2-11
隠れ家は単なる一軒の家の姿をしていた訳じゃなくて、わかりやすく洞穴の中だった。
洞穴の天井に穴があってそこにガラス窓がはめ込まれていて、ちょっと驚いた。
「この洞窟の上は街道です。反射を利用してここに光は差しても、姿をのぞき見られないように調整されています」
背負っていたグラニスはそう言っておれを寝台の上に乗せた。
「清潔にした方が良いとわかっていても……体を休めてからで良いでしょう」
「いや、身ぎれいに出来るならそっちが良い」
「! あなたまだ動けるんですね、……見かけに反したとんでもない体力だ……その状態で、通路を抜けるだけでも無理をさせたと思ったのに」
「おれそんな弱くねえし。身ぎれいにしないと寝床に失礼だろ」
「そこですか……少し待ってください、お湯を張ったたらいその他を用意します」
「自分で出来るって」
「それでもあなたにできる限り休んでいただきたいです」
そう言ってグラニスが手際よく、たらいとあかすりとその他、まともな姿になれる物を一式用意してくれたので、ありがたくそれを使わせてもらった。
衣類も用意してくれて非常にありがたい。……土砂降りの雨の中進んできただけの苦労はあった訳だ。
そしておれは洞穴の明かりの中で、いかに自分が不潔な状態だったかわかった。
いや、ばっちかった。あの牢屋の中が笑い事じゃない不潔さだった証明だが、牢屋ってそんな物だ。
前にいた人間の食べ散らかした食べかすが腐ったり、それを餌にする小さな生き物の糞尿だったり、壁にしたたった汚水が床にたまったりで、牢屋は馬鹿にならないきったなさを持っている。
さらに虜囚の糞尿もまともに処理されないのが普通の牢屋なので、耐えきれない臭いである事も多いらしい。
……おれ包丁だったからか、鼻が壊れると判断したのか、そういえばあの牢屋では臭いという物を一切感じなかったなとちょっと思い出した。自己防衛ってすごい。
人前に出ても不愉快にならないまともさになったおれに、グラニスは温かい何かのお乳の入ったお茶を入れてくれた。
「……これって」
「薔薇の国の庶民でも口にする事の多い、乳入りのお茶です。お茶の原産地が薔薇の国の一部なんですよ」
「ふうん」
どこかの島を含んでいるという言い方だ。普通だったら何々地方といういい方をしそうなので勝手にそう思っただけだけれども。
口に入れるそれは、……少し知っている味がする。
「イシュトバーンの国で飲んだお茶に似てる」
「この茶葉の飲み方は、あちらから伝わりましたからね、もう遠い昔に、エレザネードがその名前ではない程の昔に」
「……ふうん」
グラニスは何かおれの知らない事を知っているのだろう。歴史のどこかに隠れた事とかかもしれない。
「よくまあ、魔界の飲み物がこちらに受けたな」
「……このお茶には色々な効能がある事も理由でしょう。事実エレザネードでは、他国で不治の病だとされるビビ病にかかる人間がとても少なかった」
「ビビ病」
「薔薇の国では治療法が確立されて、不治の病ではなくなった病です。手足が黒く腐っていく病気でしたが、今では庶民でも対処できる病になりました。他国ではどうかは知りませんが」
「当時ビビ病に一番効果があったの?」
おれの問いかけにグラニスが頷いた。
「はい。当時死に至る寸前の人間でも、この飲み物を飲む事で病状の進行が遅れて、治療が間に合う事が多く記録されています」
「……」
イシュトバーンの国が救ったと言って良いんだろうな。
おれはお茶を二杯飲ませてもらった後に、さっさと寝ろと言う態度のグラニスに問いかけた。
「で、あんたは何を知っているんだ? 様子から察するに、王様の命令に背いてまで、おれを助けようとするに値する何かなんだろう」
「聞く気になりましたか」
「真実かどうかは聞いてから判断する。あんたに騙されたとしてもそれはおれの選んだ選択の結果だ。まあ恨むかもしんないけど」
「……あなたはとても強いんですね。そう言いきれる人はそうそう居ない」
グラニスはそう言って、語り出した。
彼が成人を迎えた際に知った真実を。
大悪鬼には妻が居た。人間の妻は顔に醜い痣のある女性だった。女性は生まれつきの痣のために、誰からも粗末に扱われた人だった。運の悪い事に、女性の姉は絶世の美女と言われて、地方一の美貌と評判だったから、一層彼女は粗末な扱われ方だった。彼女は姉の使用人のような状態だった。
そんな彼女に、旅をしていた大悪鬼が出会った。大悪鬼は理由はわからずとも彼女を深く愛し求婚し結ばれた。大悪鬼はその際に、人間のあまり豊かではない旅人のそぶりをしていた。
彼女と大悪鬼の間には三人の子供が生まれた。大悪鬼に似たかわいらしい子供達で、彼女と大悪鬼はつかの間の平和の中暮らした。
大悪鬼は三日おきに村を離れて故郷に戻るという、暮らし方をしていた。妻の彼女は大悪鬼の故郷になじめないだろうからと、一緒に故郷に移住する事は選ばなかった。
彼女の子供達は、使用人の子供のような暮らしをしていたけれども、そこは確かに平和だった。
だが、優しさと思いやりが悪い方向に働いた結果、その平和は崩れ去った。
彼女は痣が定期的に痛む体質だった。そのため子供達が、父親に痣を消す薬が手に入らないかとねだったのだ。
大悪鬼は知らない間に妻が痛みに耐えていた事を知り、痣を消す薬を手に入れてきた。
彼女も子供達も大喜びでその薬を使い……大悪鬼の妻は、姉がかすむほどの美しさを手に入れてしまった。痣のあまりの醜さで、彼女の本来の美しさが全く見えなかったのだ。
その、地方一よりも遙かに光り輝く美しさに、地方の領主の息子が欲望を抱いた。
彼女を召し出せと命令し、用意された金額と与えられ得た宝飾品に目がくらんだ彼女の親族全てが、彼女を領主の息子のところに引きずっていった。大悪鬼が家を出た頃を狙って。
子供達は必死に抵抗した。その際に魔の力を持っている事が村人達に知られた。
魔の者と通じ合った事も、領主の息子の者になるなら許そうと、妻の美貌に目がくらんだ領主達が言ったが、妻はそれを拒否した。
……その結果。妻は死にそうなほどの暴行を加えられ、子供達はまだ魔法に対しての抵抗の仕方を知らなかったから、領主のお抱えの魔術師の操り人形とされた。
だが。
一番年下の子供が、二人の兄に守られ、母と共に逃がされた。子供は母を引きずって、助けてくれと村の人々に願ったが、石を投げられ追い立てられた。
そんな時。たった一件の家の扉だけが開いたのだ。
「それが俺の先祖の家でした。領主の分家でしたが、嫌われてつまはじきにされていた変わり者の一家の家」
その一家は女性と子供を保護した。そして必死に手当てをした。一家の息子は、大悪鬼の子供と仲良しの一番の友達だったから、一生懸命に助けようとしたのだ。
だが。
魔の者とつながった人間は裏切り者だとされ、見つけ次第殺せとの話になり、庇った一家の父親は死にかけるほどに滅多打ちにされ、大悪鬼の子供も妻も引きずり出されて、……焼き殺された。
その前に、大悪鬼の子供は親友に、お礼に自分の父親からもらった指輪をあげたのだ。
「それがなければ、俺の先祖も死んでいただろう」
戻ってきた大悪鬼が目にしたのは、燃え尽きた自宅と、出迎えた途端に自分を殺そうと襲いかかる上二人の息子だった。当時の操りの技術は不完全で、その術をかけられた人間は、もう自分の意思が戻る事は無いほど、魂も脳髄も破壊されると知れ渡っていた。
だから二人の子供は、動揺させて殺すための道具にされた。大悪鬼は死してなおいたぶられる子供達を救うために、子供二人を殺し、何も残らないほど焼き尽くした。
そして妻と末の子供を探した大悪鬼が見つけ出したのは……燃やされて鳥の餌にされた二人だった。
怒り狂った彼の前に、真夜中にこそこそと現れたのは、子供から指輪をもらった親友で、鳥の餌なんて酷すぎるから、ちょっとずつ森の中のお墓に運んでいる最中だった。
一度に抱えられるくらいの骨しか運べなかった子供に、大悪鬼は深く感謝した。
それは、親友がもらった指輪が、心正しいやりとりで譲渡されなければ、持ち主を呪う力を宿した指輪だったからだ。つまり、子供は正しく親友に感謝して指輪を渡したのだ。
大悪鬼は残りの骨やその他の物を抱えて、親友が作った墓に妻と子供を埋めた後にこう言った。
「この村の人間達を許す訳にはいかない。ただ命を奪う以上の事を好む等の人間達は行った。じきにこの村の人間は病に伏せて全滅するだろう。関わった者達にもその病は広まる。だがお前に俺の子供は心からの感謝をしたのだ。そんな子供の一家を巻き込んではいけない。次の雨の時に雨が上がるまで決して外に出てはならない。そして、このお茶の飲み方を教えよう。病を軽くするお茶の入れ方だ」
一家はそれを聞いて、村のやり方に思うところがあったから、大悪鬼の言葉に従った。
自分達もかなりの暴行を受けた結果だった。彼等はただ、息子の親友とその母を助けようとしただけだったのに、生きるか死ぬかの暴行を受けていたのだ。彼等も生きているのが奇跡な位で、そんな彼等を大悪鬼は癒やした後にそう伝えたのだ。
そして村は事実ビビ病に侵され、当時の領主の一門はほとんど全滅した。残されたのが一家だけで、土地の存続のために一家は新たな領主となった。
それから、村は全滅の運命となった物の、そこからじわじわと広がったビビ病への対処法として、一家は無償で大悪鬼の言ったお茶の入れ方を人々に教えた。
そして一家は、悲劇を伝え続けるために、大悪鬼の妻の名前、エレザにまつわる名前を村などにつけ、成人した子供にこの悲劇を伝え続ける事を誓った。
単なる悲劇と言うだけでは無く、大悪鬼の怒りの恐ろしさとすさまじさを後世に伝え、早まった事をしてはならないと教えるために。
「……これが我が家に伝わる歴史です。ビビ病は同時期に各地で発生したので、この歴史も眉唾物とされましたが……嘘だと俺には思えない。そして、あなたという大悪鬼が妻と決めた女性にあのような事をして……ただで済む訳がない。俺は保身のためにあなたを救ったのです」
グラニスはそう言ってうなだれたけれども……知っちゃったからまずいと思って行動する事事態は、そんな問題の極みってわけじゃねえよな、とつい思ったおれだった。
イシュトバーンが本当に危険だってわからず、ただとある街でおもちゃ扱いされていた事実だけで読み間違えたのだろう王様と、イシュトバーンの本気の危険さを知った事で、その対応が危険極まりないから、被害を拡大させないためにおれを連れ出したグラニス。
どちらも人間って感じの態度だな、と思ってしまったのだった。




