55話
前回にいいねや評価ありがとうございます!
お久しぶりです。
少し期間が開いてしまいまして、もし楽しみにしてくださる方がいらっしゃいましたらすみません(;´・ω・)
構想はどんどん固められているんですが、いかんせん仕事などでパソコンに向き合う時間が取れず…
合間に書いていきますので、気長にお待ちいただければ幸いです。
ノエミはアラニス家の第二子で唯一の女子だ。
元々アラニスという血筋は男子を授かる確率が高く、一族に女子が産まれたのは実に四代ぶり。
当時はまだリャンバスから嫁いできたイヴリンをよく思わない者もいたがノエミの誕生はそれを完全に好転させるほどに慶事だった。
その為生まれてからずっと、ノエミは主家の姫として丁重に扱われてきた。
癇癪を起こしたり我儘を繰り返すノエミを両親は諭し叱ったが、両親以外が幼子だからと受け入れ叶えてしまったせいで三歳を越える頃には自分はこの世で一番大切にされる存在なのだと言う自覚すら芽生えていた。
このまま育ったらどうなってしまうのか。イヴリンは娘の成長に良くないと過度な甘やかしをする親族から距離を置こうとしたが主家が分家を蔑ろにすれば一族が割れてしまう。
兄であるエルナンドにすら舌ったらずながら生意気な口調で話すノエミに夫婦で悩む日々が続いた。
そんなノエミが変わったのは、イヴリンが三人目のマルシオを身籠った時。
悪阻で苦しむイヴリンを見たノエミは不思議そうに問いかけた。
『なんでかあさま、つらいのに やめないの?』
その頃のノエミは嫌な事やつまらない事に直面してもすぐに楽な方へ逃げていた。
嫌いな野菜は好物に変えさせ、父からの叱責も一族出身の使用人に泣きつけば大丈夫。
だから母もそうすればいい、心からそう思っていたのだ。
しかしイヴリンは繰り返す吐き気から仄かに青い顔を悲しげに歪ませ、ノエミの小さな頭を撫でた。
『そんな事を言ってはいけないわ。
母様はこの子に会いたいから頑張っているの』
『でも…』
『いま母様が止めてしまったら、この子と会えなくなってしまう。
貴方がお腹にいた頃も貴方に会いたくて頑張ったのよ』
まだ膨らみのないお腹を撫でるイヴリンの表情はノエミに小さな衝撃を与える。
母としての慈しみに溢れたその微笑はノエミの周囲にいたどんな女性よりも美しく、どんな男性よりも強く感じた。
『…ノエ、かあさま だいじょうぶしたい』
ノエミは、いつもイヴリンから大丈夫と頭を撫でられてきた。
転んで痛みに泣く時も、風邪をひいて熱で苦しい時もイヴリンは必ず大丈夫だと安心させるように微笑んでいた。
それを、自分がしたい。
ノエミが初めて他者に対して優しくしたいと感じた瞬間だった。
『ありがとう、ノエミ。
でも母様は大丈夫だから、この子に大丈夫してくれるかしら?』
『おなか?』
『母様のお腹にはね、まだ名前は決めていないけれど、貴方の弟か妹がいるの。
元気に大きくなるためにこの子も頑張ってるのよ』
恐々ノエミがイヴリンの腹に小さな手を当てる。
当然まだ胎動などはわからないが同じようにお腹に当てられたイヴリンの手はノエミの頭を撫でる時と同じように暖かで優しい。
『………だいじょうぶ、だいじょうぶよ』
顔も見えないどころか存在しているかどうかもわからない存在を、母の腹越しに撫でる。
そうする事で本当にお腹の中に自分にとって大事なものがいるように感じ、ノエミの手と声は優しさを帯びていく。
その日から、ノエミは一族のお姫様ではなくアラニス家の長女へと大きな成長を遂げた。
「それで、プディングよりも焼き菓子が好きだって教えてくれて…」
「そう。じゃあマリアちゃんが来ると時は多めに用意してもらいましょうか」
「は、はい」
思い出すように、記憶の中の少女の輪郭をなぞるように頬を薄く色づかせながら語る弟、ルカの表情は初々しくて眩しい
。
末の弟は内向的で、そういう性質なのだと気付く前はとにかく楽しませなければと自分の好きな遊びに付き合わせてしまった。
コミュニケーションの一環としてよく揶揄ってもいたが、それが悪手だったと気付いたのはかなり時間が経ってから。
優しい姉にシフトしようとしたこともあったがルカ本人から「逆に怖いです」と言われたので取り繕うのをやめて、素のままの姉を続けている。
苦手意識を持たれている事も知っているが、こうして聞き出せば初恋を語ってくれるのなら少なくとも嫌われてはいないのだろう。
ルカも自分も、いずれ家を離れていく。
自分の場合は一族を出る事になるから、接点もかなり減ってしまうかもしれない。
可愛い弟をこうして正面に見ながら話せる機会もそう多くない。
…マルシオともなるべくこんな時間を過ごしたかったけれど、少し前に領地に送られてしまった。
あの子が何をしたのか両親に聞いても教えてもらえなかった。でも最近は確かに良くない変化が訪れているようだったからきっと両親なりの考えで送ったんだろう。
一年後には、明るくてちょっと無鉄砲な、可愛い弟が戻ってくる筈と、そう願っている。
「マリアちゃんはどんなお茶が好きかしらね」
湯気と共に立ち上るマスカットのような豊かな香り。
我が家では母の実家から送られてくるこのお茶が定番だけれど、テスパラルでは高位貴族の趣味人が楽しむ程度にしか流通していない。
彼女が我が家に来るときには普通のお茶を出した方がリラックスできるかもしれない…母に後で伝えてみようか。
もちろん母のことだから、既に手を打っているだろうけど。
「…今はどのくらいでしょうか…」
お茶の話なんて聞こえてないみたいにソワソワと視線を何度も窓に向けるルカ。
確かに両親が出発してから随分経つ。もう洗礼式が始まって聖堂の奥に入る頃かもしれない。
「ルカったら、貴方が緊張してどうするのよ」
「そ、それはそうなんですけど…」
「礼儀正しくていい子なんでしょう?なら、」
―――――――――ゴォン
大丈夫よ、と言いかけた矢先に大きな音が響いた。
――ゴォン――ゴォン―――
聞いたことがない、ガラス越しでも聞こえる鐘の音。
きっと屋敷中に響いているんだろう、壁の向こうからは使用人達の困惑する声も聞こえてくる。
この王都でこれほどまでに大きな音を響かせる鐘はひとつしかない。そして、それを鳴らせるのも一人だけ。
「ねぇルカ、今のって」
ルカの榛色の目は今度こそまっすぐに窓を見つめていた。
窓からの光を受けてキラキラと宝石のように輝く瞳は硝子板の向こう、聖堂へ向けられている。
「……マリアが、聖女…?」




