24話
フィーガス邸に比べれば小さいが子爵家という家格で言えばかなり大きい部類に入るその屋敷は比較的新しく建てられたものらしく、積み重なった年月が齎す重厚感などはあまり感じられない。
「私の父が結婚し、アラニスの祖父から子爵位を継いだ時に建てたものだ。明日にでもミランダに案内してもらいなさい」
淡い桃色やオレンジといった暖色で纏まったファブリックや生け花は無骨なアントニオや芯があり凛としたミランダと見合わない、やや少女趣味なもののように感じられ、マリアベルは手を繋ぐミランダを見上げた。
養母として顔を合わせてからしばらく経つが、ミランダは未だ新鮮に感動するのか、マリアベルと目が合うと頬を染めぎこちない微笑を返す。
その単純な見た目からはわからない愛らしさにマリアベルはこの屋敷の雰囲気を作り上げたのは母なのだと理解した。
ミランダもかつては女性騎士として剣を振るっていたらしいがマリアベルにとってはただ優しく、愛らしい女性だった。
「到着してすぐにすまないが…先に少し話をしよう、その、私達の縁組について…」
「はい、お父様」
応接間に通され、大柄なアントニオに合わせた大きなソファセットに腰掛けたマリアベルの前には数枚の書類が置かれている。
どれもテスパラル語で書かれているが元々読み書きを習得しているマリアベルには問題なく読める範囲だ。
「こちらは私達との正式な養子縁組の書類、貴族名簿への登録書類だ。
それから侍女の養子縁組用の書類もある。
よく読んで、わからない所があれば聞くといい」
「ありがとうございます」
マリアベルの養子入りに伴い、同行するアンジーもテスパラルで家族を持つ。
ランティス家ではなくアラニス家の使用人夫妻で、距離もあり互いに住み込みで働く手前殆ど名義だけのようなものだが、家というものがあるのはそれだけで安心感が違う。
今のところ面識はないもののいずれマリアベルがアラニス家を訪ねる際に顔合わせの時間を設ける事になっている。
「養子入りに、よって、名を………マリア……テオドラ・ランティス?」
書類を読み進めるマリアベルは名前と姓の間に挟まった、覚えのない羅列に首を捻る。
テスパラルに馴染めるよう名前が変わるとは聞いていたが、後半部分を切りマリアにするだけで問題なかった筈だ。
「あぁ、そうだったわ!ぁ、あのね、マリアちゃん?
マリアちゃんにはもう素敵な名前があるから、その、いらないかもしれないし、名乗らなくてもいいのだけれど…」
アントニオとミランダは、結婚当初からずっと子供を持つことを夢見ていた。
いつか子供が産まれたらと二人で話す事も多く、名前も二人で悩んで男女それぞれひとつずつ考えていたらしい。
体質的に難しいとわかってからはそういった事はあまり話さなくなったが、マリアベルの養子入りに際しそっと親としての祈りを込めたいと、そう二人は考えていた。
「…テオドラは、女の子が産まれたら付けようと思っていた名前なの。
勿論マリアちゃんにはマリアという名前が一番似合っているから、そうね…これは、私達からのお守りだとでも思って、持っていてくれると嬉しいわ」
「テオドラ…」
「天からの贈り物という意味よ」
マリアベルという名前は、実父であるアベルがつけたものだ。
本来産まれてくるはずだったお姫様の名前ではないけれど、少しだけ似た名前。
どんな想いが込められているかは聞いていないが、きっと何か意味はあるのだろう。
マリアベルと両親の繋がりは希薄なものだったが、それでも与えられた名前が削られるのはまるでフィーガスの娘としての存在まで削られてしまうようで、改名が必要だと告げられた時は内心でショックを受けていた。
「マリア・テオドラ……」
新しい両親がつけてくれたその名前はまだ耳に馴染むものではないが、削られた部分を補って余りあるほどに優しい暖かさをマリアベルに与える。
「…ありがとうございます、お父様、お母様…」
マリアは心の中に広がる穏やかな熱を感じながら、ペンを走らせる。
『マリア・テオドラ・ランティス』
書類に書かれた文字を見ながら書いたそれは、緊張でやや震えていたがしっかりとした筆圧で書かれている。
まだ受理されたわけでもないが両親の名と、並ぶ自分の名に揃いの姓がついているのが家族として出来上がったと言われているように見え、マリアベルは翡翠の目にじわりと涙を滲ませた。
「…改めて、」
滲んだ涙はそれ以上増える事はなく、マリアベルは自身の大きな瞳を潤わせながら二人へ…両親へと向き合った。
「私を受け入れてくださりありがとうございます。
二人の娘として、マリア・テオドラとして恥ずかしくないように頑張ります…!」
「礼を言うのも、これからの精進を誓うのも私達の方だ。
親としてはまだ未熟だが、君のこれからを導かせてくれ」
「どうか大切にさせてちょうだい、私の娘…私達の娘、マリアちゃん」
ミランダの抱擁にマリアベル…いや、マリアはそっと腕を伸ばし、抱き締め返す。
向かいに座るレオポルドは親子がようやく完成した様子にひっそり息を吐いた。
最初こそ最愛の妻の願いでマリアベルを受け入れるよう手を尽くしてきたが、従兄弟であるアントニオの幸せそうな表情に安堵するのはやはり子供に恵まれないと嘆いていた姿を知っているからだろう。
いざという時は四人いるレオポルドの子から誰かを養子に…そんな話も出ていたが、やはり我が子を手放すというのは親としてあまりいい手段に思えなかった。
まだ解決しなければいけない小さな問題もあるし、マリアにとって負担になりうる話もある。
しかしそれでも今三人が家族として結ばれたのはレオポルドにとって尊く、眩しい景色だった。




