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絶句していた騎士団の男は、しばし固まった状態でおれを見下ろしていたわけだが、こっちがさっさと歩き始めようとしたあたりで、我に返ったらしかった。
我に返るほど、驚かれる事を話している覚えはないんだけど、人間って布地にこだわりあるんだろ、だからそれに関して余りに無知なおれを、ぎょっとしたのかもしれない。
そういえば、お嬢ちゃんはいい布地の服を子供の頃から着ていたからなのか、賃金をこつこつと一生懸命にためて購入する肌着とか下着とかは、割合いいものに見える布地だったと、ここでふと思い出した。
でもいいものに見えても、おれ、あれの種類ぜんぜんわからないんだよな。
今も、お嬢ちゃんが着用していたから、なんとなく胸当てとか股布とか使ってるけど、これいるのか?
まあ、胸当ては合った方が、胸の肉がぶるぶる揺れないで歩きやすいから、必要だし、股布の方も、腰の汗とかをしっかり吸ってくれるから、人間のいろいろのためには、必要なんだろう。
と、おれは勝手に思っている。
実際の人間の生活、それも妙齢の女の子が、どう言った事情でこれらをつけているのかは、全くわからないんだけどな。
前の主は、汗くさい野郎で、下着一枚で昼寝するようながさつさだったから、よけいに女の子の繊細な事情は理解できない。
でもこれから、お嬢ちゃんの体で生きるって事をするなら、そういった事情も理解しなくちゃいけないんんだろうな。誰か教えてくれないだろうか。
もしかしたら、王都にあった下着専門店とかなら、詳しく教えてくれたか?
でもあそこ敷居めちゃくちゃ高くて、ちょっと入る気にならなかった。
目がチカチカするほど、なんだかわけわかんないものの山だったっけな。
さて、そんな物を思い出しながら、息を吹き返したのか何なのか、騎士団の男がおれを上から下まで眺めて、心底不安だという調子でこう言った。
「あんたは一人で街道を歩いて旅するなんて事は、とてもしちゃいけない世間知らずなんだな。話を聞いていて不安になってきた。だがあんたは、王都に戻るつもりはかけらもないんだろう?」
「ないな! 職場に喧嘩売ってやめたし、噂広まるのは早そうだし」
「……って事は、あんたはこの先の町に行くまで、絶対に納得しないんだろう」
「しない! おれはそこを新天地って事にしてんだ。そうやすやす、元いた町に戻れるかよ」
おれがきっぱりと言い切ると、やはり男は何か考えた後に、こっちを見下ろしていたと思ったのに、強化馬から降りて、おれにこう言った。
「街道で女性が危険な目に遭う事は、騎士団にとって問題だ。私もこの先の町の騎士団所属だから、一緒に乗って町にいこう」
「何でそんな親切なの? お代は払えないぜ」
「あんたは話を聞いてないのか? あんたのような女性が危険な目に遭うと言う事は、騎士団にとって問題なんだ」
「ふうん。問題だから、安全だろう町に連れて行きたいって事であってるか?」
「……口の悪い言い方だが、そうだな」
「じゃあ、あんたについて行く。おれ馬に乗った事一回もないんだ。どうすんの」
おれがその申し出を受け入れると、騎士団の男は、目の前で強化馬に乗る方法を見せてくれた。
「こんな感じだ、出来るか」
「おー」
おれはそれをみた後に、やってみなくちゃ何もわからない! と言うわけで、男がしたのを見よう見まねでやってみた。
鐙に足を乗せて、ふわっと体を持ち上げると、意外なほど体は浮き上がって、無事におれは強化馬の鞍に乗る事が出来たのであった。
……しっかし、馬の上って高くて不安定で、性に合わないな。自分の足で歩いた方がまだましって感じがする。
包丁の時は鞄の中にしまい込まれての移動で、揺れていた。
剣だった頃は、鞘の中にしまわれて、背負われてぐらぐら揺れながら移動していた。
でもこの、馬の方が慣れない感じがして、ちょっと好きになれないな、と思ったのだった。
それでも、騎士団の男に今更、降りて歩くっていっても、聞いてくれないだろう。
騎士団の男はおれの後ろにまたがって、一気に馬を走らせ始めたのだから。
「はやいはやいはやい!! やめてくれ!! 止まって、目が回る、こわい、こわい!!」
こんな速度は体験した事がない。剣として振られまくっていた時は、自分がぶんぶん揺れても、持ち主ががっつり握ってくれていたから、何にも不安はなかった。
でもこれは、あまりにも不安だ! おれはがっちりと鞍の持ち手らしき場所を握って、力一杯目をつぶって、何とか町まで到着したのであった。
町は、ちょっとざわついていた。何だろう。お嬢ちゃんが、祭りという物で浮かれてる時に似た空気だ。
「お祭りしてるの?」
「ああ。半月の日だからな」
「半月の日? なんかめでたい事あったっけ」
「この町にとってはおめでたい日だ。なんせあの大悪鬼が、この町に軍勢を引き連れて攻め行ってきた時、当時の勇者様が大悪鬼を負かして、町を守ってくれた記念するべき日だからな」
「……勇者が大悪鬼を負かしたの」
「そうだぞ? お前、そんな事にも興味がないのか? 男勝りかと思ったが、そういう英雄譚にも興味がないのか?」
「おれが知ってる話と違う」
「そうか。まあこういった数百年も昔の事は、あちこちで色々話が変わっているからな。お前が知っているのは違う中身になっているんだろう」
「違う」
大悪鬼を負かしたのは、勇者じゃなくて、勇者の仲間の、平民上がりの剣士だとおれは知っている。
お嬢ちゃんの前の、おれの持ち主だ。
それも、長い年月の間に、勇者の功績って奴になったんだろうか。
なら、あの、気持ちよく笑う前の持ち主は、あの後どうなったんだろう。
おれはあまり覚えてない。おれを捨てたのは、あの前の持ち主じゃないしな。
おれは盗賊に盗まれたんだ。でも、そういった裏の経路で売り払う目的じゃなくて、盗むって事がその盗賊にとっての依頼で、その後のおれを、どうするかってのは盗賊が決めていい事だった。
そしてその盗賊は、あの頃貴重だった金属だったのに、おれの事を
「売ると足がつくから売る事も出来ない役立たずの金物」
そう吐き捨てて、で、捨てるためにどこかに向かう道中で、獣に追い立てられて、重たい荷物になると、おれを放りすてて逃げ去ったのだ。
あの後の盗賊がどうなったのかも、おれは知らないし、興味もわかない。
そんな思い出話はさておき、大悪鬼を負かしたのが勇者にすり替わったのは、どうしてだろう。
勇者って事にした方が格好が付いたんだろうか。
あの前の持ち主は、当時の女の子達から不人気な、残念な男と言う奴だったみたいだしな。
「勇者譚は何通りもある。中には神殿から、禁書扱いになった中身の勇者譚もあるくらいだ。大まかな流れしか一致しない、とされているほどにな」
「勇者が大魔王を倒すって流れだけ?」
「ああ。中には仲間が全然違っていたり、魔族を従えていたり、本当に様々だ。だがどんな物でも、結末は同じ。勇者が大魔王を倒して、魔界と人間界に境界線の塔を建設し、お互いの領分を決めて平和になるというな」
「ふうん」
おれの前の持ち主は、平和な世界でのんびりと、木こりをして暮らしたいって夢を語っていた。
それをきく、賢者のお嬢さんは、にこにこしながら、そんな平和になったら、一緒になろうと約束をしていた。
あの二人は、がさつと丁寧で、色々違っていたけれど、お互いを大事に思う心だけは共通だったから、幸せそうだった。
あの前の持ち主が、大悪鬼イ……何とかと一騎打ちすると決めたのは、あの賢者のお嬢さんを、大悪鬼に殺されないためだったっけな。
「おれに力を。彼女に守りを」
大悪鬼との一騎打ちの前に、あの前の持ち主は、おれを握り、神だかなんだかに、祈りを捧げていたなぁ。
あれが何かの力になったのかどうかも、おれには知る由もないけれど。
「なあ、おれが知っている話だと、木こりになりたい男の剣士って言う仲間がいるんだけど、その人、あんたも知ってる?」
おれは、勇者譚にそんなにも種類があるなら、どれか一つにでも、前の持ち主の結末が載せられていないものかと聞いたが、騎士団の男は首を傾げてこう言った。
「剣士は女だという記載だ。どこの勇者譚でもそれは一致している。男の剣士の話は聞いた事がないし、大陸一の大図書館にもそんな話はない」
「……」
じゃあ、あの前の持ち主がどうなったか、この時代には誰もわからないのか。
幸せでいてくれたなら、いいんだが。
ちょっとしんみりしたおれであるが、おめでたい記念の祭りの日というわけで、どこの誰もが浮かれた顔をしているから、ちょっと気分を持ち直して、なにやら出し物をしているのか、たくさんの人が行列を作るところが気になった。
「あの行列は?」
「あれは、毎年行われる、大悪鬼の名前をあてるために、この町に来た人々だ」
「大悪鬼が、あの先にいるの? なんで?」
「大悪鬼は勇者に腕を切り落とされて敗北した。だがその時の魔法使いと大悪鬼が取引を行い、大悪鬼の名前を当てた者が、大悪鬼を従える。それまで大悪鬼はこの町の檻の中でおとなしくすると言う事になり、それいらい数百年、大悪鬼を従えたい人間が、こうして半月の日にやってくるんだ」
「それって大悪鬼にいいところなくない?」
「命乞いをしたという話だ」
「……あの大悪鬼がなあ」
あの、大悪鬼が命乞いなんてする性格だっただろうか。
全く覚えていないが、ちょっと不思議な気分になった。そんなやつだったっけ。
「あんたも、この町の記念に、並んで当ててみるか。誰も今まで当てていないが」
「うーん、記念っていう記念になりそうなら並ぶ。あんた、今まで運んでくれてありがとう」
「あんたはもう少し常識を身につけるんだぞ、旅を続ける気があるならな」
「ご忠告ありがとうな」
おれはそういって、騎士団の男と別れ、その長い長い行列に並ぶ事にしたのだった。