37話
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「…すぅー…はぁ…」
洗礼式を翌日に控えたマリアは今胸を高鳴らせながら母と共に玄関で人を待っている。
アラニス侯爵家の傍系であるランティス家は分家の際に領地も割譲されており、大きくはないものの土地持ちの貴族だ。
現在は前子爵かつ設定上マリアの祖父にあたるフェルディナンドが使用人と共に領地で暮らしながら王都で暮らすアントニオの代理として治めている。
アントニオも領主として様々な報告書に目を通し年に何度かは領地で過ごすが、騎士団に勤めている為基本は王都で暮らさざるを得ないのだ。
そして今日、その前子爵フェルディナンドがマリアの洗礼式に参列する為はるばる領地からやってくる。
「お母様、私の格好おかしくないでしょうか?」
立場としても、設定としてもフェルディナンドの孫娘となるマリアだが実際対面するのは初めてなせいか、緊張から頻りにワンピースの裾を直し眼鏡や髪型を気にしている。
そんな娘に苦笑いを浮かべながらミランダは小さな頭をそっと撫でた。
「えぇ、マリアちゃんはいつも通り可愛いわ。
それにフェルディナンド様は変わっているところはあるけれど優しい方だもの、そんなに緊張しなくても大丈夫よ」
「はい…ですが、やっぱり緊張してしまいます…」
マリアにとって今日のフェルディナンドとの顔合わせは非情に大きなハードルといえるだろう。
本来であれば他の親族と同様に当日やってきて洗礼式とお披露目に参加するだけでいいところを、アントニオが前日に顔を合わせるタイミングを設けてくれたのだが、その理由はマリアの生い立ちと養子入りの真実を共有すること…。
真実を知る者は極力減らした方がいいとは言え、未だ社交界に出入りするフェルディナンドに真実を隠したままというわけにはいかない。
フェルディナンドが何も知らないままリャンバス貴族も参加する夜会にマリアを連れて行けば、フィーガス家との相似を見破られ真実が明るみにでるかもしれない…そうなれば、関わっている家全ての醜聞となるだろう。
万が一への対策として真実を共有する決めたが…突然現れた孫娘をフェルディナンドは受け入れるのか。
リャンバス貴族の血筋を持ちながら冷遇とも言える扱いを受け、海を渡ってきたマリアは彼の目にどう映るのか。
「フェルディナンド様ならきっと理解してくださるわ」
「………はい…そうだといいのですが」
「私ったら、少し余計な話をしすぎちゃったみたいね」
ミランダが言葉を重ねても晴れないマリアの顔には理由がある。
前子爵フェルディナンド・ランティスは魔法に長けた快活な人物として知られているが、その反面突飛な行動や発言をすると聞かされているのだ。
夜会で人に囲まれ紳士として振舞っていたかと思えばワインの味が気に入らないと顔を顰め、次の瞬間には転移魔法で城下に跳び大衆酒場で安酒のジョッキを煽り朝帰りをしてくるような人物の思考回路は実の息子アントニオでも理解できず、頭を抱えた場面も多々ある。
アラニス家に嫁入りしたミランダにとってはよい義父であり、『多少』の癖はあるが善い人物だと信頼もしているが、まだ両親から聞いた話以上を知らないマリアはワインのように気に入られなかったらどうしよう、と戦々恐々といった心境だ。
ややあって聞こえた馬車の音に、マリアは俯いていた顔を上げた。
ランティス家の家紋が掲げられた馬車がスピードを下げ、馬車止めへと止まる。
(あの中に『お祖父様』が…)
緊張で足を震わせ、祈るように組まれた両手をぎゅっと握りしめながらマリアはその馬車の扉が開くのを待った。
やがてゆっくりと扉が開きチョッキ姿の小柄な人物が現れたと思ったが、その姿は次の瞬間マリアの視界から忽然と消えた。
「え?」
「ほほーぅ、君が私の孫娘か」
「ぴゃっ!?」
背後から聞こえた声に振り返ると、先ほど遠目で見えたチョッキ姿の紳士が立っていた。
勿論マリアよりは大きいが、大柄なアントニオより随分細く、女性の中でも高身長なミランダよりやや低い背丈。長い白髪交じりの黒髪をゆるりと纏め片眼鏡の向こうの一重瞼はどこか飄々とした雰囲気を漂わせている。
髪色や体格、雰囲気のどれもアントニオとは似ていないが、瞼の奥で輝く瞳の色は炎のように赤く、アントニオの…アラニス家に由来する髪を彷彿とさせた。
上質なボルドーのシャツに黒いチョッキにスラックス。
ループタイについたルビーにはフェルディナンドの証なのか、海亀と星が彫られている。
胸に差した精巧な白百合のブローチ以外は全体的に暗い色調でまるで執事のような姿だが、上品かつ洗練されたそのスタイルはフェルディナンドという人物にはこれ以上な飾りなど必要ないと言わんばかりに似合っている。
「お義父様ったら、びっくりさせないでください」
「ははは、可愛い孫娘に会えると思ったら勢い余ってしまってな」
転移に慣れているのか、ミランダはため息をつきながらそっとマリアを抱き寄せた。
緊張を驚きで上書きされてしまったマリアだが母の腕の温かさに少しずつ平静を取り戻し、頭の中で数を数えながらそれに合わせ静かに深呼吸を繰り返す。
突発的なアクシデントには落ち着く事が大事だと、母から教わった対処法により表情からを均していくマリアの様子をフェルディナンドは愉快そうに目を細めて見つめている。
それが見定める視線なのだと気付いたマリアは改めてフェルディナンドに向き直るとワンピースの裾を持ち上げカーテシーをとる。
「大変失礼いたしました、お祖父様」
「なに、私が驚かせたせいだ、気にすることはない。
それよりも名を聞かせてくれるかな?」
「はい。マリア・テオドラと申します」
「名を二つ持つか。うむ、どちらも良い名だ。
土産にランティス領で作っている菓子を持ってきたが、甘いものは?」
「甘いものは大好きです、ありがとうございます」
「それはよかった、ミランダにはいつものワインを持ってきたから夜にでも飲むといい」
「ありがとうございます、お義父様」
以前フェルディナンドが暮らしていた際に気に入っていたという草花が多く茂るサンルームは、現在ミランダの手ほどきを受けながらマリアも植物の世話を手伝い始めている。
真実を話す場が重い空気にならないようにとこの場を選んだが、ガラス張りの空間や咲く花の鮮やかさは解放感を演出し、確かにその役目を果たしてくれるだろう。三人の内マリアだけは僅かに緊張を見せながらだが比較的和やかな雰囲気で着席する。
ランティス家で長く勤めている使用人はフェルディナンドの好みも把握しているらしく、供された紅茶にはミランダと同じように小さなピッチャーで洋酒が添えられている。
マリアの前には当然洋酒などないが、同じサイズのピッチャーでミルクと、フェルディナンドの土産である干した果物を混ぜ込んだ素朴なケーキが一口大にカットされた状態で並んだ。
「…あの、お義父様」
母親として自分から話をする、そう宣言していたミランダが胸を逸らせながら口を開くとフェルディナンドは徐に手を掲げ、指を鳴らした。
「っ…!?」
その瞬間、マリアは自身の体を何か見えない力が通過したように感じ凍り付く。
「防音魔法だ、気にすることはない。
なるべく知る者は少ない方がいいと思ったが、違うかな?」
「…いえ、その通りです。お義父様」
「アントニオには私から言ってくが、少々脇が甘いようだ。
守るならもっと人を疑い、手を尽くした方がいい」
「はるばるリャンバスから迎えた大切な娘なのだろう?」




