2-12
おれはそれから丸一日寝入っていたらしかった。なんでかって、気付いたらお日様がどう考えても一周している様にしか思えない体感があったからだ。
「……」
おれはのそりと起き上がった。周囲を見回しても、誰かがいる気配という物がしない。グラニスというあの青年はどこに行ったのだろうか。
周りを見回しても手がかり一つ無い。
放置でもされたのか。それはあの男の言っていた事と矛盾する。あの男はおれに非道な事をした代償がどうなるかわからないという、イシュトバーンの力を知ってしまったが故の行動を起こしたわけで、一般的観点からみたら多分衰弱しているのだろうおれを、一人放り出すと言う無茶苦茶な事はできないはずだ。
おれもすっかり生き物らしい感覚が身について来だした。包丁の頃はそんなにあれやこれやと考えなかったし、放置された事に対しても疑問なんて一つも持たなかっただろう。まじで。
起き上がって天井のガラス窓を見上げると、そこにはお月様が昇っている。おお、そこそこの丸さのお月様。この洞穴に来てからそこまで日数もたたないに違いない。お月様の大きさは変わったように見えない。
そして、おれの意識がお月様が元の姿になる一周ほどの時間、消えていたとも思いがたい。
手を握ったり開いたりすると、問題なく動く、よしよし。足を振り回す。足も異常のある感じはない。これもよしよし。
屈伸運動。前屈運動。問題なし。飛び跳ねる。着地問題なし。
そんな事を一通り済ませて、おれは外にグラニスが居ないか、そしてなにより外の空気が吸いたくなったので洞穴の扉を開いて、慎重に外に出た。
「うわあ……」
ここに来た時は状況が状況だったからか、周りの光景に目を留める事はしなかった。そもそもグラニスの背中の上で目を閉じて揺られていた訳だから、見ているはずもなかったか。
「すごいお月様の欠片みたいな花がいっぱい……」
おれは花の種類に詳しくない。匂いの種類がとってもたくさんあって、それらを混ぜ合わせて香水というものを作る事は知っている。イシュトバーンのお城には、自分の作ったそう言う物を売り込んでくる魔物が後を絶たなかったから。
植物系の魔物は、そう言った香水を作るのに一日の長が有るという。秘伝があるとかないとか。
だから彼等はとっても植物に詳しいから、おれの目前に広がる花が何か知っているだろう。
もしかしたら、この地方ではありふれた花なのかもしれない。
お月様の欠片みたいに、細かく光の粉を散らすようにお月様の光を跳ね返す、月夜に真っ白に輝く花びらの花が、辺り一面に広がっているんだ。
これだけたくさん咲いているからか、すがすがしい匂いという形容が似合いそうな匂いが、辺り一面に漂っている気がする。
「お月様の庭だ……」
おれは詩的な言葉なんてもってないから、そんな感想が出てきた。それにしばし見とれていた時だ。
目の前を薄く光を跳ね返す翅の蝶々が通っていき、はっとして当初の目的を思い出した。
「そうだ、グラニス居ないか見るんだ」
周りを見回しても、それに該当しそうな人間の立ち姿は見つけられない。なんだ、居ないのか。
……必要な物を手に入れに行ったのだろうか。食べ物とかそう言うの。あの洞穴には水場がなかったから、水を手に入れるのは一苦労だろうから、その調達が一番あり得そうな気もする。
あいつ、おれがどっかに居なくなったら血の気が引いて慌てそうだ。そういう可哀想な事はしちゃいけないってイシュトバーンから習ったから、洞穴におれは戻ろうとして、不意に知らない気配が背後から感じ取れたので、用心しつつ振り返った。
「……ちびすけが二人?」
気配の主は小さな子供だった。十歳にもならない子供と、もう少し下の年齢なのだろう子供の二人が、仲良しで手をぎゅっと握りあって、おれを見上げている。
「……何?」
「……」
二人の子供はおれをじっと何か訴えかけるように見つめて、同じ動作で首を動かし、花畑の先を見る。
そしてまたおれを見る。
「おれに一緒に来て欲しいのか?」
なんとなくそんな気がして問いかけると、二人の子供はぱっと顔を明るくさせて頷いた。
「うーん、どうしよう。勝手にいなくなったら慌てさせる相手が居るんだよな」
ちょっともったいつけると、二人の子供はおれの服の裾を掴んで引っ張ってくる。あるかないかと言うくらいの力だ。小さい子供ってこんなひ弱なんだな。
「どうしても?」
おれの問いの重ね方に子供が同時に頷いた。そんなにおれに来て欲しい理由は何だろう。
このあたりに縁もゆかりもない包丁の身の上だから、理由がまるでわからないという感じだけれど、その子供達は握る手を離さず、残りの手でおれの服を引っ張って促す。
「わかった。ちょっと書き置きしてから」
おれは根負けし、洞穴にちょっとだけ用意されていた黒板と白墨で花畑の先まで散歩すると書き、子供達が先導するままに歩き出した。
「ちび達、だんまりだけど喋らない方が良いのか?」
子供って奇声を発するのが普通なんじゃないのか? 魔族も魔物も育児する立場は皆、子供が突如叫ぶなんて日常って言うのに。
二人の手をつなぎ続ける子供達は、一言も喋らない。少し不思議だけれど人間の子供ってこんなに静かなのかな。種族の違いは色々ある。
二人の子供はこっちを見たけれど、何にも言わないし答えない。
でも。
お月様の庭を抜けて、なんとなく鬱蒼とした森になりつつある、道なんてない所を歩き続けて、おれは徐々に違和感を覚え始めた。
おれは包丁だから、昼だろうが夜だろうが同じように物が見える。だが人間は暗いと明るい時と同じだけは物が見えない生き物のはずだ。
じゃなかったら灯りをバンバン使わない。なのに二人の子供は迷う調子も転ぶ調子もなく、足元も悪い場所を進んでいく。
この子供達は人間じゃないのか?
でも見た目からして、魔物や魔族の感じはしない。人間って感じの見た目だ。妖精? あれはもっと気配からして違う。
この子達は一体何なんだ? おれを連れてきてまでしたい事って何だ。
疑問が頭を埋め始めるけれども、とにかく子供達はおれが着いてくると信じ込んだ調子で歩くから、その後に続き。
おれは少しだけ開けた場所に到着した。
「……ここに来たかったのか?」
おれは森の中でほんの少しだけ開けた場所を見回した。特徴的な感じはあまりないそこは、子供達が目指す理由もわからない場所だった。
子供達はそこの真ん中まで進んでしゃがみ込んでいる。何か訴えたいらしいが、おれは察する洞察力も無い。
「ここに何があるんだよ」
おれはまるで話さない子供達に問いかけたが、いつまで待っても黙ったままだ。
「いい加減多少は喋ってくれないと困るぜ」
「おや。人間をここにその子達が連れてきたのか」
「!?」
おれはいきなり割と近くから聞こえてきた、しわがれた声にぎょっとして目を見開いたが、そんな驚く事でも無いのかもしれない。森には色々人間と違う物が一杯居る。魔物でも魔族でもないものも一杯。
「どなた?」
「あんたの足元にいるんだ」
「……なんだこれ。あんた、刃物だったのか」
「否。刃物に飾り石が着いているだろう。それがわしだ」
「喋る宝石? ふうん。で、あんたは喋れて事情がわかるんだろ? おれもわけが分からないまま来てるんだ。その子達は何がしたいんだ?」
「ここは遙か昔に、大悪鬼の子供達が暮らしていた家のあった場所だ。その子達の事だ」
「……えっ」
おれは思いもしなかった言葉を聞き、子供達と足元と手の中の小石をかわりばんこに見た。
「その子達は、お前さんに訴えたいのだ」
「いや訴えたくても意思疎通できないとなんとも」
「その子達は……喋る力を奪われて死んだ。その衝撃で、霊魂の欠片になってしまった今もなお、何も声を上げられないのだ」
「じゃあ、あんた通訳してくれる?」
「そんな事はしなくても分かる。あの子達はお父さんに会いたいのだ」
「……長い長い時間が経過しても?」
「そうだ。お前さん、大悪鬼の残り香のような物がある。あの子達はその気配にひかれて、お前さんをここに連れてきた。お前さんなら、呪いと共にこの場に縛り付けられたこの子達を、父親の元に案内できるだろう?」
「その根拠は」
「ない。だがその子達が案内してきたのだから、望みが全くないわけもない。……事実同じようなある人間は、この子の兄だけは、連れ出す事ができたのだから」
「……」
グラニスの言葉を思い出す。三人の大悪鬼の子供達。目の前に居るのは二人。残りの一人は連れ出された……と言う事だろうか。
「うーん……わかんないけど。何すりゃいいわけ」
「呪いに縛られた子供達を解放する方法を、ここにうち捨てられた宝石が知る訳もないだろう」
「言われてみりゃそうだ。……できっか?」
おれはちょっと考えつつ、手元に意識を集中させた。本体を呼び寄せるためだ。おれが普通じゃない事をするのに必要なのは、本体でしかない。
手元に熱と光が集まってくる。子供の霊は二人で身を寄せ合っている。
豊穣を約束する稲光の光と、表裏一体の水の気配がその場に満ちていく。
「……だれがおらずともおれはここに」
おれの言葉と共に、稲光が振ってくる。同時に手の中に重みと握り慣れた柄の感触が戻ってくる。
光が消えてから、ちかちかした目が闇になれてきて見えたのは、慣れ親しんだおれの本体の姿、つまり包丁である。
でも子供を助けるのに、包丁の姿じゃうまくいかないかもしれない。
「この姿じゃうまくいかねえかも。よーし、えーっとたしか前の持ち主は……」
たしか、剣だった頃の持ち主の木こりは、解放の言葉ってのを唱えて、おれの姿を一変させてたんだよ。確か。本当に記憶が薄いが。
おれの体の事なのに、なんかまるで覚えてないけど。。
「土神が形取り 炎神が鍛え 水神が打ち 風神が研ぐ 稀なる剣よ 我が言葉に応えよ!」
記憶をたどりたどって出てきた言葉を唱える。あの当時よりずいぶん削れてるから、同じ姿にはなれない気がしたが。
おれの手の中の包丁が、みるみるうちに、ガラスで出来たような刀身の剣に変貌したのだ。
おれこんな本体だったっけ?
まあでもできあがったのがこれだから。
おれはそれを握り、ぶんっとその子達めがけて振ってみた。
……波動みたいななんか出てきて、その子達に触れて……がちゃん、といういかにもな足枷の音に似たものが、外れたか壊れたかした音が響いた。
ぱっと、子供達の顔が輝いた。
「かあちゃん!」
「おかあちゃん!」
子供達が口を開いて、そんな事を大声で言い、……何故かおれに飛びついた。
「かあちゃん、会いたかった、かあちゃん! もういなくなっちゃやだ」
「おかあちゃん、顔なんてもうどうでもいいよ! おかあちゃん、一緒! おとうちゃんの所に帰ろう!」
おれの顔は……この子達の母親だという、ものすげー美人と一致するところ有るのか? お嬢ちゃんの顔の模倣だから、お嬢ちゃんめっちゃかわいこちゃんだから、そこそこなのは自信あるけど……
飛びついてきて、泣きじゃくるその子達をつい抱きしめて、どうするかこれ……と考えて、その時がさがさと音がして、振り返ったおれの目に映ったのは。
「ぐら」
「かあさん……?」
「いやお前も!?」
グラニスで間違いなかったのに、グラニスはおれを見て目を見開いて凍り付き、それから小さくそう言って、ぼろぼろと涙をこぼし始めて……もうこれどうすんだ、の世界になり始めていた。




