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おれの引っ越しはあっという間だった。何故かイシュトバーンの命令が瞬時に広まったらしく、使用人の皆様が、そろいもそろっていたずらっ子の様な笑顔で、引っ越しの手伝いをしてくれたからである。
「なんで皆楽しそうなの」
「私達、身の程を知らない馬鹿を痛い目に遭わせるのが大好きなんです」
「それに、お方様のかわいいお嬢様が、泣き暮らすなんて絶対にだめなんです」
「だってお方様のお顔が曇ったら、我らの王が悲しむでしょう?」
というのが大多数の理由で有るらしく、十八人に聞いて十三人がこれらの様な事を言ったからしれたわけだ。
その他の意見としては
「警備体制の再確認にちょうどいいので」
「一度馬鹿を入れてみて、防犯用の魔術一式が今も稼働するか確認したくって!」
そんな意見が出てきていた。
どうやらお嬢ちゃんとおれの入れ替わりあれこれのついでに、そう言った物の確認も出来てちょうどいいぜ、と言う流れなのだろう。
そんな皆様は色々な特殊技術を持っていて、本当に引っ越しは半日で終わったわけである。
その間に、イシュトバーンの方もいたずら心を発揮したのか、薔薇の国の王子一行に、
「魔界はあなた方にとって物珍しいだろう、入れない場所も多いが、入れる場所はご自由に堪能してくれ」
そう告げたわけで、あ、これイシュトバーンが本気で悪ふざけ始めたな、とおれでもわかった。
そして引っ越すに至った最大の理由であるお嬢ちゃんは、
「私のわがままで本当にいいのかしら?」
非常に申し訳ながっていたが、お嬢ちゃんが悲しい方がおれにとって大問題なわけで、ちょっと王妃の間でお嬢ちゃんが心穏やかに暮らせるなら、それでよしなわけである。
おれに調度品のこだわりがなく、お嬢ちゃんにも、そこまでのこだわりが無かった事も幸いとなり、おれ達の引っ越しは瞬間で終わったわけだ。
おれは東の間をぐるりと見回した。王妃の間は建物一つがまるまるおれの住居なわけで、ここより遙かに広くて大きい。なんだか冗談みたいな物だが、ここも十分に広くて素晴らしくて、不満になる物は一切無い。
「ちょっと欲を言えば海が王妃の間より狭く見えるところだよなあ」
「まあ、お方様。そのような事をおっしゃっていただけると、イシュトバーン様がよろこびますわ」
「これで?」
「はい。あのお方にとって、お方様にご用意された場所を、お方様が心の底からお気に召しているというのは、とてつもない喜びになりますので」
「そっか。おれ王妃の間の、海が一望できるバルコニーのある部屋が一番好きなんだ。なんかわからないけど、海を見ているのが好きでさ」
「では、今度イシュトバーン様にお願いして、海辺の街の視察に向かわれるとよろしいでしょう。いいえ、海辺の街に作るかどうか迷っていたという、離宮の建設をしても!」
「なんか話が壮大になってきてないか?」
「公共事業はお金がまわるんですよ!」
「なんか意味がちょっとつかめないかな」
私の弟が石工なんです! とっても腕のいい石工なんですけど、好きな事が建築の際の石材の加工だから、ここのところ不完全燃焼で! と熱弁する女性使用人の彼女は、そこではっとしたような顔をした。
「いけません、うっかり欲望が……」
「好きな事でいいんじゃねえの? だって弟が好きな事を、ちょっとおれに話しただけだろ? その弟の事は何にも知らないけど、この城の中でも、もしかしたら弟の力を待っている修繕中の部屋があるかもしれない」
「そうですね! 今度管理長に聞いてみます」
彼女はうれしそうに笑って、おれのための衣装を並べ始めた。
「今から着替え?」
「はい。お方様のお嬢様の日課は、この時間に日傘を差しての庭園の散歩なのですよ。お方様が入れ替わりをするのであれば、行動も真似しましょう!」
「皆ノリノリ」
「はい、六百年の間、面白い娯楽がほとんどなかったのがこの城の関係者です! 平和な暮らしはとても素晴らしい物ですけれど、たまには娯楽が」
「おれの入れ替わりは娯楽なのか」
「やんごとなき方々のあれこれは、下々の者にとってとても楽しい娯楽ですよ」
身も蓋もない事を言っているけれども、おれがそう教えてもらえてありがたいというのも、皆わかっていそうだった。
そのためおれは、お嬢ちゃんに見えそうな衣類を一式見繕ってもらって、おしとやかなかわいい日傘を用意して、庭園に行く時専用の護衛の兵士さんを伴って、庭園に降りていったのだった。
「王妃の間の庭園は散歩してたけど、こっちはそこまで歩き回らないから新鮮」
「お気に召したようでうれしく思います。お嬢様はこちらの生け垣のところのベンチに腰掛けて、じっくりと花々を鑑賞されるのですよ」
「庭師のおっちゃん詳しいな」
「時々一緒にお茶を飲む間柄でございます。お嬢様は植物の造詣も深く、私らもお嬢様とお話しすると、人間の国の庭園事情がわかって非常に参考になります故」
「じゃあ、おれで残念?」
「いいえ。お嬢様がお話になられる、お方様をこうして間近に見る事が出来るのはこの上ない幸い。なるほど、お嬢様が心から安心される方は、やはり懐が広くていらっしゃる」
「何言ってるかよくわからん」
「こうしてお話ししているだけで、お方様がいかにお嬢様を大切に思っていらっしゃるかが伝わりますし……それにお方様のいたずらに協力できて楽しんでおります」
おれとお嬢ちゃんの入れ替わりは、おれの発案のいたずら扱いなのか。
まあ、国交問題にするわけではなくて、単にお嬢ちゃんの住居とおれの住居を交換して、薔薇の国の客人が帰るまでそのままにしているだけっていうのが、表向きだからだろう。
使用人のほとんどは、裏側の
「客人の一人がお嬢様を追い出した最低な女で、お嬢様が心労を覚えるから、お方様が入れ替わりを提案なされた」
というネタを知っているけれども、声高に言わないで協力してくれているわけだ。
「皆注意したりしないんだな」
「よその知らぬ者どもよりも、イシュトバーン様の大切な方々の方が、我々にとって大事だと言うだけのお話です、おか……お嬢様」
庭師の皆さんが急に口調を変えてきたので、あ、問題の誰かが近くに居るんだなと察せたおれは、おしとやかに見えそうな……この数ヶ月の間に顔見知りになった高位魔族のお嬢様から教えてもらった……立ち振る舞いをとって、それまでの座り方から一変した、慎み深いお嬢さんの座り方に変えて、扇子で顔の一部を隠した。
「ああ、ミレーア殿、こちらにいらっしゃったのですね」
「ごきげんよう」
現れたのは、薔薇の国の王子と騎士で……名前なんだっけ。
頭の中で名前を思い出そうとしたが、お嬢ちゃんは王子と面識が無いので、知らぬそぶりで通すか。
「私に声をかけてくださる、あなたはどなたかしら?」
イシュトバーンが聞いたら、腹を抱えて大笑いしそうだよな……と思いつつ、おれはつくった声で聞く。
「ああ、私の事をご存じないのですか?」
「どこかでお会いした事がありますか? デビュタント前に家を出た身の上ですので……色々な方々の事を知らないままなのです」
薔薇の国の女の子達は、社交界に出る時に、デビュタントという行事をするらしい。
白い特別仕立てのドレスを着て、真珠の飾りをつけて、王様にご挨拶をして、そこから社交界に参加する事が正式な手順なのだとか。
お嬢ちゃんは、その前に下々の世界におっぽり出されたから、その行事に参加しておらず、当然、えらい連中の顔なんて知らないわけだ。
だからこの対応は正解である。お嬢ちゃんのふりをするのならば。
「そうだったんですね、ご苦労をされたのですね……私はアルトル、薔薇の国の王子です。こちらの者は護衛のグラニス。とても腕の立つ騎士ですよ」
「まあ、王子様と騎士様でいらしたのですね」
身分を初めて知って、慌てて立ち上がる……というそぶりをしようとすると、アルトルはおれを押しとどめて、何とおれの隣に座った。
見守る女性魔族の使用人さんの笑顔が、一気に凍った。
おれも凍りたい。
こんななれなれしく隣に座っていいのは、夫になるイシュトバーンだけだ!
おれは浮気はしないんだよ!
おれはこの行動に目をすがめて、すっと立ち上がった。
使用人さんが得たりと言う顔で、どこかから一脚椅子を持ってきてくれたので、そこに座る。
「あの……?」
隣から逃げられたアルトルが、怪訝そうだ。
だからおれは言い放った。
「未婚の女が、男性と密着して座るなんて……淫らがましいですわ」
これ、イシュトバーンが聞いたら大爆笑でお腹抱えて、動けなくなってウォレンさんに怒られる流れだな……と思いつつも、おれはお嬢ちゃんの振りを維持する。
見守る庭師の皆さんも、使用人の皆さんも、完璧に面白がっている空気だ。
「そんな事はありませんよ。親しくなりたい相手と隣に座る事が、淫らなんて。聞けば魔界の方が開放的とも聞きますが……魔界でそれでは、何かと不自由ではありませんか?」
「皆様礼節を保ってくださいますもの。初対面で足が服ごしにふれあうような距離で来る方は、こちらにはいらっしゃいませんわ」
あんたが下心満載なんだよ、と遠巻きに皮肉ってみる。ウォレンさんにみっちり色々な会話を教えてもらった成果と、イシュトバーンに吹き込まれたあれこれそれが効果を発揮している気がする。
グラニスという男性が血相を変えて何か言いかけたけれども、アルトルが押しとどめる。
「隣に座る事すら嫌がるとは……魔界でも何かと不便な思いをしていらっしゃいそうだ。何かお困り事があったら、お力になりたく思いますよ」
誰もおれのお嬢ちゃんに変な真似をする、不道徳な奴がいないってだけだよ! と怒鳴りたくなったものの、アルトルという王子様の頭の中では、開放的な魔界で貞淑に生きたくて生きづらい乙女、とお嬢ちゃんがラベリングされた様子だった。
力になるって、イシュトバーンの方が力になってくれるから問題ねえし。
おれは扇子越しに眼を細めた。
「権威も何も無い異国で、お力になりたいとは……あまり発言がよろしくありませんわ」
「何をおっしゃいますか。同じ人間同士ではありませんか」
「うふふ、私の願いは、王子様には叶えられない事ばかりですので」
「興味がありますね、お聞きしても?」
「あら、叶えてくださいますの?」
「あなたの力になりたく思っておりますので」
「では、エレーネ姉様をつれて、お早くお帰りくださいな。私とエレーネ姉様の確執は、もうそちらの国では知られたお話でしょう? あの出来事達を思い出す人々に、私、会いたくないんです……つらくて……」
途中からは、思い出してしまって一気に生気が無くなる演技である。使用人の皆さんに面白がって指導されたあれこれとも言える。
それと同時に、こんな無礼な女の子なんて、あなた達のお力にもなれませんよっていう匂わせだ。
ウォレンさん本当に色々詳しくて……いかにイシュトバーンと悪さしてたかがそこでわかった。
イシュトバーンとウォレンさんを一気に敵に回したら、簡単な話にはならないだろう。
「今でも、薔薇の国と聞くだけで……冷や汗が出てきてしまうのです」
弱いところを見せたそぶり。同時に、あんた達がいると調子が悪くなると言うそぶり。
グラニスの方が、これに不快な思いを抱いたのか、口を開いて、またアルトルに押しとどめられた。
「それは大変だ。……私との思い出で、そのつらい記憶を上書きしていただけませんか?」
椅子に近寄ろうとしたアルトルであるが、ここで女使用人の皆さんが動いた。
「ミレーア様、ご気分が悪いのですか?」
「いけませんね、お部屋に戻りましょう」
「服を緩めましょう、それから、心穏やかな気持ちになるお茶をご用意いたします」
見事な連携で、おれはアルトル達が呆気にとられている間に、東の間に戻ったのであった。




