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「そう……エレーネお姉様がこの国に」
お嬢ちゃんがそう言って、力なく笑った。諦めの混じった表情は、お嬢ちゃんのかわいい顔を曇らせている。
「エレーネとか言うのに会いたくないなら、イシュトバーンにもそう話しておくぜ。……だってお嬢ちゃんの事、家から追い出した張本人の一人なんだろ」
「覚えてくれていたのですね」
「お嬢ちゃんの話の結構な部分が、包丁にはなじみのない、縁のない話だからわかんない事多いけど、お嬢ちゃんが大変な生活を送った理由が、伯父夫婦と従姉妹ってのは覚えてた」
おれは今日の謁見の際に出会った、お嬢ちゃんの関係者であろう女の話をお嬢ちゃんにしたところ、こういう反応が返ってきて、やっぱりお嬢ちゃんにとって、あの女は会いたくない相手なんだなと、再認識した。
「英雄さん、ありがとう。覚えてくれていてうれしいわ。元々……エレーネお姉様と私は、あまり親しい間柄ではなかったの」
「まあ親しい間柄だったら、家を追い出すなんて真似しないだろ。それか追い出しても、それなりの生活が出来るように援助するだろ」
「……うん」
お嬢ちゃんはさみしそうに笑う。お嬢ちゃんはたくさんの物を一度になくしたから、それにまつわる話題になると、こんな顔になりやすい。
だからおれは、そんな顔を見たくなくて、何か話題を変えなくちゃ、と思ったんだが、お嬢ちゃんの方が話題を変える気がない様子だった。
「……英雄さん、お話しした事が一度もない、私の勝手なお話を聞いてくれる?」
「それでお嬢ちゃんがぐっすり眠れるようになるなら、いくらでも」
おれが笑顔で頷くと、お嬢ちゃんは一回視線を下に向けた後に口を開いた。
お嬢ちゃんと、エレーネとか言う女の過去の話を。
「はじめに、エレーネお姉様は、血のつながりがとても遠いの」
「従姉妹で?」
従姉妹と言われる間柄は、親が兄弟だからじゃないのか?
親が兄弟とかで、血のつながりが薄いってなんだ?
怪訝な顔のおれに、お嬢ちゃんが頷く。
「そう。……お祖父様とお祖母様は、二人とも魔力がとても強かったために、長らく子供が望めないだろうという診断をお医者様から聞かされていて、それで跡継ぎの養子をとったの。それが伯父様。一族からはその事を大反対されていたけれども、伯父様に一族の中でも、力の強い女性を嫁がせるという約束で、伯父様を引き取ったそうなの」
「って事は、つまり一族に跡取りになる男の子がいなかったって事か、当時」
「運が悪く、女の子しか生まれていなかったそうよ。薔薇の王国の法律上、女の子に後を継がせる事は出来るけれども、それは直系の女子という事になっているの」
直系女子は跡継ぎになれる。養子女子は跡継ぎになれない。
なるほど。
「だから、養子として男児を引き取って、一族の有望な女児と婚約させると言う話は、たくさんあるの」
「うんうん」
だから、お嬢ちゃんの祖父母は、お嬢ちゃんの伯父を養子として引き取った訳か。
法律的には納得のいく行動だ。おかしくなさそうである。
「そうして、伯父様が七つの時に……お祖母様が懐妊して、お父様が生まれたの」
「どろぬま!」
おれは最近覚えた単語を叫んでしまった。どろぬま。というのがぴったりな感じの状況である。
「そう、跡取り問題が泥沼になってしまったの。お父様が、女の子として生まれていたら、こじれなかったわ」
「結婚すりゃ良いんだもんな」
お嬢ちゃんはこくりと頷く。
「でも、……お父様だったから、法律的に継承権はお父様が第一位になったの。お祖父様はそのため、伯父様には一族の中でもとびきり魔力が強くて、財産家の家のご令嬢だった伯母様との婚約を結んだの。伯父様がお金に困らないように。それに……お祖父様が認めたほどの魔力もちの伯父様だったから、伯母様の家では上等のお婿さんだって歓迎されたの」
それでめでたしめでたしにならなかったから、今があるんだろう。
おれはお嬢ちゃんの言葉の続きを待った。
「……伯父様は、跡取りから外れた事を、とても残念に思っていらした様子で……お父様とお母様の間に生まれた私が、魔力の素養がほとんどないって事を知って以来、何かと、次期家長をエレーネお姉様にするようにと言ってきていたの」
「まじめにどろぬま」
おれ、どろぬま、しか喋ってない気がする。
「お父様もお母様も、伯父様のその提案を拒否し続けて……そして数年前に、ある魔族との大きな争いが起きて、お祖父様とお祖母様はそれにより、とある事件が起きてしまったから一度に大量の魔力を失って、戦場でない場所で衰弱死してしまったわ。……そして悪い事は続いて、お父様とお母様は、お祖父様とお祖母様の亡骸を引き取るために向かった先で、身を守るための魔道具の暴走によって、魔力を限界まで吸い取られて、亡くなってしまったの」
お嬢ちゃんが、直接的に魔族を恨む様子がなかったのは、こういう経緯だったからか。
きっかけは魔族との争いなんだろう。でも……祖父母が死んだのは戦場以外という、魔族との争いの現場ではなくて、両親が死んだのも、身を守るための魔道具の暴走という、魔族の関与しない物の結果。
魔族に直接家族を殺された人間と違って、恨みが魔族とか魔物にあまり向かないのはなんとなく、わかった。
これ恨むなら、不良品の魔道具を作った人間になっちまうだろ。
となんとなく思っていると、まだお嬢ちゃんの言葉は続く。
「屋敷には私だけが残されて……伯父様達が、皆のお葬式の後に、お祖父様の遺書があるから、家を継ぐのは自分だって宣言して、魔力のほとんどない無能な私は、一族にふさわしくないから一族の家紋から追放すると言って……そしてあなたを買った時の生活が始まったの」
「その時、エレーネって女はお嬢ちゃんを助けてくれなかったんだろ」
「うん。……魔力の欠けた出来損ないの恥さらしは、コランダム家にふさわしくない、生きているだけで汚らわしいって言って、私を追い出したの。お父様とお母様の形見のペンダントも、一族の家紋が書かれているからと言って、取り上げられてしまって」
「人間って難しいな。……そんな理由なら、お嬢ちゃんが従姉妹に会いたくないのは当たり前だろ。大変だった時に助けてくれたわけじゃなくて、逆に追い出されておったてられて、仲良しこよしになろうってのは無理だわな」
「仲直りをとか、あなたは言わないのね」
「いや、お嬢ちゃんが悪い事したって聞いてないぜ、今の時点で。エレーネって女が、かなりお嬢ちゃんに劣等感もってそうってのは伝わったけど」
「まさか! だって魔法なら何でも出来たのに。私なんかより、ずっと美人で頭が良くて、本当に賢者らしくて、伝説の賢者様の再来って言われていた位なのに」
「でも、血っていう、お嬢ちゃんにどうしても勝てないところが、あるのがエレーネの認めたくない所ってヤツだったんだろ、きっと」
「……!」
お嬢ちゃんは思ってもみなかったらしい。
きっと、エレーネって女に対して、お嬢ちゃんの方は憧れとか、うらやましさとか、色々あったんだろうな。
……出会った時のお嬢ちゃんは、顔中ににきびがあって、てかてかしてて、栄養が足りなくて太っていた。髪の毛もばさばさしていた。
それと比べたら、エレーネは髪の毛はつやつやしていたし、肌もつるつるしてるし、でっぷり太っているって言う体型じゃなかった。
おれに美醜はまだわからないところあるけど、多分お嬢ちゃんはあの頃は美女じゃなかったんだろうし、エレーネはあの頃も同じくらいには整っているという奴だったんだろう。
美女(仮)で、一族らしい魔法の才能がたくさんあって、賢くて、おまけに伝説の賢者の再来って言われるくらいに褒められている従姉妹。
字面で考えると、ちょっとあれこれがわかんないおれでも、うらやましいって普通は思うんだろうな、と思える物が一杯積まれている感じがしたのだった。
でも。
「でも、お嬢ちゃんはこの国で、研究者になって幸せいっぱいで暮らすって決めたんだろ。だったらもう、エレーナなんて考えないで、お嬢ちゃんの幸せのために生活すりゃ良いだろ」
「故郷にもどれとかは、言わないのね」
「だって、そこはお嬢ちゃんが選ぶ話で、おれとかイシュトバーンが強制する事じゃねえだろ。お嬢ちゃんの幸せの道は、お嬢ちゃんしか見つけられないってのが決まってる話だ」
「……そう」
お嬢ちゃんはそう言って、あんまりにもさみしそうだから、おれはお嬢ちゃんを抱きしめた。
「お嬢ちゃんは、もっとわがまましても、誰も怒らねえよ。なあ、もっとちゃんと自分の願ってる事、伝えてくれよ、お嬢ちゃん。……おれ一人じゃかなえられなくても、誰かの知恵を借りるって事だって、今なら出来るんだぜ」
お嬢ちゃんの体は小刻みに震えていた。きっと従姉妹は、思い出したくない家族の死というものを思い出させてくる相手で、家という思い出とかがたくさん詰まった、大事な場所から追い出された事も思い出させる相手で、その後のたくさんの苦労やつらさや、思い出したくない事を、無理やり思い出させるきっかけになる人、なんだろう。
それに立ち向かえという奴はいるかもしれないけれども、……普通は立ち向かえないものだ。
だって、お嬢ちゃんのこれは、直近の出来事ばかりで、今お嬢ちゃんは、たくさんの苦しみを抱えて死まで選ぶほど、一度は追い詰められていたわけで、その状態から、今はちょびっと回復したってだけだ。
その状態で、戦えとか立ち向かえとかは、なんか違うだろ。
だったら、お嬢ちゃんが、ちゃんと向き合う力が出てくるくらいまで、心が回復するまでは、助けを惜しまないのがおれのあり方って奴だ。
「ねえお嬢ちゃん、どうしたい?」
おれはお嬢ちゃんにそう問いかけた。お嬢ちゃんは沈黙した後に、小さくこう言った。
「今は、エレーネお姉様には、どうしても会いたくないわ。顔も見られない。近くにいてほしくない」
「よーしわかったよくわかった。よしお嬢ちゃん、明日イシュトバーンとかウォレンさんに相談するぞ」
「えっ、急にそんなわがままを言っては」
「いけないもんか。お嬢ちゃんの願いって、かわいいもんだぜ。殺せとか呪いをかけろとか、洗脳しろとか、屈辱を与えろとか言ってないだろ」
「英雄さん、物騒だわ。私そんな事、お姉様に望まないわ」
「だからかわいいだろ。聞いた感じ結構酷い目に遭わされてんのに、お嬢ちゃんは復讐を選ばないってわけなんだからよ」
つらい思いをさせた相手から遠ざかりたい。それくらいのお願いを聞かない、おれの婚約者でも、婚約者の腹心の部下でもないってのは、おれがよくよく知った事だ。
「お嬢ちゃん、今日は一緒のお布団で寝ようぜ。お嬢ちゃん、怖いんだか苦しいんだかで、手もすっかりひえひえだ。女の子って冷えが大敵なんだろ。イシュトバーンがしょっちゅうおれをそういって暖める」
「……ふふ」
お嬢ちゃんはおれの言葉を聞いて、笑ってくれた。だから、おれはお嬢ちゃんと一緒にお布団に入って、おれがされるように、お嬢ちゃんを抱きかかえて、今日は寝る事にしたのだった。




