34話
あけましておめでとうございます!
今年も七つ指の聖女をよろしくお願いいたします。
長いと思っていた年末年始のお休みも終わり憂鬱な方も多いかと思いますが一服になればと思います。
広場から馬車は職人街の目抜き通りにあたる、高位貴族向けの高級店が軒を連ねる通りを闊歩し、その中でもひと際大きな建物の前で停まった。
明らかに周囲の店とは違う、風格すら感じるその佇まいにマリアは馬車の窓と母の顔を二度三度と見比べ、まさかここなのかと声を震わせた。
「そうよ?」
「ひぇ、」
微笑むミランダの表情は当然の事だと言わんばかりで、マリアは絶句する。
ランティス家はアラニス侯爵家と縁が深いとはいえ子爵、つまりは下位貴族だ。とても目の前の高級店で仕立てていいような身分ではない。
「フフ、心配しなくてもここでお願いするのは今回だけよ」
マリアの顔色が悪くなった事に気付いたのか、ミランダは悪戯を止め苦笑を浮かべる。
「マリアちゃんのドレスをお願いされたマダムがここで働いているの。
年が明ける頃には契約終了して、自分のお店を構える事になっているから次からはそちらに行く事になるわ」
「お願い…された?」
「さ、行きましょうか」
言葉の違和感に首を捻るマリアを他所に、ミランダはその小さな手を引き馬車から降り立った。
扉から出てきた貴族夫人とすれ違う事になったがミランダはマリアに小声で顔を見せないように囁く。
母の言葉通りやや深めにカーテシーをとったマリアは元から小柄なせいもあってか、その夫人が身を屈めない限りは顔を見られることはないだろう。
「まぁ!ミランダ様ではありませんか」
「ご無沙汰しております、アリエル様…失礼いたしました。今はデラクルス夫人でしたわね」
「私達の仲でしょうに、そんな呼び方なさらないでくださいな。
でも…確かに今はお互い慣れぬ所におりますし、寂しいですがそういうものなのかもしれませんわねぇ、ランティス夫人」
「えぇ、寂しい限りですが…」
頭上で行われる会話は耳で拾う限り内容自体は友好的だが、マリアは相手…デラクルス夫人という人物の声にわざとらしさを感じ取る。
マリアにとって優しく優雅な声音に練りこまれた『それ』の意図はわからずとも、仲がいい人物に向けるものではない事だけはハッキリと理解できた。
「そういえば養子を迎えられたのだとか?」
「はい、良いご縁に恵まれました」
「それはなによりですわ、友人達も皆心配しておりましたのよ」
「ご心配ありがとうございます」
「そちらがお嬢さん?」
「えぇ、まだ洗礼前なのでご挨拶は叶いませんがどうぞよろしくお願いいたします」
ウッ、とマリアは顔を伏せながら音もなく息を呑む。
洗礼前の子供は公にはされていない、言わば存在していない子供だ。
しかしその感覚も今ではかなり薄まり洗礼前であってもその家の子供として扱う家も多く、他家に行く事はできないが顔を合わせれば挨拶もする。
事実、マリアは先日客人としてランティス家に招かれたミランダの友人には顔を合わせ挨拶している。
それをわざわざ言葉にして挨拶を避けさせる、というのは『挨拶を許す程の間柄ではない』と言っているも同義だ。
社交界では唇を盾や刃にして戦うと教えられていたマリアは今、母がその刃を構えたのだと気付く。
「…あら、それは残念ねぇ」
「グラダファ神の認めを頂いた際には改めて紹介させていただきますわ」
「そうですわね、楽しみにしております」
「えぇ。お引き留めして申し訳ありません、お会いできて嬉しゅうございました」
「私もですわ。では、ごきげんよう」
一見にこやかな会話が終わった後、気配が遠ざかりミランダから声がかかるまでマリアは顔を上げる事はしなかった。
「マリアちゃん、もう大丈夫よ」
「はい」
「ごめんなさいね、まさか会うとは思わなかったから」
「いいえ…今の方は?」
「デラクルス公爵夫人よ、昔はよくしてくださったのだけれど…とりあえず入りましょうか」
他者の人となりを店の前で話すほど無礼な事はない。
ミランダがマリアの手を引きゆっくりと店の入り口に続く階段を上ると、扉の横に立っていた若い男が恭しく礼をとり扉を開けた。
そのまま個室へと案内され、担当者が来るまでの間にと簡易だが上質なティーセットを供される。
「…デラクルス夫人はね、ご実家が伯爵位だったの。
私の実家も姉の王家入りが決まるまでは同じ伯爵家で、騎士学校に入るまではお茶会でよくお話していたわ」
アリエル・デラクルス夫人はかつて王太子の婚約者候補に挙がった事もあるほど優れた淑女だった。
マリアは今回直接見る事ができなかったが、オリーブ色の髪と深紅の瞳を持つ美しい容姿は今でも社交界で一、二を争う美貌だという。
そしてミランダとは、互いの屋敷が近かったこともあり、幼馴染とも言える関係だった。
茶会で顔を合わせれば互いに駆け寄り、真っ先に言葉を交わし終始お喋りし続けていた事もある。
同じ年に生まれたせいか教育も同じペースで行われていた為わからない点があると手紙を送り合い、切磋琢磨を重ねてきた。
しかし、同じように王太子の婚約者候補としてミランダの名が挙がるとその関係は破綻してしまった。
「私は拒んだのに条件を満たしているからって、殿下が圧をかけてきたの。
騎士学校もあわや退学させられる所だったわ」
王家に入る者は男女問わず、家格と基準を満たす魔力が求められる。
これは貴族同士の婚姻でも同じ条件が適用されるが、爵位を越えた婚姻はどれだけ愛し合っていたとしても爵位が二跨ぎ以上離れている場合認められる事はない。
王家に入るとなれば公爵、侯爵を跨いだ伯爵家までとなり、特殊な場合を除きその基準は上下関係なく適用されるものだ。
『波の聖女』が生まれたテスパラルという国は彼女の遺した様々な魔術を元に発展してきた。
魔術は魔力がなければ使えず、その魔力をできるだけ高い水準を保ったまま後世へと繋げる為、貴族の婚姻には制約が掛けられている。
婚姻を結ぶ為の養子縁組も魔力の基準を満たしていない限りは許可されない。
ミランダとアリエルは家格こそ同じだが、魔力は騎士学校で鍛えた分ミランダが、教養や淑女としての振る舞いなど魔力以外ではアリエルが秀でていた。
どちらかといえばアリエルが優勢でほぼ決まりだろうと言われていたが王太子はそれに反し、ミランダこそが本命であると言わんばかりに足繫く彼女の家に通った。
婚約していない以上二人で過ごさせるわけにはいかずミランダの姉も含めた三人で共に多くの時間を過ごすようになると世論もやがて傾いていき、そして…
「殿下は我が家に婚約を申し込まれたわ。
婚約を認める国王陛下直筆のお手紙と、抱えるのも大変なほど大きな花束を携えて……私の姉の前に、跪いたの」
「まぁ…っ」
ミランダの姉が現王太子妃である事は、マリアも早い段階で知っていた。
結末を知っている以上そうなるのだろうと考えてはいたが実際に当事者の口から聞かされると不思議と驚きに似た感覚を覚える。
「殿下は小さい頃お茶会で出会ったお姉さんをずーっと忘れられなかったの」
「伯母様はご存じだったのですか?」
「薄々気付いていたし満更でもなかった…と思うけれど、婚約を申し込まれるとは思ってなかったでしょうね。
私としては殿下の初恋に振り回されて騎士の道も塞がれかけたし、大事なお友達も離れてしまったしで踏んだり蹴ったりよ」
「……もしかして、デラクルス夫人は殿下を」
本当に好きだったのか、と問いかけた声はミランダの白い指で遮られた。
曖昧だが寂しげな笑顔を浮かべる母に、マリアは続きを聞く事を諦める。
きっと少年が初恋を叶える影で、少女の想いはなかったことになってしまったんだろう。
そして二人の少女の間にあった友愛も消えてしまった。
「…お友達だったあの子を悪く言いたくはないけれど、マリアちゃんも気を付けなさい。
女の子の気持ちいうのはどれだけ時が経っても形を変えて、いつまでも底の底で燃え続けているものだから」
「……はい」
公爵家と子爵家、ちょうど『二跨ぎ』の上と下に分かれた二人の人生が重なる事は今後ない筈だ。
それでも気を付けろと言葉にする意味にマリアは重々しく頷いた。




