47話
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今回はマリアではなくフェルディナンド側になります!
マリアが聖女として覚醒したことで、聖堂内はもちろん鐘の音が聞こえる範囲は大きな騒ぎとなった。
洗礼を受けているのがかつて鐘を鳴らしたフェルディナンド・ランティスの孫娘だと人から人へ伝わり、今度こそ間違いなく聖女だと多くの平民が一目その姿をと聖堂に押し寄せ始めたのだ。
それに対し貴族は屋敷から出る事をせず、窓越しに祈りながら聖堂の方向を見つめるのみ。
波の聖女エリアナをはじめとしたこれまでの聖女は国を問わず徹底して権力から遠ざかり、切り離されてきた。
民を救う為に手を取り合う事はあっても阿ることはなく、高位貴族の出身者だった聖女の中には利用せんとする家から幼い身一つで出奔した者もいるほどだ。
いつの間にかできあがった聖女に対し権力を向けてはならないという不文律は各国の貴族の中でも共通認識となっており、特に敬虔な信徒が多いテスパラルでは深く刻み込まれている。
更にそれに拍車をかけたのがフェルディナンドの一件だ。
聖堂に認められなかったとはいえ聖女に近い存在である彼を権力で手に入れようとした王女。その非常識な行いは王家の求心力を著しく下げ、王女自身の転落も相まって貴族達にとっての戒めとなった。
平民に紛れて見に行くくらいなら、と駆け出そうとする子息や令嬢の逸る気持ちすら許されることはない。
つまり、今聖堂の前にいるのは平民や神職に就く者のみ。その筈だった。
「黒鷲に短剣…第三王子ですね」
聖堂から表に出たフェルディナンドとレオポルドは人の波を強引に進んでくる四頭立ての豪奢な馬車を見つめる。
王家の印である黒鷲と武器の意匠はテスパラル王家の男児に授けられるもので、今その中でも短剣を紋章としているのは王太子と母を同じくする第三王子、エンリケだ。
「馬鹿のエンリケか。成人して少しはまともになったかと思ったが…」
「結婚させられる前に王太子殿下を追い落とそうと必死なのでしょう」
テスパラル王家の王子は三人。
王太子として国政に携わる第一王子アルフォンソ
兄を支える為に王家へ残る第二王子クラウディオ
貴族家への婿入りが決まっている第三王子エンリケ…他にエンリケの双子の妹王女も一人いるが、彼女は既に侯爵家へ降嫁し継承権を放棄している。
四人の内三人…王太子とエンリケ、王女は正妃の子だが第二王子は側妃の子。
皆大して歳は離れておらず、ミランダの姉が嫁いだ王太子はもちろん未子のエンリケも成人して久しいため、その年齢はマリアよりもその親に近いほどだ。
「もう勝ち目などないはずですが…」
アルフォンソの立太子から既にもう何年も経っている。子も生まれ、最早次期王の座は揺るぎないと思われているがエンリケにはそうではないのだろう。
婿入りにより、継げもしない王位が継げなくなるのを回避しようと躍起になっているともっぱらの噂だ。
「聖女の鐘を幸いと思ったか、恥知らずが」
蹄と車輪が石畳を叩く音と共に怒号で民衆を散らしながら聖堂の前に停まった馬車は仰々しくラッパでその到着を知らせる。
それは確かに王族の登場に相応しいものだが今はそれを許される場面ではない。
「皆の者!エンリケ第三王子殿下のお越しである!」
馬車の周囲は侍従の声に静まり返り、王族を間近で見る機会のない平民達は作法もわからず顔を見合わせる。
ややあって馬車の扉が開きエンリケが姿を現した。
「………なんだと?」
ポツリと、エンリケを見たフェルディナンドが零す。
「またご立派になられたようだ、転がったほうが早いでしょうに」
レオポルドも溜め息混じりに縦と横の比率を間違えたようなエンリケの体格に苦笑を漏らした。
現役を退いて以来王家が催す夜会から距離を置いていたフェルディナンドは目にする機会がほぼなかったが、侯爵として顔を出していたレオポルドにとってはもう見慣れたもの。
婚約者とその家が甘やかしたのか…はたまた手に負えんとストッパーの役目を放棄したのか、婚約して以降エンリケの身体と自尊心は膨らみ続けている。
国王夫妻や王家の面々が危機を感じとった頃には既にエンリケの頭から我慢という言葉は消し去られてしまい、王太子と同じ血を持ち恵まれた環境で育ったにも関わらず愚鈍に退化していくエンリケは今や王家の悩みの種となっている。
「出迎え御苦労、聖女を早う連れてくるがよい」
たった数歩の移動にも関わらずゼェハァと息を上げるエンリケの姿はまるで出荷間近の豚のよう。
侯爵家の当主でありテスパラルきっての富豪であるレオポルドに対し使用人に向けるような視線をやり、顎で使おうとするエンリケに扉を護る聖騎士は息を呑んだ。
当のレオポルドは口角を上げ、にこやかな表情をエンリケに向ける。しかしその口から出たのは真っ向からの拒絶だ。
「どうぞお引き取りください、第三王子殿下。
聖堂では今我が一族の娘が洗礼の只中でございます」
「は?」
「洗礼の場は何人たりとも穢してはならない、誰もが知ることでしょう」
洗礼は本来親族や招待客以外を排して行われるもので、洗礼式の予定がある日は前もって告知され巡礼者や旅人など一部を除きその日を避けるきまりだ。
首都の聖堂ともなると日課に礼拝する者もいるためそこまで厳密にできないが、儀式が始まった時点で出入りは禁じられるため殆どは自主的に開始する直前で退出している。
今聖堂の中にいるのは招待された参列者と、外国から来た旅の老夫婦や数人の巡礼者のみだ。
「わざわざ聖女を迎えにきてやったのだぞ!無礼者め!」
一歩、踏み出し近づこうとしたエンリケの足の先が縫い留められる。
「む!な、なんだこれは!動けん!」
いつの間にか濡れていた石畳が靴底を離すまいと凍り付いていた。
レオポルドは横に立つフェルディナンドを見たがその手にある杖は確かに一度も振られていない。詠唱も動作もなく水のない場所に水を呼び、日差しの元で凍らせたのかと気付いたが、レオポルドの記憶ではフェルディナンドに氷の属性はなかった筈。
では何故、と横目ながら観察すると彼が握る杖に前まで無かった…しかし見覚えのある色の魔宝石が埋め込まれているのが目に入った。
本来なら使えない筈の属性を魔宝石によって己が力とし、その上で繊細かつ高度な魔術を行使しているのだと知りその底知れなさに内心で舌を巻く。
しかし当の本人は表情も顔色も変えず、冷たい目でエンリケを見据え口を開いた。
「王家に泥を塗る前に疾く帰れ、痴れ者めが」
「貴様…聖女もどきか!僕を痴れ者だと!?貴様の不敬を孫で帳消しにしてやろうというのにこれ以上不敬を重ねるか!」
「孫娘を差し出さねばならんような不敬を働いた覚えはない、辱められた覚えは多大にあるがな」
「その不遜な態度のみならず、アンリエッタ伯母上の求めに応じず王家にその魔力を入れなかったのだろう!不敬どころか反逆罪に問われてもおかしくないのだぞ!」
敬うに値する者にしか頭を垂れることはないフェルディナンドの態度は確かに不敬にも感じられるだろう。
しかし、光魔法という稀有な物を含む多くの属性と膨大な魔力、それらを巧みに操る技術は騎士団に身を置いていた頃から今まで他の追随を許していない。アンリエッタの暴走がなければ王家お抱えの魔導士として望まれた筈だ。
類まれな才能を持つフェルディナンドだからこそ、王の認めを得てその態度が許されている。
まして王女アンリエッタが巻き起こした騒動の純然たる被害者であるフェルディナンドに対し王家側が不敬や反逆の罪を問うなど非常識極まりない話だ。
「罪というのならそちらであろう」
「い、言うに事欠いてこの僕を罪人だと!?」
「手出し無用の聖女を使い既に王太子が座るその座を狙う、これ以上の罪はない。
アルフォンスを王太子に決めた陛下への叛逆でありグラダファ神への不遜だ」
フェルディナンドは一歩踏み出すが、エンリケとの距離が縮まる事はない。
口の端から泡を零し唾を飛ばしながら吠えるエンリケは気付かないが、その足は下の水ごと少しずつ後退させられているのだ。
フェルディナンドの胸元で輝く百合のブローチは彼が放つ冷気で氷でできた花のように変化している。それほどの怒りが、マリアと彼女に重なる幼い自分を護らんとする意思が細いその体から迸っていた。




