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「イシュトバーンはあれで良かったのか?」
とりあえず、その日の夕方、謁見のあとに薔薇の国の王子達を離宮の一つに案内させた大悪鬼に、おれはそう問いかけた。
……イシュトバーンは奥さんと子供を、どっちも人間の手によって殺されているのだから、人間の国の王子様とか、大嫌いなんじゃないかと思ったのだ。
それだけの理由になる位に、愛する家族を殺されたという恨みは強くなるものだと、おれでもなんとなくわかる。
しかし、大悪鬼はおれを見やって余裕のある、怒りとかの見当たらない顔で、落ち着いた声でこう言った。
「仇はとっくに討ってあるさ。彼女達を殺した連中はとっくの昔に消し炭にしている」
「そうなんだ。あんたがそれで割り切ってて、納得してんならおれが何か余計なことを言う理由にならないな」
「俺が人間を全て滅ぼしたい程、人間という生き物を憎んでいると思ったのか?」
「だって三人も奥さん殺されて、子供も何人も殺されてるんだろ、それ位憎んでてもおかしくないだろ」
「その境地はとっくに通り過ぎたな。俺とてそれくらい憎んで憎んで憎んで……とある剣士に出会って考えが変わった」
「へえ、考えが変わるくらいの、影響を受ける剣士がいたんだ」
「ああ。……驚くほど馬鹿だったが、俺が感動するほどの強さの心を持った剣士だ」
それはそれはすごい腕前の剣士だったんだろう。少なくともおれの主だった元木こりの男ではなさそうだ。……あの男が、この長い時間を生きる、魔王の一人に影響を与えるとは思いがたい。
生活態度がずぼらすぎたから、そのあたりで悪い影響を与えていると言うのなら納得できるが、恨みをどうにかする様な影響は与えなさそうだ。
……半裸で寝るのが好きだというのは共通してるけど。そこは個人の問題って奴なんだろう。
「……あれを俺の側に置けたら、どれだけ愉快だったかわからないがな」
その言い方でその剣士はきっと誇り高い勇壮な戦士で、イシュトバーンの元に下ると言う道を選ばない、敵側の生き物だった事は推測できた。
まあ、影響を与える剣士が人間だったという可能性の方が低そうだし、魔族の他の国の剣士だったんだろう。
きっとものすごく強かったに違いない。
うんうん、とおれは頷き、ふああとあくびをしてから、しっしと手を振って婚約者様を部屋の外に追い出そうとした。
「おい」
「今日はお嬢ちゃんが夜更かしをする日なんだよ。お嬢ちゃんの従姉妹が来てるってのも、話してあげなくちゃ。お嬢ちゃんに内緒にするのはよくないだろ」
「結局俺はお前のお嬢さんには勝てないわけか」
「おれは雄のくくりの中では、あんたが一番格好いい。でも幸せにしたいのはお嬢ちゃんだから、そこ棲み分けてくれない?」
おれの嘘の何にもない言葉に、イシュトバーンは大笑いをして、がばっとおれを抱き締めて、ぐりぐりと頭をこすりつけてきて、馬鹿力だから簡単には引き剥がされてくれない。
「だから! お嬢ちゃんのところに行くんだよ! ほらあっち行け!」
「それなら俺が、お嬢さんの滞在する東の間までは見送ろう」
「なんだそれ。魔王様がそんな事していいのかよ。この前だってウォレンさんに威厳がどうたらって怒られてたじゃないか」
「婚約者の愛しい人間が、安全に東の間まで行くのを見送るのが、威厳どうたらにはならないだろうよ」
「ふうん。まあ、あんたがそれでいいなら、見つかっても怒られるのはあんただけにしろよ、おれは庇わないからな」
「安心しろ、ウォレンの説教は慣れ親しんだ交流の一種だ」
「それウォレンさんに聞かれたら怒髪天になりそう」
「なったらなっただ。あいつが雷を落として怒るのはまだましな怒り方だからな」
「あ、それそれ以上のとんでもない怒り狂い方があるって言ってるな」
「ある」
真顔で言い切ったイシュトバーンは、その怒り狂ったのを見た事があるみたいだ。
……付き合いが長いから、それを見ているのはおかしい話じゃなかった。
「さて、お嬢さんのところまで、ご一緒願えますか、愛しい婚約者殿」
イシュトバーンが冗談のような軽い調子で、おれにうやうやしく手を差し出してくるから、おれはその手をつかんで、うん、と素直に頷いて、手をつないで東の間まで向かったのだった。
東の間は特別な存在が使う部屋だってのは事実だ。
そしてお嬢ちゃんは、おれの一等一番特別な女の子なのだから、東の間を使っていておかしい話にはならない。
城の関係者という皆さんは、お嬢ちゃんの話を聞いて、おれの大事な大事な女の子だからと、東の間にお嬢ちゃんがいる事に文句を言わない。
「そもそも、お嬢さんがいなかったら我らのイシュトバーン様のご帰還はさらに遅れていた!」
という共通認識を持った様子で、お嬢ちゃんにもとっても親切なんだとか。
そういう事情で、お嬢ちゃんはずっと東の間を使っている。
さてそれならおれはどこに寝泊まりしているのかというと、それは王妃の間という所だ。
そんな場所が存在していたのかと驚きだが、イシュトバーンの居室のある建物の向かいにある建物丸々一つが、王妃の間というとんでもない贅沢仕様なのである。
王妃の間、というのだから大きな部屋一つ分だと思ったら、まさかの建物一つが王妃様専用と聞いてめまいと言う物を体験した。本当に視界がぐるぐるするっていうのがめまいだった。ついでにイシュトバーンの居室がある建物は、覇王の間と言われているらしい。覇王って盛ってないかと思うのはおかしな話で、イシュトバーンの事を知っていれば、皆こいつを覇王と敬意を抱いて呼ぶらしい。
おれはイシュトバーンの覇王らしい場面をあまり見ていないから、皆と認識がちょっと違うんだが、皆がそう思うならそれでいいのだろう。
そう言うわけで、おれは王妃の間の出入り口を通って、本宮の中にある東の間を目指して、イシュトバーンと手をつないで進む。
通りすがりの魔族の誰かとか、魔物の誰かとかが、おれ達を見てニヤニヤしているのは、いちゃついていると言う物に見えるからだろう。
まあ、あつあつの恋人とか位じゃないと、子供でもあるまいし、手をつないで歩いたりしないと言う事なのだろう。
お嬢ちゃんが前に言っていた。人間だったら熱愛中の恋人同士でもなかったら、手をつないでひっつきながら歩かないってさ。
そんな風に歩きながら、東の間まで向かって、おれは扉の前についたから手を離し、離した途端に大悪鬼がおれのつむじに口づけたので、くすぐったかった。
「あんた本当に、それ好きだよな」
「愛しの婚約者殿に接吻するのが好きでなくてどうする」
「そんなもん?」
「本当は唇にしっかりやりたいが、それをここでやるとまた怒られるだろう俺達は両方」
「ああ、前にウォレンさんが見て卒倒しかけた後に怒鳴りまくってたよな、あれ怖かった」
おれが納得して頷くと、大悪鬼は東の間の取り次ぎの魔族が中のお嬢ちゃんに取り次いで、お嬢ちゃんが扉を開けておれを入れたのを確認してから、颯爽と去って行った。
「ああ、素敵なお方……婚約者様を溺愛するイシュトバーン様は解釈一致……」
取り次ぎの魔族の女性がうっとりした声で、よくわからない事を言っていたけれど、悪い方の言葉ではなさそうだから、気にしない事にして、おれはお嬢ちゃんと室内に入ったのだった




