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8話

お読みいただきありがとうございます。

少しずつブクマや評価も増え、とても嬉しいです。

いつもいいねを下さる方、同じ方かはわかりませんが励みになっております。


まだ聖女も恋愛も遠いですが気長にお待ちいただけると幸いです…。



「私がテスパラルに…ですか?」


領邸に来て半月が経とうかという頃、書斎に呼ばれたマリアベルはグラウスの言葉に驚き目を丸くする。

海を挟んだ遠い隣国テスパラルへの移住を提案されたのだ。


「そうだ。勿論あくまでお前の意思を尊重するが、この国では七歳の洗礼を受けない子供は如何な事情があれど正しい貴族と認められない。

 これから手を尽くしフィーガスの子として洗礼を受け登録されたとしてもそれは法律による籍だけの事…周囲の貴族はお前を認めないだろう」


リャンバス貴族の洗礼式は本来の儀式と併せ、慣習として親類や両親の友人知人など招待された多くの参列者が花や贈り物と共に祝福を送る。

これにより新たな貴族の子として認められると共に、成長してからも『洗礼の立会人』、『祝福の受け取り子』として親族に近い縁が続いていく事となり、どれだけ多くの人が参列するかで将来が決まると言っても過言ではない。

男子であればその人脈を生かし出世し、女子であれば良縁に恵まれやすくなる。


よって洗礼式に誰も呼ばないという選択肢はなく、かといって時期を逃した洗礼の為に人を呼べば常識知らずと嗤われ当人ひいては家門への評価を下げる事に繋がり、どれだけ優れていたとしても貴族に足りない者として扱われる。

これは本来の洗礼式から日が空くにつれ影響を大きくする為、その年の内ならまだしもマリアベルの三年は致命的ともいえるだろう。


平民として洗礼を受け貴族家の養子になるという道もあるが、常識のないワケアリ貴族が元平民というレッテルに替わるだけでやはり認められる事はない。

まして侯爵夫人であるリナリアとその娘エリザベスに酷似した容姿は歪な好奇心を持つ貴族達の格好の的だ。


グラウスの説明に、マリアベルは以前から自分がこの国で貴族として生きていくのは難しいと予想はしていた為ショックを受ける事はなかったが、正真正銘の厄介者になってしまったという自覚に視線が下がる。

そんなマリアベルを痛ましい表情で見つめるグラウスだが、振り切るように白く花模様が描かれた封書を机に滑らせた。


「イヴリンの嫁ぎ先の縁者に、養子を探している貴族夫婦がいるそうだ」


イヴリンの署名の入ったその封書は当然ながら既に開封されており、マリアベルはその中に入った一枚の便せんを広げ読み始める。


「テスパラルは元が砂漠の民、厳しい環境において耐え育った者のみを祝福するという意味で洗礼の時期も家々で異なるため今のマリアベルが受けても問題はない。

 養子に関しても友好国に対して寛容で、差別を受けるようなことはないそうだ」


便せんには女性らしい筆致でマリアベルの身を案じる言葉と、養子を勧める言葉が並んでいた。

リャンバスで生まれ育ったイヴリンならば今のマリアベルがこの国でどうなるのか、よくわかっているのだろう。


「 …もしお前がこの国で暮らしたいというなら、平民として洗礼を受けた後この邸で成人まで過ごし、嫁ぎ先を探すか手頃な商会で働く事が出来るよう手配してもいい。

 独学とはいえお前の身につけた様々な国の言葉は商家にとって宝と同じだ。だが…」


グラウスはそこで言葉を切り、真っすぐにマリアベルを見つめた。

正面から真剣な目を向けられたマリアベルは無意識に体を強張らせる。


「商家というものは、商家同士は勿論どこかで貴族とも繋がっている。リナリアやエリザベスに瓜二つのその顔からフィーガスの血族である事を疑い、突き止め、利用しようとする者が出てくる可能性は捨てきれんだろう」

「…そんなに似ていますか?」

「あぁ…エリザベスとは双子と言われてもおかしくない程だ。

 お前の人生はまだまだ長い…ずっとこの国で人の目を気にしながら生きていくよりは海の向こうで健やかに暮らす方が楽だと儂は思う。

 イヴリンの縁者は下級貴族という話だ、リャンバス貴族との接点を避けるのも容易だろう」


グラウスの言葉にマリアベルは目を伏せしばし考える。

半月前は自由を求めその手を取っただけだったが、適切に自身を尊重してくれるグラウスやフェミアと暮らすこの環境はマリアベルにとって既に『家』となりつつあった。

勿論この暮らしがいつまでも続くとは思っていなかったが国を離れる事までは考えておらず、かといってこの国で一生を過ごしたいと強く願うほど愛着があるわけでもなければ二つ返事で移住を受け入れられるほど強かでもない。

まだやっと自分の足で立ったばかりのマリアベルにとって、その選択はあまりに重く残酷なものだった。


「…もし、テスパラルに行ったら…ここには…お祖父様達の元へは帰ってこれない、ですよね」

「勿論そうなる。だがなマリアベル…私達もいずれはリャンバスを出る予定なのだ」

「え?」

「エリザベスが婿を取り当主を引き継げば今度はアベル達が領邸の主となる。それまでに私達が神の国に旅立つ可能性もあるが、もしそうなった時互いに健康であればここを出て隠居貴族らしく優雅に諸国を巡ろうとフェミアと話し合っていてな。イヴリンにもかねてより誘われている」

「…そう、なんですか」

「お前が何処にいようと私達が何処に行こうと、お前は私達の大事な孫娘だ。それが揺らぐ事はない。

 あまり猶予はないが、今ここで決める必要もない…よく考えて決めるといい」

「…はい、お祖父様」






グラウスとの会話を終えたマリアベルは書斎を出てすぐ、待機していたアンジーのワンピースの裾を弱弱しく握った。


「お嬢様?どうなさいました?」

「……ごめんなさい、お部屋まで連れて行ってくれますか?」


感情の発露として涙を零す事はあっても弱音を吐く事のなかったマリアベルの震える声に、アンジーはサッと跪きその体を抱き締めた。


途端に縋るように細い腕で力いっぱい抱き返すマリアベルの背をゆっくりと撫で、そっと抱え上げる。

しがみつき、お仕着せへ埋めた鼻からは石鹸の爽やかで甘い香り以外感じず、マリアベルは自分の内側からこみ上げる何かをそれで埋め尽くすよう只ひたすらに硬く目を瞑った。


領邸は広さこそあるものの目的地を定め迷わずに歩けば数分程度。

無事マリアベルの部屋まで運びきったアンジーは後ろ手に扉を閉め、まだ力が緩むことのない体をあやしながらソファへと座った。


「お嬢様、お部屋に到着しました」

「………」


マリアベルはしばらくの間、顔も見せず声も発しないままアンジーに縋りつく。

そんな石のように固まったまま動こうとしないマリアベルを抱えたアンジーもまた、何も言わずポンポンと一定のリズムでその背を叩いた。



どのくらいそうしていただろうか

まだ真上にほど近い位置にあった太陽が空の果てへと向かい、空が茜を帯びた頃…マリアベルはようやく腕の力を弱め深く息を吐いた。


「…ごめんなさい、アンジー」

「謝る事などございません。…落ち着かれましたか?」

「少しだけ……あのね、」


腕の力は解いても離れず、アンジーの腕の中でマリアベルはポツポツとグラウスから提案された養子入りについて話し始めた。

マリアベルは先ほど話を聞き、内容を覚え、正しく理解した筈だったが一言ずつ言葉にする度に胸が痛くなり、呼吸が苦しくなっていく。


「テスパラルに行ったら、…お、お祖父様とも、…お祖母様、とも……っ」


足場を崩されていくような、次の瞬間にはもう自分ごと全てを見失ってしまうような喪失感。

最初から手に入らなかった母の愛とは違う、一度自分の中に棲みついてしまった愛を失う事への恐れ。

自分の心を砕いてまで全てを受け入れようとしてきたマリアベルが、生まれて初めて感じた拒絶は別れへのそれだった。



保護されてから僅かな期間にも関わらず、領邸で共に過ごす内にマリアベルはグラウスをはじめ領邸にいる人間へ少しずつ心を傾け始めている。

ただ言葉のみで示される愛情や過度な同情とは違う、純粋な優しさと適切な距離感はマリアベルが何より求めていたものであり、それを乾いた土地に水を染みこませるように与えたグラウスやフェミアを失う事は永遠の夜を過ごすのと変わらない絶望だった。



いつかは別れが来るとわかっている。


祖父母が自分を案じてくれていると知っている。


あの提案が最善だと、理解している。



拒絶する一方でマリアベルはグラウス達を信じてもいた。

何があろうと孫娘であることは変わらない、そのグラウスの言葉がマリアベルの崩れそうな心を繋ぎとめ落ち着かせる。


何度も何度も反芻し、同時に深く息を吸い、吐き出し…そうしてやっとマリアベルはぐるぐると回る思考の渦を抜け、自分の中で膨れ上がった黒煙のような恐れ、その中心にあるものと向き合い、そしてーーーー



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