7話
「マリアベル、疲れてはいない?」
仕立て屋のベラを見送った後、フェミアはマリアベルを振り返りそう問いかけた。
昨日から怒涛のように使用人に引き合わされ、その上外部の人間と接するのは緊張したのではないかと考えたが、マリアベルは朗らかに微笑み首を横に振る。
「私は殆どお茶をしていただけなので大丈夫です」
「それならよかったわ。
食べ物もあるそうだから早めにイヴリンの贈り物を検分しようと思うのだけれど大丈夫かしら?」
「はい」
フェミアの視線での指示を受け侍女が退室してから数分後、両開きの扉が左右どちらも大きく開かれた。
侍女や侍従が大小様々な箱を抱え列を成し、特に大きなものは手押し車に積まれ運び込まれていく。
リボンや豪華な包み紙でラッピングされたものもあれば木箱そのままのものもあり、大半が中身はわからないもののとにかく量が多い。数分もしない内に広い部屋の一角に荷物の山が完成してしまった。
「おばあさま…あの、これが…?」
「えぇ、イヴリンからの贈り物よ。
あの子は子供が大好きで、誰か親族に子が生まれると大量のプレゼントを贈るの」
「こんなにたくさん…全部私宛なのですか?」
「そう。今回は特に多い気もするけれど…十年分の誕生日プレゼントも混ざっているのでしょうね。
あぁ、やっぱりあった」
フェミアが手に取ったのは片手に収まるサイズで金色のリボンで巻かれた長方形の箱だった。
渡されるまま包みを開くと今度は布が張られた小箱、それを開けた中にはフェミアの言葉通りアクセサリーが収められていた。
「…綺麗」
それは白く輝く丸い…鉱物を磨いた宝石とは違うまろやかな光沢を宿す、どこか神秘的な石があしらわれた花をモチーフにした美しい髪飾りだった。
「あの子の嫁ぎ先は海の近くだから、きっと真珠があると思ってたの」
「しんじゅ?」
「貝の中で時間をかけて作られる綺麗な石よ。
上品で年代問わず人気があって…うん、貴方にも良く似合うわ」
フェミアは髪飾りを手に取ると、マリアベルの髪にそっと差し込み微笑んだ。
アンジーが差し出した手鏡を受け取り覗いてみると、確かに茶色の髪の中に淡く輝く真珠が映え、どちらもをより美しく見せているように感じられる。
「このくらいの飾りなら普段つけても大丈夫ね」
「そんな、こんな素敵なものを普段使いだなんて」
「大丈夫よ、しまい込むよりたくさん使った方がイヴリンも喜ぶわ
それにマリアベルなら壊したりせず大事にするでしょう?」
「それは、そうですけど……本当に、いいんですか?」
「えぇ」
侍女や侍従たちが次から次へと箱を開け、品物を並べていく間
マリアベルは初めて見る真珠の美しさに、そしてそれを身につけてもいい嬉しさに頬を緩めた。
昨夜マリアベルが寝た後、事の次第とマリアベルの髪色や大人しそうな子だという印象を書き綴った手紙をイヴリンに贈ったがたった一晩でよくここまで集めたものだとフェミアは内心呆れつつも喜ばしく感じていた。
このプレゼントは婚家の財力や繋がりの広さあってこそではあるが、外国人であるイヴリンがそれを自由に使えるという事は当主だけではなく、家門との間に確かな信頼、絆がある事に他ならない。
「わぁ…!大きなクマのぬいぐるみ!」
やがて荷物の最後、一番大きな包みを開けて出てきたのはマリアベルの背丈と大差ない大きなクマのぬいぐるみだった。
ぬいぐるみと言えば片手で持てる程度の大きさのものしか知らなかったマリアベルにとってそれは規格外ともいえる大きさで、そんなものを目の当たりにしてしまっては大人しいマリアベルと言えど歓喜の声が抑えられずその気持ちのままにクマを抱き締めた。
ふかふかの手触りとしっかり詰められた中綿は感激したマリアベルが抱き締めても潰れることなく、どっしりとその衝撃を受け止める。
「アクセサリーにお菓子、向こうの食材にぬいぐるみ…絨毯やクッションまであるわね。
食品は厨房へ、他のものはすぐに使えるものだけマリアベルの部屋へ運んでそれ以外は保管庫に。
あまり上等なものはもう少し成長してから渡せるよう纏めて頂戴」
使用人へテキパキと贈り物の処理を申し伝えたフェミアは未だクマを抱き締めたまま離れないマリアベルを見つめた。
フェミアの視線に気付いたマリアベルは慌ててクマから体を離し傍らに立つアンジーの様子を伺う。
「…アンジー、あの、この子はベッドに運んでください。
大きなベッドだから一緒に寝ても大丈夫でしょう?」
「かしこまりました。クマ用の枕も準備しておきしょうか?」
「は、はい!お願いします」
(イヴリンがこのくらいの時にはもうクマは幼いから嫌だと駄々をこねていたと思うけれど…)
今まで娯楽も少なく制限された中で生活してきたマリアベルをフェミアは諦めてしまった…諦めの末に自己を抑え達観せざるをえなかった子供だと考えていたが、まだ子供らしい部分も残っているようだった。
しかし、その表情の移り変わりや周囲へ気を遣う様は子供特有の気まぐれなものとは違い、まるで心が壊れた者のようなひどく不安定なものに感じられた。
不遇な環境に置かれ年相応よりも大人びてしまったマリアベルの中に、未だ成長できていない幼いマリアベルが垣間見える。
生まれてからずっと傷つけられ続け、自分を守るため必死だったのだろう…あの時見つけていなければマリアベルはこの先どうなっていたか。
フェミアは締め付けるような胸の痛みを感じながら、マリアベルの小さな頭を優しく撫でる。
「…マリアベル」
「はい、お祖母様」
「後でイヴリンにお礼の手紙を書きましょうね。お礼の手紙をもらうと、あの子は一番喜ぶのよ」
「はい、是非」
フェミアにとってマリアベルは突然現れた孫娘だ。
死産の報せが届いたあの日、義娘であるリナリアを心配しつつもやはりショックは隠せなかった。
リャンバスでは死産の場合葬儀を行わずそのまま埋葬される為、懐妊を告げられた時からずっと心待ちにしていた孫と一目会う事もできないまま、何日も過ぎてから小さな墓石の前でグラウスと並んで涙したのがつい昨日の事のように思い出される。
翌年にエリザベスが生まれ、健やかに成長している事に救われていた。
世界を見られなかった初孫の分まで大事にしなければとそう思いながらこの十年を生きてきた筈だったというのに、こんな形で裏切られるなど夢にも思わなかった。
今後マリアベルをどうするか毎晩グラウスと共に考えてはいるが、それと共に未だ何の動きも見せない息子アベルに対してもどうすべきか…フェミアは内心小さくため息をつく。
その後、贈り物を片付けた部屋で用意されたレターセットを使いマリアベルは手紙をしたためた。
文面こそフェミアに都度聞きながら考えたがペンを持つ手は大人と遜色ないほど滑らかに便箋の上を踊り、綴りも一切の間違いなく記されていく。
しかもそれはリャンバスの文字ではなくイヴリンが暮らす隣国テスパラルのものだった。
「まぁ…マリアベル、貴方どうしてテスパラル語を書けるの?」
「離れで暮らしている間、ライラが本を持ってきてくれたんです。
その中に子供向けのテスパラル語の教本があって…本もそんなに多くなかったので、何度も読むうちに覚えました」
昨日まで暮らしていた離れの家の中で、マリアベルは生活の殆どの時間をライラが持ち込む本を参考に勉強をして過ごしていた。
街の古書店で購入したらしい本達はジャンルも言語もバラバラだったがマリアベルは時間をかけてそれらを理解し、今や数か国語の読み書きや算術などを身につけるに至り知識だけで言えば偏りはあれど同世代の子供よりも進んでいると言える。
しかしその独自の学習は会話など実践的なものが欠けており、更に行動範囲の制限により体力や筋力など身体面での発育に不安を残しているのだが…まだ成長途中だと考えればいずれ消化される問題に過ぎないだろう。
フェミアは別の紙にリャンバス語を書かせ、それも子供とは思えない程整った字で綴りにも間違いがない事を確認するとまたしても感嘆の声を漏らした。
その夜、夕食の席でフェミアが2ヵ国語の話をするとグラウスは盛大に褒めた後、眉間に皺を寄せフォークを止めたまましばらくの間考え込んでしまった。