2-10
こんな状態でも月明かりって物が見えるのは上等であろう。
天井の鉄格子の位置の何かなのか、外の光から時間の経過がわかるのだ。
膝を抱えて空を只見上げていると、少しばかり昔を思い出す。
思い出す昔は、この姿になるよりもずっと昔、大昔。
もう顔はうまい事思い出せなくなった元木こりのあいつから、盗み出されて、外に捨てられて、表面に錆が浮いて、価値なんてなくなったんじゃないかって位の状態になっていた頃だ。
あの頃。おれは自在に動く事なんて出来やしないから、空をただただ見上げていた。
投げ捨てられた状態で、おれを探しているだろう持ち主の事を心配していた気がする。
おれを無くして、あいつはきっと探し回った。
おかしな話に聞こえるかもしれないが、あの時代は今よりも遙かに鉄製の物が貴重品で、だから鉄の塊の価値は高くて、盗まれた剣なんてすぐにとかされて別の何かにされて換金されて、盗まれたら二度と再会できない物の一つとしてあげられていたのだ。
もしくは、転売されて何も知らない新たな持ち主の物になっていて、それを自分の物だと証明する事も難しいまま、泣き寝入りするもの。
それが、おれ達刃物、鉄製品の運命だったのだ。
だから、おれは盗まれてすぐに、色々覚悟していた。とかされるだろうなとか、誰か事情なんて何も知らないで買い取る人間の手を渡り、二度とあいつの顔なんて見られないだろうなとか。
……おれが大悪鬼の片腕を切り落とした強い剣だなんて、誰もわからないだろう。剣とし手の見た目は非常に単純なありふれた姿で、伝説のなにがしのようなすごみだってなかっただろうし、きらびやかさなんてもっとなかった。
おれはありふれた見た目の、ありふれた鉄の剣だったんだ。
それでも、そんなありふれた刃物でも、盗まれるへまをした主の事を思って、その主の無事を願ったものだ。
そうやって願って、見つけてもらえるという希望が消えていって……最後に残されたのはただ空を眺めると言う状態だった。
空を見て、一体何回季節が巡っていくのを眺めただろう。
雨がどれだけ降っただろう。
どれだけ雪に埋もれただろう。
おれはあのまま、土に還っていったとしてもおかしな話では無いうち捨てられ方で、時間の経過を感じているだけで。
それから少し眠ったような、時間の経過を覚えていない時期があって、不意にあたりが賑やかになって、近くを行き交うのだろう人々の声から、近くに価値のある鉱山が発見された事を知った。
でも俺はもう誰にも拾われないだろうと思っていたら、獣に追われた人間が走ってきたから、おれは少しだけど同情して、体の中に残っていた力のような何かを発して、その獣を追い払って……そいつがそこでおれが土の上にうち捨てられている事に気付いたんだ。
「鉄か。これは大昔の剣だな、ただの鉄の塊なら、無駄に燃料を使わずに別の物に作り替えられそうだ。にしても錆だらけだな、使えそうな部分が少ない。……作り直すなら包丁や小刀だな、それくらいにしかなりそうもない。……握るだけであちこち崩れるほどの状態か。布にできる限り包んでしまっておこう」
そいつがそうぶつぶつ言って、俺はぼろ布にくるまれてそいつの工房に連れて行かれて、とかされなおして包丁になったんだ。
……そんな、お嬢ちゃんとで会う前の長い長い大昔の事を、こうして空を見上げる以外に何も出来ない状態だと、思い出してしまった。
どれだけの日数が経過したのかは数えていない。食事は布袋に入れて落とされる。カビが生えていないだけましな、岩のように固いパンに、酸っぱいブドウの飲み物。それだけ。
幸いおれは包丁が本体だから、それだけでも体を壊さない。
イシュトバーンが今どう動いているのかはわからない。
ただ、ずっと鉄格子越しにこう言われる。
「悪鬼を支配する方法を王に告げよ」
「そんなものがあったらおれが知りたいね。おれとあいつの取引は公平だ。おれの願いとあいつの言葉は平等に取引された。おれはもうあいつを縛るものじゃない」
「馬鹿の一つ覚えのようにそれしか言わないな」
「その馬鹿の一つ覚えが限りない真実だってどうしてわからない」
そんな事ばかり言う。
……向こうはおれが限界でおかしくなったんじゃないかと思っていそうだ。そんな気配をどこかに感じる。
そうじゃなくて、おれはただ知っているだけ。この時間を過ごしていく方法になれているだけ。
そんな物はあいつらにはわからないだろうけれどな。
そんな時間に変化が起きたのは、外に雨の音が響く夜更けの事だった。
「……起きていらっしゃいますか」
鉄格子の外から小さな声が聞こえてきて、おれはこう言った。
「誰もがおれに礼節を持たないのに、礼節を持つ方は何者だ?」
「……やっとここに忍び込めた者です。あなたを解放しにきたのです」
……変な話だ。ここに落としたのはこの国の王様で、それに逆らうなんておかしくないだろうか。
この人の首は無事に済むのだろうか。
おれは上を見上げた。
そして……ちょっとだけ驚いた。その声を上げた人に見覚えがあったからだ。
「……あんた、王子の隣にいた腕の良い騎士って話じゃなかったっけ」
「はい。俺の名前はグラニス・デドン。デドン地方のグラニスです」
「あんた、おれの事不愉快に思ってたんじゃないか」
「……あの頃は思っていましたが、考えを改めました」
「へえ」
「俺の心境の変化は、今は脇に置いてください。時間がありません」
「ふうん」
鉄格子が開けられて、……鍵で開けた、こいつ鍵を盗んだかなにかしたんだな。
おれをここから出すためだけに、ずいぶんと命がけな事をしたものだ。
少し感心しながら、俺は降ろされた縄梯子を見上げてから、まあどうなってもおれの居場所はイシュトバーンに筒抜けという安心感から、その縄梯子を上がっていった。
「初日から、様子を見ようと、見張りの術を使っていたんですが……精密な術であるせいか、俺の素質のなさなのか、まともにあなたの無事を見る事が出来ず」
「時間が無いんだろ。細かい話をしている余裕ねえだろ」
「ありがとうござます」
グラニスはそう言って、先に歩き出す。俺はその後ろを追いかける。グラニスは普通ではない通路を進んでいく。これはどういう通路だろう。
イシュトバーンの城では、隠し通路あるって言ってた。それを作る時は、ものすごく信用の出来る職人を雇わなきゃならないって言っていた。
隠し通路の情報をこっそり売り払う奴もいるから、そう言うのを作るのは命がけ。自分の生命線を握られている状態だから。
隠し通路の無い城の方が割合的には多いものだ。
ここどこ、と聞かずにおれは進んでいく。だまされている可能性も高いが、ただ牢屋の中で空を見上げるよりも動く方がまだ良い。
……ここを歩かせている時点で、結構王様に関しては情報漏らされる可能性高くて、博打って感じがする。
「……外だ」
おれが長く長く歩いて進んで、地下水路では小さな人の手で作られているいかだで下って、やっと出てきた外は一面の花畑だった。
「はい。ここは薔薇の国のエレザネード。遠い昔に、大悪鬼が妻と子供と暮らしていた小さな村は、ここからさらに魔界に寄った村です」
「……え」
おれは思いもしなかった言葉にグラニスの方を見やった。
痛みを耐えるような表情をした彼は、こちらを見てちょっと顔をゆがめ得た。
「……俺はその村も管理する領主の家門の出身です。……この前成人式を行いました。そして家で隠されていた真実を知った以上、あなたをあの場所に閉じ込めてはおけなかった」
「どういう事を言いたい。そしておれがあんたの言葉を素直に信じると思うのか」
「あなたにどう思われてもかまいません。……ここからさらに進みます。……しかしあなたの今の状態は酷い。臭いも酷ければ痩せ細り方も酷い。日の光を浴びていないからか衰弱も酷いでしょう。顔色がそうだ。……失礼、担がせていただきます」
おれはそう言われてすぐさま背負われた。担ごうとして、おれが折れそうに思えたのか背負い治したのだ。
「隠し家までこらえてください」
背負うグラニスは重たくはなさそうだった。




