は、死んだ筈だ)


 目の前の智花は……


(いったい……)


 そして──


(どうして、こんな事に……)


 なぜ?

 何のために?

 口がカラカラに乾いていた。

 飲み込む唾もない俺の喉が「きゅぅ……」と苦し気に鳴った。

 体の上に重しを載せられたかのように俺は身じろぎ一つ出来ないまま、智花の横顔を見つめ続けていた。

 たらたらと冷たい汗が流れていく。

 さっきと同じ話をまったく同じペースで話す智花。

 そして、智花は最後に、さっきの二回とまったく同じタイミングで、

 あの日とまったく同じセリフを俺の耳元に囁いた。

 そう、もちろん、あの言葉だ。





「思い出は永遠だよ」





 そして──

 俺は白いビーチパラソルの下にまたひとりで座っていた。

 まったく同じ光景。

 これから何が起きるのかなんて、聞くまでもない。


(逃げよう!)


 俺は、咄嗟に立ち上がろうとして身を捩り──


(…………なっ?)


 立ち上がれなかった。


(な、なんで?)


 俺は、勢いを付け、身を捩り、腕を大きく振ってなんとか立ち上がろうともがく。

 が、



 立てなかった。



 まるで尻が地面に縫い付けられたかのように、まったく反応しない。

 それどころか、


(あ……)


 急に体が強ばり始め、徐々に動かなくなっていく。


(そ、そんな……)


 腕が、背中が、足が──


(あぁ……あぁ……)


 それ以上動かせなくなった。

 辛うじて動くのは、左右の手の指先と首だけ。


(くっ! くっ!)


 俺は、必死で体を動かそうと身を捩り、首を前後に振って反動を付けて動こうとした。

 が……どれほど懸命にあがいても結果は同じだった。

 俺の体は、体育座りのまま、この海岸に固定されてしまっていた。

 ………………。


(ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ)


 腹の底から湧き上がって来る恐怖。

 もう、ここから────



 逃げられない。



 どうあろうと逃げられない。

 悲鳴をあげたかった。だが、首を絞められたかのように、俺の口からは微かな、か細い声が「ヒュー、ヒュー」と漏れるだけだった。

 声さえろくに出すことの出来ない体をひたひたと満たしていく冷たい絶望。

 周囲の騒めきが、海の家から流れて来るBGMが、どこか歪んでいるような気がして、目の前の海さえもどこか黒ずんで見えた。


(俺は……どうなるんだ……)


 もし、このまま──

 と……

 それは、ほどなく聞こえて来た。

 そう。



「たっクぅ~ン!」

 


(……………………………………)


 智花だった。

 全くさっきと同じ智花だった。

 否、


(あれ?)


 真っ白いワンピース。

 灰色に粟立つ海辺。

 足元を浸す波の上で揺れている裾が、擦り切れたかのようにほつれて、糸が垂れ下がっていた。

 どこか、くすんだように見える智花。

 ビーチパラソルの下に入って来た智花は缶ジュースを俺に渡すと、さっきと同じように自身も隣に座って缶ジュースを飲み始めた。

 と、俺はその時ある事に気が付いた。


(ざらざらする……)


 掌に感じるこの感触──


(まさか……)


 俺が、恐る恐る缶を見ると……


(…………っ!)


 缶は、底が赤く錆びていた。

 否、底だけではない、周囲もプルタブの部分も、そこかしこに浮かぶ錆び。

 それは、まるで──

 長期間、どこかに放置されていたような、そう、まるで何年も水の中にあったかのように錆び付いていた。


(……………………)


 俺は、もう、息をする事さえできなかった。

 これは……

 これは……

 この場所は──

 俺は、辛うじて動く首を動かして智花の横顔を見る。

 さっきとまったく同じ話をまったく同じテンポで同じ順番で、まるで針の飛んだレコードのように繰り返す智花。

 叫び出したいほどの焦燥と不安が喉の奥までせり上がって来ているのに、俺の喉は苦し気な音を出すことしかできない。気が付くと俺の、辛うじて動く手の指先が、必死で体の下のピクニックシートを引っ掻いていた。

 そして──


(あぁ……)


 また、あの言葉が来る──

 俺の顔を覗き込むように身を捩る智花。

 その時だった。

 俺は、気が付いてしまった。

 目の前にあった智花の顔。

 その目──

 色彩も何もない虚ろな瞳。

 顔の真ん中にぽっかりと開いた二つの穴のようなその目が俺を見据えるように言った。

 




「思い出は永遠だよ」





 そして──

 俺はまたビーチパラソルの下にいた。


(ああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!)


 狂おしいほどの恐怖に駆られて、俺は必死でもがいた。

 じっとなどしていられるわけがない。

 いつまでも繰り返される同じ光景。

 しかも、死んだ筈の人間が、繰り返し現れては、ひたすら同じことを繰り返すのだ。

 四年前の八月最後の日曜日。

 それも、その一日の内のほんの数十分の出来事を。


(うああああぁぁぁぁっ!!)


 透明なボルトで固定され、見えない縄で縛られたかのように動かない体。

 辛うじて動く左右の指先が、空しく尻の下のピクニックシートを擦る。

 どこか濁った空気に満ちた海岸。

 歪んで聞こえるBGM。

 それに……


(あぁ……)


 周囲の景色も、よく見ればおかしい事になっていた。

 傾いた海の家。

 周囲の人間たちも、そうだった。

 そう。

 周囲の人たちは、みな──



 顔がなかった。



 水着を着た肌色の人型が、波打ち際や砂浜でゆらゆらと蠢いている。


(うああああああっ!! あああぁぁぁぁあぁぁぁぁっっ!!!)


 声にならない声が、俺の喉の奥で微かに響いていた。

 と──

 そんな、俺を嘲笑うかのように再びそれは始まった。



「たぁっク~ぅン!」

 


 智花だった。

 ひざ下まで海に浸かりながら、こちらへ向けて走って来る智花。

 青白い顔。

 どこか、虚ろな瞳。

 ワンピースは、明らかにくすんで茶味を帯び、裾はボロボロにほつれていた。

 が、それよりも──


(………………)


 目の前、ほんの一メートルほど先で灰色に弾ける波。

 おい……おいおい……

 これって……


(海が……近付いて来てないか?)


 いや、そうじゃない。

 俺が、

 そう、俺が──


(海に近付いて行っている……のか?)


 ザアア、と音を立てるように体から血の気が引いていく。

 俺は、喘ぐように懸命に息を吸い込んだ。


(と、と──)


「と……も……」


 か……

 俺は、なんとか声を絞り出し、智花に呼び掛ける。

 が──


「ぐぅっ──」


 さらに強く手で締めらたように喉がきつく窄まる。


(ああぁっ!! ああっ!)


 波が粟立って飛び散った微かな飛沫が頬に掛かる。


(智花──っ!)


 そして──

 智花から掌に落とすように渡された缶ジュースは──


(ああ……)


 一面に錆びの浮かんだ、辛うじて缶ジュースと、否、かつて缶ジュースだったと分かる代物だった。


(智花! 智花!!)


 出ない声を必死で振り絞って、俺は智花に呼び掛ける。

 が──

 そんな俺の様子などまるでお構いなしに、これまでと全く同じように話し、缶ジュースを飲む智花。

 絶望的な状況の中、時間だけが過ぎていく。

 そして──

 智花は、最後に言った。

 顔を近づけて来た瞬間感じた微かな磯の臭いと微かに白く濁ったその瞳。





「思い出は永遠だよ」





 くすんだ空。

 黒い海。

 ゆれゆらと蠢く人々。

 割れて軋んだ音を立てるBGMと廃墟と化した海の家──

 俺は、ぼろぼろに裂けて穴が開いたビーチパラソルの下にいた。

 と──


(わぁっ!!)


 尻の下を波が洗う。

 波打ち際は、もう俺の体の真下に来ていた。


(うわあああああああああああぁぁぁぁっっ……)


 もう、声はおろか、言葉にもならなかった。

 みぞおちの辺りが冷たくなって、背骨に沿って冷たい絶望が滑り落ちていく。

 ほどなく──

 腰のあたりまで海に浸かりながら小走りに走る智花が現れ、俺に缶ジュースを渡す。

 錆びだらけの缶ジュースを飲む智花。

 濃い磯の臭いが鼻を衝く。


(智花……)


 時折、飛び散る波の飛沫に顔を洗われながら、俺は智花を見つめる。

 が、智花はこれまで通りに話をし、最後にこれまでとまったく同じように、同じ言葉を言った。





「思い出は永遠だよ」





 ────。

 真っ赤な空と黒い海。

 骨だけになったビーチパラソルの下。

 海の水は、俺の腰の少し上の辺りにまで来ていた。


(あぁ……あぁ……)


 俺は、確実に海の中へと引きずり込まれようとしていた。


(あああっ! あああああああああぁぁぁぁっっ!!!!)


 どれほどあがいても体は動かなかった。

 そして、胸のあたりまで波間に浸かった智花が現れ──

 さっきと同じように俺に缶ジュースを渡し、

 俺の隣で腰の上まで海に浸かってそれを飲み、

 最後にあの言葉を言うのだ。

 錆の塊と化した手の中の缶ジュース。

 思い出の残骸と化した海岸の景色。

 海面に突き出す黒い柱だけになった海の家の残骸からの物なのか、何か金属が軋むような、誰かが泣き叫んでいるかのような耳障りなBGMが周囲を包む。

 噎せ返るほどの磯の臭い。

 俺を覗き込む智花の顔は、ふやけて白くなりその瞳は、死んだ魚のように濁っている。


(もういい! もうたくさんだっ!)


 ──やめろぉぉぉぉっ!!!!





「思い出は永遠だよ」





 それでも──

 何度となく繰り返される四年前の八月最後の日曜日。

 その僅か数十分の出来事。

 その度毎に繰り返されるあの言葉。

 そして、その度毎に徐々に、しかし、確実に上がっていく水位──



「思い出は永遠だよ」



「思い出は永遠だよ」



「思い出は永遠だよ」



「思い出は永遠だよ」



「思い出は──」



「思い出は──」



「思い出──」



「思い出──」



「思い」



 ────



(くうっ!)


 あれから何回同じ光景を繰り返したのだろう。

 いつしか、海の水は鼻の上にまで達していた。

 俺は、首を力いっぱい伸ばして辛うじて水面から顔を出す。


(うっ……くっ……)


 打ち寄せて来る波。

 飛沫が顔に掛かり、俺は必死で顔を水面から出し続けていた。

 息が苦しい。


(ああっ!)


 うぐぅ……


(あああああああああああああぁぁぁぁあぁっ!!!!)


 波が再び顔に被り、水面の下に引き込まれそうになる。

 口に入った海水を吐き出し、俺は喘ぐように息をする。

 もう、いくらも持たない。

 と、遠くの方で、否──

 近くなのか……


(智花……)


 智花が来たようだった。

 もう、話し声はおろか、波の音しか聞こえない。

 そして──

 俺の隣の海面から顔を出した智花が俺の事を覗き込む。

 水にふやけ白く変色した顔。

 その顔にべったりと海藻のように貼り付く黒い髪。

 濁った瞳を見開き、智花は俺を見つめて言った。





「思い出は永遠だよ」





 う……

 うぅ……

 …………………


(うあああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!)


 口に海水が次々と流れ込んで来る。

 そして──

 押し寄せて来た波がついに俺を呑み込んだ。



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