2-13
グラニスはぼろぼろと泣いている。泣かれても理由が全く分からない。おれはあいにくグラニスの事情をまるで知らないのだ。ちょっと知っている事と言えば、こいつの実家はイシュトバーンの奥さんと子供を助けようとして大怪我した子供がつないだ血だと、言う事くらいだ。
何で母さんって泣かれるんだ。
おれは怪訝な顔でじっとグラニスを見た。ぼたぼたと泣いてついには大声で子供のように、そう、おれの足にしがみついてわんわんと泣く二人の子供の様に泣きじゃくるのに、こいつはおれに抱きつこうとはしない。
それが、どうしてだろう、とても痛々しいと思ったのだ。
だから。
「……おいで」
おれは両腕を広げた。たったそれだけ、でもグラニスは泣きわめきながら、俺の腕の中に飛び込んできて、おれに顔をこすりつけた。
「かあさん、かあさん、かあさん……!!」
「……おれ子持ちじゃねえんだけど、なんで一気に三人の子持ち状態になってんだ」
「うっ、ひっく、うう……」
泣いているグラニスを見上げて、足元の子供がぱっと顔を明るくした。
「にいちゃんだ!」
「にいちゃんもだ!」
「……おいまてまてまて……ちょっとおれの理解を超えてんだけど」
「にいちゃんにいちゃん、あいたかった!」
「にいちゃんは、さきに、つれてかれちゃったから」
子供達はうれしそうに笑っている。グラニスはおれの腕の中で、足元の子供達を優しい……お兄ちゃんって顔で見下ろして、膝をついて、二人の小さな子供を抱きしめた。
「お前達は、ずっとここに残されてたんだな。ははっ……あんなにあんなに王国が、お前達を手に入れようと探し回っていたのに」
「……おいグラニス、ちょーっとおれに言ってない事あるだろ、ここで話してもらおうか。……お前本当は誰なんだ?」
おれは二人の子供を離しがたいと言うように抱きしめている青年に、問いかけた。答えが知りたかったのだ。だが、彼は不思議そうにおれを見上げる。
「かあさんがわからない?」
「おー、初手からか。おれはお前の母さんじゃなくて、イシュトバーンの婚約者のノーシだ」
「……え? あの、顔とか違うんですけど」
「おれの顔が違うのかよ!」
おれは鏡という物が欲しいとはじめて思った。おれの顔は今、お嬢ちゃんを写したあの姿ではないのだろう。としか思えない。
「ノーシさんだというのなら、あなたの方が一体何者なんですか? どうして、かあさんの顔をしているんですか」
「おれが知りたい。ちょっと本気でそっちの二人の縛られている何かを壊したんだけどよ、その時にでも顔変わったのかもしんねえ。そもそもの顔すら、おれは知り合いの顔に似せてあったわけだから」
「……かあさんの顔でその口調は……違和感がすさまじくなってきました。……でも、弟二人をこの呪いから解放してくださったのなら、黙っておくのも不誠実という物でしょう」
「頼むわ」
おれはまだ足にくっつく二人の子供を両膝に乗せて地べたに座った。そんな雑な姿を見てグラニスが、何か言いかけてから上着を差し出してくる。
「少なくとも、敷いてください。あなたは恩人だ」
「汚れるだろ、いらない」
「……そうですか」
それだけを言い、グラニスは……順番に話す方が良いと思ったのだろう。考えつつ話し始めた。
「大悪鬼……父さんには、三人の子供がいました。俺を含めてあと二人。そして母さんを助けるべく俺は上の弟と兵士達にあらがい……父さんを殺すための道具にされて父さんに殺されました。それはご存じですか」
「あいつのとても悲しい過去だからな」
「ですが、俺はそれでは終わらなかったのです。……俺は父さん譲りの頑丈な体だったから、死にきれなかった」
「……」
大悪鬼の血が相当に強かったのだと、おれでも分かった。イシュトバーンは子供を解放するために殺したはずだったんだろうが、長男は殺しきれなかったのだろう。……首でも落としきれなかったのだろうか。
「死にきれなかったからこそ、俺は王国の道具にされました。ずいぶんと長い間、父さんを確実に斃すためにはどうしたらいいのか、試すための道具に」
グラニスは自分の両手を眺めた。悲しそうな顔だった。嘘を言う顔ではなかった。
「その間に、もともと弱っていた肉体は朽ちました。しかし……魂は自由にさせてもらえなかった。死にかけた事で、父さんとのつながりも断ち切れていて……父さんは俺が生きていたなどとは、気付けなかったでしょう。殺したと思っていた事もきっと大きい」
「魂を、……人間に押し込んだのか」
「はい。非道な事に、弟と母さんを助けようとした家の子供を言いくるめて、救いだなんて騙して、断ち切れない契約を交わさせて、俺の魂を入れた体が死を迎えた後、一番早く成人を迎えた子供の家系の者の体を、俺の魂を閉じ込める檻とする契約を」
「つまり今、お前はグラニスの体を乗っ取ってんのか」
「わかりやすいいい方だと、それがかなり近いでしょう。この体の中に、グラニスの魂はいます。ただ、俺が押しやってしまっているので……かなり縮んでますけれど」
「なんでこの国はそんな真似を選んだ?」
「父さんを、殺すためです。父さんは優しい。……息子の魂がとりつかされた人間を、それも息子達を助けようとした子供の血筋の人間を、簡単には殺せない。父さんは手が止まってしまう。……そうなった時は父さんを殺す千載一遇の契機となるからです」
「……」
非道だ。だが魔族との対立が長い人間の世界だと、それは非道にもならないのかもしれない。おれは分からない世界だけれども。
「……俺はそうして何度も、この家の人間の体に入れられ続けていた……その間にも、王国は、残った子供の魂が、転生していない事を知ってしまい、ずっと探し続けていたんです。父さんにとって、三人の子供の魂は、大きな弱点になるから」
あいつは子供を二度も三度も殺せない。きっとそんな事をするくらいなら、自分を殺してしまうだろう。
それくらい、あいつは、失った家族を愛している。……今でもずっと。
「でも、見つからなかった。……お前達、こんな近くに居たんだな。兄ちゃんは会いたくなかったけど、会いたかった」
「えへへ」
「うふふ」
子供達が笑う。子供達がそうだと思うのならば、グラニスの中にいるのはこいつらの兄ちゃんなのだろう。
「……お前の事は分かった。で、これからお前はどうすると考えてる。おれはもう王国を出て行く予定だぜ」
「一緒について行ければ良いんですが……グラニスが居ないとなったら、王宮がまた騒ぐんですよね……グラニスは王子の護衛でしたから」
「お前の檻になっても護衛なのか」
「俺はこれだけ縛られてしまっているので、王国に反旗を翻せないんです。……数回、肉体が滅んでいない時に暴れましてね。そのあたりで、けっこう色々術をかけられているんです」
頭を振ったグラニスの体から、存在しない鎖の音がじゃらじゃらと重たく聞こえた。
そう言う術の音なのだろう。
「……父さんはあなたを見たらまた泣いてしまう。とても泣き虫な鬼だから」
グラニスはそう言って困った顔で笑った。その困った笑い方は、なるほどイシュトバーンとそっくりな顔で、親子なんだなって思えた。
「じゃあ、剥がすか」
「……え?」
「こっちのちび二人を剥がしたのと同じようにやれば、お前の事もきっと剥がせんだよ。どうする、試すか? ……お前だって、あいつのところに、何にも考えないで帰りたいだろ」
「……そんな事、普通は何度も出来ない。出来るというあなたは一体何なんだ」
「えー、大昔、くそほど昔に、大悪鬼の腕を切り落とした木こりが握ってた剣」
言いつつおれは立ち上がった。包丁を抜き放つ。また目を伏せて、意識を集中する。
おれはイシュトバーンが大事だ。あいつに笑っていて欲しい。
で、こいつらを助けられたら、きっとあいつは泣いて笑ってまた笑う。
そのためなら、ちょっとの無理も無理じゃない。
「戻れ、おれ」
さっき一回戻したから、言葉は多少省略していい。意識を研ぎ澄まして、また包丁があの剣の姿に変わる。グラニスの瞳が見開かれて、言う。
「この気配は……ただの魔剣じゃない」
「その体から剥がれる腹はくくれたか? ……お前の名前、グラニスじゃねえんだろ。剥がれたら、ちゃんとお前の名前も聞きたいな」
おれが笑うと、グラニスは泣き笑いの顔で笑って目を閉じた。
おれは、剣を振るった。
さっきよりもいろんな物を引きちぎる手応えがあって、グラニスの体が傾いて倒れる。剥がれたイシュトバーンの長男の魂が、おれの方に飛び込んでくる。
おれの足にしがみつく二人の子供が、歓声を上げて長男に抱きつく。
「……グラニス放っておくのも悪いよなあ」
三人が抱き合って喜んでいるなかで、おれは倒れたグラニスを担いだ。
「おい、三人、とりあえずグラニスをまともな場所に寝かせたら、さっさとあいつの所に帰ろうぜ」
三人の魂が、心底うれしそうに頷いた。




