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いざ準備を整えて、街道を歩いて進む旅は、お嬢ちゃんの体の限界を試すようで、けっこうしんどいものだになっていた。
しんどいって感覚が結構衝撃だった。何でこんなにすぐに疲れたと言えそうな感じになるんだ? この、動けない感じが、いわゆる疲れた?
刃物のおれには未知数の感覚だ。
でも、考えれば納得で、お嬢ちゃんは別に、何かの特殊訓練を受けたわけじゃないし、力仕事で生計を立てていたわけでもない。
お嬢ちゃんの前の持ち主とは、条件が違うのだ。
あの前の持ち主は、野山を駆けめぐり、獣を狩って暮らしていた男で、体力は平均より上だったのだろうな。
そうなってくると、お嬢ちゃんの体は本当にありふれた、平均値位の身体能力と言うわけなんだろう。
おれの精神がいくら一般論よりも頑丈であっても、体がついて行かないなんて事は当たり前だったのだ。
そのため、おれは、予定よりもゆっくりとした速度で、大きな町を目指す事になってしまっていた。
筋肉痛だろう体中の痛みがつらい。関節っぽい内側の場所がぎしぎしいうのがつらい。
これは包丁の時代にも、もっと昔の剣だった時代にも体験しなかった世界だ。
おれの存在の危機っていったら、あれだ、あれ。あの当時、魔界屈指の剛力で知られていた大悪鬼イ……なんだっけ? と、剣だった頃のおれの持ち主が、一騎打ちを行った時位だ。
あの時の戦いは、本当に、おれ、真っ二つに折れる覚悟してたんだよなあ。
他の仲間達の武器は、皆なにかしらの、致命的な損傷を与えられていて、勝ち目なんてかけらもない状況下で、でも後はいたぶるだけってほどの実力差だったのに、イ……なんとかはおれの持ち主に、一騎打ちですべての決着をつける事を提案したのだ。
あれ、おれの持ち主が負けてたら、仲間は全部イ……本当に名前なんだった? の眷属にされるって言う条件だったっけ。
あんな不利な条件でも、持ち主は起死回生の一手になると、勝負を受けて、紙一重のぎりっぎりで、イ……なんとかの片腕を切り落として、勝利したんだっけな。
あれ切ったのおれだけど、まあまあ堅かった。肉のくせにイヤになるほど堅かった。骨の部分はもっとだった。骨でおれ折れない? と思ったくらいだった。
持ち主が速度の化け物で、速度で切れ味を上乗せしたから、あれはなんとかおれでも切れただけだったな。今にして思えばさ。
にしても……
「旅する人って、皆馬車とか仕立てて道を行くのかよ……信じられない財力だな、お嬢ちゃんが身一つで逃げ出すって事を選ばないわけだ……。それがきっと一般的な考えなんだろうな……」
道行く徒歩の旅人が、自分以外に一人も見つけられないと言う現実。
さらに、通るのが旅の装備を詰め込んだ馬車や、荷物をありったけ積み上げた荷馬車ばっか。徒歩の人が街道を行き来しないと言う現実。
他にも、街道の警備に当たっているのだろう騎士団のメンツですら、騎乗しているという事実。
これらから導き出されるのは、昨今の街道を進む方法が、徒歩ではなくて馬車とかそういった、車輪の付いたものを使うのだろうと言う事だ。
それか、馬とかそういった、足の速い生き物の背に乗って進むか。
おれは旅の準備も結構安価に済ませられたし、お嬢ちゃんが単身でも、あの自分の環境に耐えきれずに逃げないのはどうして、と準備を整えながらものすごく疑問に思っていたのだが、これを見るとああ……と納得した。
今時は、歩いて街道を進み、他の町を目指すって言う事が、一般的な感覚じゃなくなっていたのだろう。
おれは包丁の前は剣だったが、剣の持ち主とその仲間達は、ほぼ徒歩での移動だったから、歩いてどこまでだって行こうと思っていたけれども、きっとそれは今じゃ非常識の世界なのだ。
……最近の旅は、野営の必須道具とかを持ち歩かないんだな、と思っていたんだが、そもそも野営しないんだろ、この感じは。
おれはさらに大誤算な事に、途中の村とかが、馬車で進む基準で点在していて、徒歩だとどうあがいてもどこかでは野営が必須だって言う事に思い至らず、夜にはくたくたに疲れきった状態で、たき火の前に一人座り込み、携帯飯が焼けるのを待つ事になっていた。
「携帯飯の数もこれ絶対に足りない……お嬢ちゃんの体じゃ現地調達苦しいだろ……どうすんだ……」
おれは背負い鞄の中の、旅行相談の人が教えてくれた数しか入っていない、携帯飯を見て呟いた。
いや、徒歩で飯足りないのって致命的だろ。
「どうすっかなぁ……いざとなれば村見えてくるまでぎりぎりまで食わないでいるか……しかないよなぁ」
携帯飯が焼きあがる。おれはそれを口に入れて、ばきばきとかみ砕き、率直な感想を呟いた。
「堅い。……なんで焼いてこんなに固いんだ、焼き直ししたら多少はかみきれる物になるんじゃないのか、どうなんだ」
携帯飯の店では、焼いて食べるんですよって言われたんだが。
黒くなったそれは、かなりがりがりと強く咀嚼しなければ、飲み下せないような、バカみたいに固い代物になっていた。そして苦い。美味しくない。美味しいと感じるものが食べたい。
「水は多めに準備して正解だったな。水もないのは命捨ててるし」
最低限、と頭の中で言い聞かせて、水を飲んで、おれはたき火の脇に寝ころんだ。
魔物が出てくるとかも考えたわけだが、ここは街道で、街道は騎士団がしっかりと魔物除けをしていれば、魔物が襲ってくる確率は低い。
そして魔物を興奮させないように注意していれば、その確率はもっと下がるというわけで、おれは瞼を閉じた。
生身の体は思っていたよりも限界だったのか、すぐに意識が溶けて……つまり眠くなる。 眠いも刃物のおれには体験しなかったもので、それにすぐ負けそうになる。
でもその前に、荷物を盗まれないように抱え込んで、おれはあくびをして、眠りについたのだった。
「あんた、歩いてこの村まで着たのかい」
「はい」
「なんというか、変わり者なんだね」
「歩いてでも、遠くに行きたかったんです」
「そうかい、苦労しているんだね」
四日かけてたどり着いた二つ目の村で、おれは同情されまくっていた。一つ目の村は見つけられなかった。どこにあったんだろ。
そんな状況でも二つ目とわかったのは、親切に教えてくれた、古着屋のおばちゃんのおかげだ。
話すとめちゃくちゃ親切に教えてくれた。
ここからの距離とか。この先の水の確保ができる場所とか。
ちなみに、おれは街道を素直に進んだはずなのに、一つ目の村は全く見つけられず、二日ほど水だけで歩き続けたんだ。
同情されるのもさもありなん、確かに、ずっと歩き続けていたから、ほこりまみれだし、途中で雨も降ったから泥でぬかるんだ道を歩いていたし、水たまりの近くを歩いた時に、通った馬車の車輪が泥水をかぶせてきた。
軽く見たとしても、なかなか、今のおれは汚いだろう。
「そんなに服もぶかぶかになるほどなんて、相当だよ」
「そんなもん?」
確かにいま着ている服は、王都を出る前と比べてゆるゆるだ。
身が締まったというやつか、関節の痛みも少し軽くなっている。よくわからんが。
お嬢ちゃんは、太っていたのだろうか?
人間の太っているとかは、おれにはあまり区別がつかない。気にした事がないからだ。
でも、服が緩くなるのは痩せた事ではあるだろう。
「ああそうだよ! そんな緩くなった服では、色々不便だろう? うちで買い取ってあげるから、ちょうどいい服をうちで選んでおいきよ」
「あ、おれ、あんまり服に詳しくなくて、選べないかもしんない」
「そうかい? だったら選んであげようじゃないか。これからどうする予定だい? それに合わせて選んであげるよ」
古着屋のおばちゃんは親切だ。優しい。
「ここから、一つ先にあるはずの大きな町を目指してんだ。そこからはまた、どことなく目的地を見つけて歩こうかなって」
おれの旅の計画を話すと、おばちゃんは信じられないって顔をした。
「それだけ苦労して歩いてきたのに、めげないんだね」
「めげるって言うのが、わからない。おれには自由に動ける二本の足があるんだから、歩き続けて行くの、変?」
「大昔の旅人みたいな事を言うねえ。よし、旅に不自由しない丈夫な服にしてあげようね。そうだ、たらいに水を張ったら、あんた水浴びするかい」
「何でそんなに親切なの?」
こんなによくしてもらっても、何か対価を支払えたりしないのに、と怪しんでみると、彼女は朗らかに笑った。
「あんた自分が、どれだけかわいそうな位にみすぼらしくなってるか、実感した方がいいよ。あんまりにもすごいから、助けてあげたくなるのさ」
そんなものか。確かに泥まみれでほこりまみれでよれよれだけど、旅なんて皆そんなものじゃ……馬車が一般的なら、そんなものじゃないか。
言い返す言葉もでなくなったおれは、ありがたく、たらいの水で泥その他を落とさせてもらい、今まで着ていた衣類と引き替えに、丈夫で地味で、これからも着続けるのに問題のなさそうな服を、もらえたのだった。
布地が頑丈な奴で、かなりうれしい。
「ありがとう。こんな丈夫な服なら、これからもいいお供になってくれるぜ」
笑ってお礼を言うと、おばちゃんはちょっとだけ不思議そうな顔をした。
親切は当然って思ってたのかもしれない。
そしておれは、その村で、携帯飯の補充と、水の補充をして、一番の目的地である大きな町を、目指して再び歩き出したのだった。
「おいあんた!! あんた、だよ!!」
てくてくと歩き続けて、朝が昼になるほど歩き続けて、おれは背後から聞こえてきた蹄の音に、道をあけた。
道をあけたのだから、通り過ぎると思ったその蹄の生き物と、それにまたがる人は、なんとおれに声をかけてきた。
一体何の用事だろう。
「おれ?」
おれは立ち止まって、騎乗の相手を見上げて聞いてみた。蹄が三本。強化馬という種だろう。お嬢ちゃんの知識でなんとかわかった。
「そうだよ。あんた、あっちから来ただろう」
男はおれが来た道を指さした。そのためおれは素直に頷く。
「うん。あっちの王都から、こっちの町を目指して、歩いてんの」
「ならば、途中の奇妙な村の事を知らないか」
「奇妙な村? おれこの道を素直に通って、一つしか村に出会わなかったんだ。それが奇妙な村?」
おれの問い返した言葉に、騎乗の男は頷いた。
「そうだ。そこであんたは、何か物々交換を強いられなかったか?」
「え? あ、おれ汚れた服の代わりに、丈夫なこの服を一式もらったぜ! いや丈夫だし縫い目もしっかりしているし、いいものもらった」
「……まさか、詐欺にあった事に気付いていないのか?」
「詐欺?」
あのおばちゃんめちゃくちゃ親切だったぞ、詐欺って怪しい取引だろ、と騎乗の男を見上げて聞き返すと、騎乗の男が頷いた。
よくよく見上げてみれば、その男は騎士団の印の紋章を首から下げた、身元の正しそうな男だった。
騎士団の関係者か、この男。
「そうだ。この先で、道をゆがめ、旅人を詐欺に合わせる村が確認された。正しい村の住人が、街道を通っているはずの旅人が、ここ二週間の間、馬車を一台も確認できない、と騎士団に相談し、調査したところ発覚した問題だ」
「へえ……詐欺ってどんな詐欺? おれ別に不利益被ってないけど」
「脳天気もここまで来ると病的だな。お前は、対等ではない物々交換を強いられたはずだ。その村の住人が認めた」
「これ、質が悪いの? 縫い目頑丈だし、軽いし、なのに生地分厚いし、いいと思うんだけどな」
おれは服を引っ張ってみた。
普通にいい感じだと思う。一般的には違うんだろうか。
「お前はまさか、布地の違いも知らないと言うのか? 一体どこで暮らしていれば、そんな無知でいられるのだ?」
騎士団の男は、おれの言葉に絶句しそうな顔で、そんな事を言ったのだった。