2-9
薔薇の国に到着したまでは良かったのかもしれない。
だがその後に待ち受けていたのは、ちょっとおれの考えを超えた事だった。
「悪鬼イシュトバーンに求婚されたと聞いている。大変な目に遭ったようだな」
王子の案内について行った先で待ち構えていたのは、国の長なのだろう、仰々しい冠を被った壮年の男だった。
王子の態度から考えて、父親なのだろうとすぐに察しがついた。
しかしだ。
大変な目に遭ったって、それあんた達が言う事か?
おれはそこから躓いた。それはイシュトバーンやウォレンさん達から、いくつかの予測は聞かされていたが、こういう言い方は思いもしなかったせいだ。
おれの素性を調べるところで、人間の国は不可能な事を調べている状況であるだろう事。おれが出自の不明さでいうと、木から生まれたって位にどこから現れたのか、誰もわからない事だからだ。
そもそも包丁があれやこれやの結果、人間と同じ姿を取れるようになるなんて、魔界でもすぐには思いつかないし考えつかないから、って言われた。
そのため、大変な目に遭ったと言われても、べつにそんな大変じゃねえし、としか返答が思いつかなかったのだ。
その結果おれは口をつぐんだ。言うべき言葉が見つけられなかったのだ。
そんな黙って下を向いたおれに、王様が言う。
「お前は悪鬼イシュトバーンを従える主の契約を結んでいると聞いている。そしてイシュトバーンはお前を愛し、妻として迎えるのだとも。だがあの悪鬼はお前に、手ひどい裏切りをしたとも」
「……あー」
人間の国からするとそう見えるのか。おれはちょっと顔を上げた。王様は鍛冶屋で自分に一番良い武器を探して値踏みする客と同じような目で、おれを眺めている。
この剣は使い物になるかどうか……という視線と同じだ。
つまり、おれの使い道を探している視線と言って良いだろう。
「王様。おれはもうあいつの主じゃないんです」
「……なに?」
想定外の事を言われたと言う態度を王様がとる。そもそも王様という物は表情筋を感情のままにではなく自在に動かしてなんぼと言う面倒な職業だって、一国の主であるイシュトバーンが言っていたから、この王様だってそうに違いなくて、どこまでが演技かはわからないが、驚いた様なそぶりだけはして見せたのだ。
「おれは、あいつに、たった一つの願いを叶えてくれたら、主従契約を無くすって約束をして、あいつはそれを叶えてくれたんです」
「……その願いとはなんだ?」
「おれ、この顔とそっくりな、可哀想な目に遭っていたお嬢ちゃんと友達になっていて……その子が平和に幸せに暮らせるように最善を尽くせ、それが最初で最後の命令だってあいつに言ったんです。で、あいつはそれを叶えてくれたんです。だから、おれは、あいつを顎でこき使える立場じゃなくなったんです」
「……は」
近くで王子が絶句した態度をとっている。周りの気配も、おれの言っている事が信じられないって言う態度だ。
……お嬢ちゃん一筋のこの願い以外に叶えたい事なんてなかったと、誰かに言うと、聞いた魔族は皆、驚いた物だ。
「お方様はお嬢様をとてもとても大切に思っていらっしゃって、ご自分の幸せという物を考えていらっしゃらないのですか?」
そんな事を問い返される事もありふれていて、俺はそのたびに胸を張った。
「だって、おれにとって、お嬢ちゃんより幸せな笑顔で笑っていて欲しいと思う誰かなんて無かったんだ」
おれは包丁だ。今だって包丁が本体だ。
だから、おれを買ったお嬢ちゃんという持ち主だった子が、笑顔で幸せになってくれる事が一番うれしいのだ。
イシュトバーンどうすんだと思うかもしれないが、あいつはおれと二人三脚で勝手に幸せになるだろう。あいつは自分なりの幸せの形を、ちゃんとおれに伝えてくれるし、おれは特別枠のお嬢ちゃんとは違った部分で、あいつの方だって幸せになって欲しい。
おれはできうる限り多くの、おれに優しくしてくれた相手とかに幸せになって欲しいし、むやみに不幸な思いをする奴が増えて欲しくない。
……変かもしれないけどさ、そう思うんだよ。
話はずれたが、おれの言葉に誰もが言葉を失ったと思うと、王様が難しい顔をしておれを見た後こう言った。
「それはそれは……無欲な事だな。……もう今日も遅い時刻になってしまった。キンブリー塔に部屋を整えさせている。そこで休まれると良い」
「陛下」
この言葉に、仕えているのだろう人が何か言いたそうな声を発したわけだが……王様がその言葉を翻すそぶりはなかったのだった。
キンブリー塔は簡単に言うと、牢屋というくくりの中にある建築物であるみたいだ。
おれはそこの牢屋に落っことされた。
入れられたって言うんじゃないのかと思われるだろうが、この牢の作りからしてそういう表現が正しかったんだ。
まず、出入り口である鉄格子が天井。想像する時に簡単なのは、壺を思い浮かべる事だろう。
壺の口が鉄格子。で、縄ばしごで降ろされて、降りたら縄ばしごが撤去されて、鉄格子に鍵がかかる。
牢屋とか初めて入ったから、こんな作りなのかと驚いてしまうが、なんで牢屋なのだろう。
おれ何か悪い事した? 特に誰かを馬鹿にする発言はしてないはず。
床に敷かれたわらの上に座り込んで考えても、答えは出てきそうもない。
「目算が外れた役に立たない物だから、適当に牢屋に放り込んだ……あり得そうだな」
王様達はイシュトバーンを操れる、自分達に都合の良い相手が欲しかったに違いない。
それはイシュトバーンと最初に出会ったあの街の、人達だってそんな人いっぱいいたから想像がついた。
イシュトバーンの持つ力は強大だ。自分の力が大きくなる事を願うならば、手に入れたくなるだろう。たぶん。
でもその当てが大きく外れたとかなのだろう。
「何日かは様子見るか」
幸い、おれは包丁、食べる事は好きだけれど生命維持に必要な訳じゃない。
何か言われたら、貧しい時代が長くて、飲み食いに事欠く日をそれなりに経験しているからこらえられたとか言えば良いと思う。思ったよりそれでだまされる相手は多いのだ。
「イシュトバーンはこういうの聞いたらぶち切れそうだよなあ」
あいつは、あいつへの切り札だから、あいつが激怒する扱いはしないだろう、その方が賢いって言っていた。
まさか初日から牢屋行きは、思いもしなかったに違いない。
……でもあれか。
「おれの居場所その他、あいつに筒抜けなんだっけな」
おれは口の中の飾りをちょっと意識した。ぱっと見わからないような場所という事でお互いに真剣に議論し合い、おれの口の中にイシュトバーンの魔力で小さな魔方陣を描き、居場所が探知できるようにしているのだ。
イシュトバーンの魔力が尽きない限り、おれの居場所は筒抜けだ。
「あとでめーっちゃ怒られる気がする」
……まあちゃんとごめんなさいが出来れば大丈夫。そう思う事にして、おれはわらの上に寝転がった。
……ネズミとかそういう生き物じゃない何かの視線をちょっと感じつつ。




