15話
ブクマ、評価ありがとうございます。
そして感想もありがとうございます。まさか感想いただけるとは思っていませんでしたので、望外の嬉しさが大変励みとなっております。
座っているのだろう、屋台に近づいてもマリアベルの目の高さから売り子の顔は見えなかった。
「ジュース、を、ください」
マリアベルが意を決して口にしたテスパラル語に果物籠の向こうの黒い頭が動く。
「ひとつ?」
「あ、ふ、ふたつです」
「はいはい、ちょっと待ってね」
立ち上がった売り子はマリアベルとそう変わらない背丈だった。
伸びっぱなしの黒い髪に大きな黒い目。継ぎはぎだらけのサイズの合わない服を着た、やや日に焼けた肌の子供らしい子供。
彼は山積みの色濃い朱色の果実からヒョイとひとつ持ち上げるとその手に収まるサイズのナイフを表皮に叩きつける。
サク、サクと分厚い表皮に何ヵ所か切れ目を入れられた果実はマリアベルが想像していたものと構造が大きく異なるらしく、果汁が滴ることもない。
「それ、は…くだもの、ですか?」
「知らないで頼んだの?」
「…ジュース、のみたいくて」
基礎的な会話を覚え、聞き取りはかろうじて出来るもののいざ自分が話そうと思うと舌がついていかない。
意味は通じるが片言になってしまっているマリアベルだったが少年は特に気にした様子もなく果物を持ったまま屋台の正面に回った。
「グラナダの実。ほら、これが美味いとこだよ」
両手で切れ目に力を込めるとグラナダというらしい果実は二つに裂け、赤い果肉を露出させる。
トウモロコシの粒が赤くなったようなそれが内側にぎっしりと詰まっているのはややグロテスクにすら感じたがマリアベルの目には細かな宝石のように感じられ目を瞬かせ見入った。
リャンバスでも果物を食べる機会は多かったがグラナダのようなものを見るのは初めてだった。
「どんな味、するますか?」
「甘酸っぱいよ、酸っぱいの苦手ならミルクと砂糖入れるけど」
「…ひとつ、そのままでだいじょぶです。
ひとつ、砂糖…少し、入れてください」
会話しながらも少年の手はグラナダの表皮をコンコンとナイフの腹で叩き果肉を機械の中へ落としていく。そうやって慣れた手つきで同じようにもう一つ分果肉を全て機械へ収めるとスイッチを押し、稼働させる。
「すごい…」
フィーガスの領邸でも魔石を使った魔道具はたくさんあったが、このようにジュース作りに特化したものなどなかった為否応なく好奇心をそそられる。
大きな駆動音と共に真っ赤な果汁と絞られた果肉が別々の出口から流れ落ち、果汁は小ぶりな瓶二本を丁度いっぱいに満たした。
親切なことに、途中で砂糖を入れた方の瓶には間違えないよう小さな紙が貼られている。
氷の魔石も組み込まれているのか果汁で満ちた瓶はうっすらと白むほど冷えており目の前で絞られたライブ感と共にマリアベルの期待を膨らませ、少年はそんなマリアベルの表情と、その後ろで遠巻きに二人を見ているアンジーを見て笑う。
「なぁ」
「はい?」
「アンタ、リャンバスの貴族だろ?」
「っ」
思わぬ問いかけにマリアは身を硬くする。それは正解だと言っているに等しく、少年はニッコリと笑いながらジュースの瓶を差し出した。
思わず受け取ってしまったがマリアの思考はこの場をどう乗り切ればいいのかという一点に埋め尽くされており、握りしめていたポーチも掌から滑り落ちてしまった。
「貴族じゃ、ない、ません。
姉と一緒に、街に行くところで」
「嘘つかなくていいって。あの人侍女って奴だろ?
顔だって似てないし今もすっげぇじ〜っと見てくるじゃん」
アンジーの視界では幼い子供同士が会話をしてるだけだろう、なにせ少年の無邪気な笑顔は見えてもマリアベルの表情は見えない。
振り返ればすぐ助けに来てくれると知ってはいたが、自分で言い出した買い物が厄介事を引き起こしたと知られるのはマリアベルにとってひどく辛い事だった。
泣きそうに歪む顔を見た少年は少し考えた後、まぁいいかと呟きマリアベルより後ろ、今も視線を外さないアンジーに声をかける。
「おねえさーん、ちょっとちょっと!」
「待っ、だめ…!」
「いーから」
テスパラル語はまだ危ういが、かろうじて呼びかけられた事だけ理解したアンジーは何か困り事でも起こったのかと足早に駆け寄った。
「貴族のお嬢さんを一人で買い物させちゃダメだよ、侍女さん」
「っ…!」
少年は流暢に、リャンバス語を口にした。
それに対する驚きと更にマリアベルが貴族だと言い当てられた事にアンジーは顔を青ざめさせ、マリアベルと少年の間に体を割り込ませる。
テスパラルの平民…それも貧民に該当するみすぼらしい身なり、まだ二桁に到達するかという幼い見た目にも関わらず他国の言語を解する少年は底知れない異質さを感じさせた。
「どこの家の者です」
「家族はいるけど家はない。ん?そういう意味じゃない?
別に何かしようってわけじゃないんだからさ、話くらい聞いてよ」
「……お嬢様、いざとなれば走ってください」
フィーガスかアラニス、どちらかの家と敵対する派閥の貴族家が情報を入手し送り込んだ者かと思ったが少年に悪意や敵意は感じられない。
マリアベルもそれを察知し、アンジーの言葉に頷きながらも一応は聞く姿勢をとった。
「アンタ達もそれを狙ってきたんだろうけど、この道って普通の貴族は使わないんだ。
だからお忍びとか訳ありの奴らがたまに通ってはあそこから出る馬車に乗って王都に行ったり港にいったり、都合がいいんだろうね。
俺達にとっても都合がいいけど」
少年曰く、彼は元々この道沿いの森に家族で住んでいて兄と姉が合わせて十二人いたそうだ。
その人数の多さにも関わらず、今はもう少年以外皆森を出ていったらしい。
その出ていった手段というのが、今回マリアベル達に使った手口だ。
「街に行けばジュース売りは多いけど、この辺じゃうち以外いないからね。
海の向こうから来た奴らは記念にって買ってくし、道の向こうから来た奴は飲み納めってよく買ってくれる。
兄ちゃん姉ちゃんはその中から人を選んで、黙ってる代わりに連れてけって言って森を出ていった。俺にも同じようにしなさいってやり方も全部教えてくれたんだ」
確かに、それは浅知恵ではあるが非常に有効な手段だった。
平民のコミュニティは貴族からすれば異常なまでに広く、そして早い。
リャンバス、テスパラルどちらでも対象の母国語で口外をちらつかせれば後ろめたい事がある貴族なら口止め代わりに連れていく可能性は高い。
しかし貴族は善良な者だけではない。貴族を脅すという事はそれなりにリスクが高く一歩間違えればその場で殺されてもおかしくない程だ。
「口封じをされるとは思わないのですか」
「しなさそうな奴を嗅ぎ分けるのがコツさ、なんか事情があっても悪い貴族とは限らないからね。
今のところ皆成功して今もそれぞれお屋敷で働いてるよ、たまに手紙が届くんだ」
「………?」
森の中に手紙を届けるシステムなどあるのだろうか。
マリアベルは首を傾げたがアンジーと少年の間で話は進んでいく。
「兄姉の話はありましたが、両親は?」
「うーん、写真はあったけど三番目の姉ちゃんが持ってったからもう殆ど覚えてないなぁ」
「…兄姉が戻ってくる事はないのですか」
「ないよ。まぁアンタ達にはわかんないと思うけど、そういう風になってるんだ俺達は」
グラナダの果汁を絞った機械は随分年季が入っており、それを載せた台も果実を積んだ籠もきっと長い間使われてきたのだろう。
新鮮な果実との対比が古めかしさを強め話のリアリティを補強する。これがしたたかな平民が成りあがる為の作り話だとしてもマリアベルの顔を覚えられたのは事実だ。
「よく働くからさ、連れてってよ」
「………」
二人は顔を見合わせる。
マリアベルはこれからランティス家に養女として入る身…専属の使用人としてアンジーも共に受け入れてもらえるが、勝手な判断で身元不明の人間の同行者を増やすわけにはいかない。
小さく首を振るマリアベルの意を汲んでアンジーは財布から金貨を取り出す。
「…残念ですが私達は貴方を連れていく事ができません。
代金を上乗せして支払いますのでどうか今日の事は忘れてください」
「えぇ~?」
「私達にも事情があります。勝手な事はできない事情が」
「……ん~…でもその子がいいんだけどなぁ」
少年の目がマリアベルをじっと見つめ、改めて真正面からその視線を向けられたマリアベルは黒く輝くその瞳にどうしようかと考え始める。
貴族だと指摘された時は恐怖が勝ったが今改めてアンジーの後ろから見るとその表情は少し困っているようにも見え、家族の話が本当かはわからないがここから連れ出してほしいという言葉は真実なのかもしれないと感じさせた。