7
おれがどうして、ながったらしい気の遠くなるような行列、つまり大悪鬼の名前を当てると言う挑戦をしているのかというと、何かそういう面白い事をすれば、お嬢ちゃんの魂が、まだこの体に残っているなら、目を覚ましてくれるんじゃないか、とか思ったからだ。
お嬢ちゃんは、両親とか祖父母とか、そういった家族を失って、大事に守ってきた家からも追い出されて、その後は楽しい事っていうのが極端に少ない生活だったと思うのだ。
恋人が出来たから、まだましっちゃましだったんだろうが、恋人との逢瀬はよくて十日に一回とかで。半月に一回、ちょっと言葉を交わして、ご飯が食べられたらましって位、お嬢ちゃんは放って置かれていた。
でもそれはある意味良かったんだろう。彼氏はあんまり、お嬢ちゃんとの事で財布を出す男じゃなかったみたいだし。
お嬢ちゃんは、いつでも浮かれた足取りで出て行って、帰ってきてから財布をのぞき込んで、ため息を付いた後に、
「また貯金すればいいの。これくらい、なんて事ないわ」
といって、それからしばらく貧乏飯なのだろう食べ物を食べていた。
恋人との時間は夢のように楽しいけれども、それが終わったら魔法が解けたように、現実のお金のない自分を見つめなくちゃいけなくて、お嬢ちゃんにとって恋人とのつかの間の逢瀬が、本当に心から楽しめるものだったのか疑問だ。
財布の中身の心配をしながら、一生懸命に恋人に尽くす時間が、はっきり言っておれからすれば、楽しい時間とは思えない。
そういったお嬢ちゃんだったから、こういった、お祭り騒ぎの中で、ちょっとした面白い事とかを体験する時間が、少しずつ積み重なっていったら、生き直すのも悪くないかもしれないって、思ってくれて、目を覚ましてくれるんじゃないか。
そう思ったから、おれは二本足に二本の腕を持つ時間も、きっと期間限定だし、誰かと会話できる時間も、割とすぐに終わりが来るはずだから、包丁に戻った時に思い出して、面白かったなと思う瞬間もほしいから、こうして並んでいるわけだった。
おれ、大悪鬼の名乗りを聞いた事あるはずなんだよな。頭文字がイだったっていうのしか、覚えていないから、きっと外れるんだろうけれども。
前の皆は、きゃあきゃあ言っている。
「今年こそは当ててやるんだ! だって大悪鬼を従えてるなんて恰好いいじゃん!」
「あんた毎年飽きないな。でも今年こそ、俺が当ててみせるんだ! 大悪鬼位の強い奴が手下だったら、出世間違いなしだろ!」
「王様にもなれるかもな!」
「大悪鬼を従えられれば……この借金の返済も……それどころか人生やり直しよりどりみどり……」
「大悪鬼を顎で使えたら、とってもすてきだわ」
皆の夢って壮大だ。まあ、こんな風に時間をかけて並ぶ位なのだから、壮大な夢物語を考えているのも変でもないか。
おれは、ただ、当てっこ遊びがしたいだけ。外れたり、いい線いったりして、他の人達と騒ぎを共有してみたいだけ。
包丁の時も、まして剣だった時にも、経験した事ないものだからな。
「……大悪鬼って、どんな見た目になってんだろ」
おれは不意にそんな事を考えた。
おれが剣士の武器として、大悪鬼の片腕を切り落とした時、おれは相手の見た目とかあんまり気にしていなかった。
武器に他人の見た目なんて興味のある事じゃなかったからだ。
ただおれは、武器を持つ相手と打ち合って、相手の考え方とかを、少しだけ感じ取っていた位だ。
大悪鬼は、頑張って過去を思い出すと、はっきり言って、性格は悪い奴じゃなさそうだった。
おれとぶつかり合う剣は、大事にされていると感じ取れるもので、剣に致命的な衝撃がこないように、イ何とかは受け流していた。
おれ? おれはばんばんぶつけられていた。終わった後の手入れはまともだったんだが、おれの持ち主だった男は、そういう感じの戦い方をしなかったからな。
武器を大事にし続けるって、結構難しくて、いつかは終わりがくるものだ。武器は消耗していくんだし、もっといいものはいつかは出回る。
でも、大悪鬼は、長い間使い込んでいそうな、きっと手足のように感じ取れる程使っているんだろう剣で、おれの持ち主と、正々堂々一騎打ちしていたんだ。
おれとしては、好感度高めだ。気持ちのいい戦い方をする奴って、おれは好き。
戦士としてだけどな。
色々思い出している間に、どんどん列ははけていって、ついにおれの前の一人の番になった。
そこで、どう言った流れで大悪鬼の名前を呼ぶのか、おれは考えをやめて、見守る事にした。
檻がある。きっと力のある魔法使いとかが、総力を結集しているのだろう、そんな雰囲気を醸し出す檻があって、そこに大悪鬼がだらしなく座っている。ように見える。
でも、檻の中は妙に暗くて、はっきりとは大悪鬼の姿を見せない。
……認識操作でもかけられているみたいだ。判断は付かないけど、そういった事をされていそうって思える。
だから皆、姿もわからない大悪鬼に夢を持って、従えようと、何百年も名前を当てようとしているのかもな。
「アレキサンドル!! アーチェン!」
「いよいよこの挑戦者も最後の名前になります、三度目の正直になるか!」
進行役が盛り上げている。もはやこれは、通例の流れみたいな感じになっていそうだ。
大悪鬼の真の恐ろしさを知らないなら、まあ騒げる遊び感覚になっているのかもしれなかった。
人間の慣れって怖いしな。
「アーウィス!!」
「やはりどんな名前にも、大悪鬼は応えない! 一体どんな名前なんでしょうねえ!」
……これ大悪鬼にとってかなり屈辱的な扱いなんじゃねえの、おもちゃ扱いされてないか?
……なんか、同情したくなってきた。そろそろ外に出たいよな。打ち捨てられていた時間の長いおれには、退屈ってものがよくわかる。
しかしおれも、名前をちゃんと覚えてないから、きっと当てられないだろう。
「さて、次の挑戦者の方、どうぞ!」
残念がった調子の、前の女の子が順番をあけてくれて、おれは檻の前に立った。
「……」
やっぱり、檻の中は見通せない。でも、中にものすごい力を持った存在がいるのは、痛いほど第六感みたいな物が訴えてくる。
「……イスカンダル」
反応は、やはりない。やっぱりこの名前じゃない。
「イルヴァン」
これにも、反応は返ってこない。
この目の前の大きな力の持ち主の名前は、なんだったか。
考えそうになって、ちょっと黙ったおれは、不意に、記憶のかけらみたいなものが、頭の裏で光った。
「俺の名前を教えてやろう」
遙かな大昔、おれの持ち主に、大悪鬼は……
「俺の名前はイシュトバーン。大魔王様より、大悪鬼の通り名をいただいたものだ!」
「……ばーん」
「挑戦者さん、お声が小さい! もっと大きな声でお願いします!」
おれの小さな声は、周りには聞こえていなかったみたいだ。もっと大きく、と言われて、おれは記憶に引きずられて、うつむき加減だった顔を上げて、大声で呼ばわった。
「イシュトバーン!! あんたはイシュトバーンだ、それ以外の何だってんだ!!」
「あの子自信家ね」
「誰も当てられない名前を偉そうに」
「あの子も同じ結果だろ」
おれの言葉に、檻の中の大悪鬼は沈黙しているように思えた。
「この挑戦者さんも残念でしたね、ではつ……」
進行役の人がおれの次の人を案内しだした時で、おれも動き出した時の事だった。
「おい、見ろ、大魔導士の作った契約の檻が!!」
誰かが、いや、見ていた人達が大声で騒ぎ初めて、おれも案内されていた方から、首を動かしてそっちを見て。
驚いた。
堅牢そうな、滅多な事では壊れないだろう檻が、内側からのばされた腕でやすやすと曲げられていたのだ。
柔らかい状態の飴みたいな動きで、檻が内側から壊されて、そうして。
中にいたそいつが、何もおそれる事はないし、問題もないという堂々とした姿で、日の光の元に現れたのだ。
「うそだろう」
「あの子が当てたのか」
「何度も挑戦していた人じゃなくて」
「何の間違いだ」
「王子様だって挑戦する事になっているのに」
「誰だよ、今年こそ大悪鬼の名前が当てられる方に、金貨三枚かけたやつ」
ざわめきは大きくなり、信じられない物をみる調子になって。そいつが、動けなくなっているおれの前に近付いて、おれの片手をとり、ふざけた仕草で口づけた。
「……」
おれは何にも考えつかなくて、ただただ、ぽかんと大悪鬼を見上げていた。
大悪鬼は、魔族特有の金色の隻眼で、縦長の瞳孔で、おれを面白そうに見下ろしている。
「いよう、期間限定の俺のご主人様。お前の言葉の通り、俺の名前はイシュトバーン。魔界随一の悪鬼と言われた魔族だ」
「うーん、なんか、よくわかんなくなったけど、これであんたも自由だな! 良かったな! うんうん。あ、期間限定って言ったな? じゃあ、おれがこれから腰を据えたいところが見つかるまで、おれにつきあってくれよ、な、な!」
我に返ったおれにとっての、事実でしかなかった。というのも、この名乗りを聞いて、こいつ、邪悪とはちょっと系統が違うやつだなって、何となく思ったからだ。
ながーい時間を檻の中で過ごしてたんなら、やっと外に出られて良かったよなって思ったし、期間限定でおれをご主人様って言うなら、魔族は気が長いって聞くから、おれがゆっくり腰を据えて生活するまでは、つきあってくれそうだし。なんなら、ご主人様命令で、お嬢ちゃんの相談をしたら、何か教えてくれるかも。
そんな頭の悪いだろうのりで、言ったのだ。
それに対して、イシュトバーンは、理解できないって調子でこう言った。
「お前は、さては人間としては相当な変わり者だな? ……で、どこを目指しているんだ」
「え? そりゃあ、人生やり直し再出発の新天地! どっかにはあるだろ? あんたは詳しそう」
変わり者と言われたが、そりゃそうだろ。人生のほとんどが放置されて錆びだらけの剣で、最近包丁になって、ほんの一週間くらい前に、お嬢ちゃんの体の中に入っちゃったおれが、人間の感覚と違うのは当たり前だ。
怒るのも意味のない話だし、おれは聞かれた事に素直に応えた。
だって、ここで人生の再出発は、目立ちすぎて出来ないだろうし。噂がどう広がるかわかったものじゃないし。
元々、ここは静かな土地を探す前の中継地点として、決めた場所だしな。
おれが笑いながらイシュトバーンを見上げると、大悪鬼はおれの内側を見るような目をした後に、提案してきた。
「いいところを知っている。連れて行ってやろうか」
「うわあ、いいの? 親切だな! じゃあ、頼むわ!」
「そうか。それでいいのか。なら、俺にかけられた制限を解くと言え」
「あんた、ただ檻の中にぶち込まれただけじゃなくて、制限とかかけられてんの、入念な対策だったんだな」
確かに、特定の条件で解除されるような制限をかけておかなかったら、これだけの実力の魔族なんて、檻に入れ続けられなかっただろうな。
ちょっと納得したおれは、こいつ悪い奴じゃなさそうだし、という直感の元、少し真面目な口調でこう言った。
「汝を縛るそれを解こう。汝はすべてから解放される!!」
おれがぎりぎり知っている、解除の言葉だ。お嬢ちゃんが、心がつらい時に、音読していた冒険小説の一節でしかない。
でも、おれは確かに、聞こえるはずのない、とても強いものが外れた音を、聞いた。
瞳以外、闇なのかもやなのかに覆われていた大悪鬼の姿が、明確に写りそうになったその時、おれはそいつに抱え込まれて、世界が反転した。