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拍手の嵐に、イシュトバーンは当たり前の調子で片腕を悠々と振って、しばらくそれは収まらなかった。
いい加減におろしてほしいのだが、この大悪鬼、そう簡単にお嬢ちゃんの細腕でははがせないし、びくともしないのである。
この筋肉達磨、と内心で思いつつ、おれは周りとかを見回した。
バルコニーの奥の方にいる使用人であろう魔族達とか、関係者であろうそれなりの地位についているだろう魔族の方々は、示し合わせたように拍手をしていて、彼ら彼女らも何に納得しているんだと問いかけたい。
そして、もう完全におれの顔まで城下の民衆に記憶された頃になって、イシュトバーンがおれを抱えたまま踵を返す。
その振る舞いがいやになるほど似合っていて、何でこんなにこの大悪鬼は偉そうな態度が似合うんだ、大悪鬼だからなのかとか納得できるような出来ないような気持ちになりつつ、おれは城の中に引っ込む事が出来たのだった。
「何の真似だったんだよ! いたずらにも程があるだろう!」
東の間までずっとおれは、イシュトバーンに抱えられたまま移動させられて、その間にすれちがった使用人とか関係者とかが、拍手したりお辞儀をしたりすると言う、なんだかよくわからない事も続き、やっと下ろされた辺りで、思いっきり文句を言う事にした。
だって目立ちすぎだろう。おれが計画している、お嬢ちゃんの体で、お嬢ちゃんが経験するべきだった幸せな生活を行うっていう目的と、目立ちすぎる今回の事は相性が悪い。
あんなにたくさんの魔族や魔物に顔を覚えられてしまったら、これから下町とかで細々と暮らしていくのに不都合だろう。
いくらイシュトバーンが人気があっても、気にくわないと思う相手は存在するだろうし、イシュトバーンが人気者だからこそ、おれというなんだか得体の知れない、どこからやってきたかもわからない人間を、気にくわないと排除したがる相手が、いないとも限らないわけだ。
というか、そっちの方が絶対に多いとしか考えられない。
あの人気っぷりだ、熱狂のされ方だ。
人間風情など、あのお方のそばにいては行けないとか言う事を考えて、おれに何かする奴は絶対にいる。
そして、おれはお嬢ちゃんの体だから、大昔の剣士が立ち回ったような真似は出来ない。あれは筋力も身体能力も違う相手だ。
比べてはいけない相手である。おれの使い手は無茶ぶりを平気で実行する異様な身体能力だった。
さてそんなわけで、おれはこれくらいは文句を言っても許されるだろうと思って、思いっきりイシュトバーンにかみついていた。
「おれは静かに、目標を達成したいんだ! あんたみたいな目立つ大悪鬼の横なんて、無駄に目立つだけだろうが」
「そんな事を言ったってな、もうやってしまった事は変えられないぞ」
「なんであんたは、おれの目的とか目標とかを知っているのに、そういう邪魔をする事を考えつくんだ! 意外と性格が悪かったのか!?」
「わるいわるい。そんなに怒る事じゃないと思ったんだが」
絶対に悪いと思っていない調子で、イシュトバーンがにやにやと悪い笑顔をしながら、おれを見下ろして謝罪する。
そんな謝り方をされても、おれは納得しないぞ。
というか。
「あれ、なんだったの」
「あれ?」
「見た目が一変しただろ、あれどうやったの」
「そりゃあ、人間の世界では押し込めていた魔力を、流れるままに解き放っただけだ、大した話じゃない」
「人間界で押し込めてたとか、初めて聞いた」
「ちょっとは想像とかをして見ればいいだろう。この状態の俺が、檻の中で大人しくしていられると思うか?」
「無理。というか人間達の中でも、特に力がほしいとか、地位がほしいとか思ってそうな奴らが、躍起になって名前を見つけだそうとしそう」
「そうそう。んで、そう言う事をする奴と組んでも、面白い事なんて何もないだろう、ただ偉そうに利用されるなんて、暇つぶしにもなりやしない」
魔族ってそう言う考え方もするんだな。人間の観点だと、矜持だのなんだのの世界になりそうなんだが、暇つぶしって観点になるのか。
寿命が長いってすごい違いになるんだな。
そうちょっとびっくりしつつも、おれは言った。
「だからって、あんな事見せつけるようにやる意味があったのか?」
「ああすると、迫力がでるだろう? お前も見ほれなかったか?」
「……すごいって思ったのは事実だけどさ。見ほれるという話の前に、おれに魔族の美醜は理解できない」
「なんだとぉ? この見た目のよさがわからないなんて大損だぞ」
いいつつイシュトバーンがおれに腕を回して、ぐりぐりと顔をこすりつけてくる。
なんだか獣の匂いつけみたいなやり方だ。魔族にもそんな考えがあるんだろうか。
全くわからない。
でも、おれは剣だった時代に、べろべろに酔っぱらった剣士が、おれに頬摺りして愛をささやいた事があったから、あの調子か、とか思ってしまった。
でもイシュトバーンは、酔っぱらってないんだよな。魔力を解き放った高揚感で、酔っぱらったようになる物か?
詳しそうなウォレンさんに、後で聞いてみよう。
そう思ったおれが、面倒くささのあまりそのままにしていると、体を離したイシュトバーンが、よし、とおれを見て、言い放った。
「今夜の宴のために、衣装を選ぶぞ」
「はぁ!? これじゃだめなのかよ!? あんなに何時間も選んでたのに?! このためだけとかおかしいだろう!!!」
「朝に言ったじゃないか。俺が選ぶから安心しろって」
「それってそう言う話だったのか!? なんか……もう規格外の事がありすぎて……目が回りそうになってきた……」
「割とありがちな話だぞ? 式典の時と宴の時は、状況や雰囲気、見せたい相手その他がまるで違ってくる事もあるからな。それを考えて、こっちもいろいろやるんだ」
「まるで戦争みたいな言い方」
「実質戦争の一種の時もあるぞ。お互いのぶつかり合いだな。下手な鎧では貫通されるからな」
「聞いてて宴に出たくなくなってきた。やっぱりなしってだめか?」
「だめ」
おれの力のない提案に、イシュトバーンは悪い笑顔を浮かべて拒否した。
逃げだそうかなとか思ってしまったが、さっきの今で、逃げ出す方法はきっとないし、城下はおれの顔を覚えたばかりの魔族や魔物でひしめいている。
足止めをしろとか言われたら、彼らはやりそうだし、お嬢ちゃんの体では強行突破も難しい。
複雑な顔で、おれは一言いった。
「おれが長時間維持できる感じにしろよ、じゃないと途中で逃げるか倒れるかするからな?」
「任せておけ、その心配はしなくていい」
おれはこれに対してもうちょっと心配しなくていいの意味を考えるべきだったんだが、この時はそんな事も思いつかなくて、頷いてしまったわけだった。
「直々に衣装を選ぶなんて」
「これはますます可能性が高いわ」
「装身具も、そろいの物を用意しろとおっしゃっていたし」
「いよいよか……」
「きっと魔界でも伝説になる事になるわ」
「皆さんずっといろんな事言ってますけど、一体何をそんなに興奮してるんです?」
おれは、イシュトバーンが衣装がいっぱい詰まった部屋を探し回って、なんか良さげなものと大悪鬼が判断したものを持ってきて、おれにあてがって、首を振ったり、ちょっと羽織れとか言ってきたりする間に、そこに控えている女魔族の方々が、妙なくらいにはしゃいでいるから、聞いてしまったのだ。
おれは疲れ果てていて、いい加減に決めてほしい。
なんでこんなに同じようなものをいくつも引っ張り出してきて、あてがって、違うだのこれじゃないだの、微妙だのと言われなければならないんだ。
この女魔族の方達も、疲れてじれったくなっていそうなのに、そんな気配かけらも出さない、よくできた魔族の皆様だとは思うんだが、どう肯定的に見ても興奮の状態が尋常じゃない。
なんだか面倒くささの匂いがするのは事実で、おれは聞いてしまったのだ。
イシュトバーンは、まだ衣装のいっぱいは言った部屋の中で、何かを探している。
いい加減に決めてほしいんだが。もしかして自分の衣装も、似たような感じで選び続けるから、時間がかかるんじゃないのだろうか。
そんな事を考えつつ、おれは女魔族の方達が、顔を見合わせた後に、くすくすと笑うものだから、訳が分からなくなった。
笑われるところあったっけ。
どこにあった?
「お方様、あまり知らないふりや、気づかない振りをなさってはいけませんよ」
「そうですよ。城下にさえお披露目されたのだから、これはもう確定ですのに」
「ご本人が、気づかぬ振りというのもちょっと問題がありますよ」
「いや、本当にわからない」
おれが真顔で言うと、女魔族の方々は、えっ、ちょっと、という風な顔になって、おれに近付いて、こそこそと聞いてきた。
「まさか何もいわれていないんですか」
「イシュトバーン様から、こう、決定的な言葉を」
「意外と奥手……?」
「だから、決定的とか、何か言われてないかとか、訳が分からない」
おれは馬鹿正直な言葉を口にした。
しばし彼女達は黙った後に、ふいに楽しそうな顔になって、こう言った。
「これは面白くなってきました」
「知り合いに広めなくちゃ」
「お方様も、心の準備だけはしててくださいね」
「遠回しな言い方はおれには伝わらないんですけど」
「これは、イシュトバーン様と、お方様が交わす言葉ですので、私達がいろいろ言う事は出来ないんですよ」
「ですが、詳細を教えてくださるなら、大歓迎ですからね!!」
「世紀の物語になれますからね!!」
「お前等、何を集まってるんだ? これで最後だ、もうちょっとつき合ってくれよ」
女魔族達が大はしゃぎして言う中で、イシュトバーンが最後の一枚とかいう物を持ってきて、おれにいう。
「本当に最後だろうな?」
「そういううそはつかない。この中で選ぶ」
「本当に長すぎてくたびれるから、早く終わってほしい」
そういって、おれは素直に、イシュトバーンがおれに最後の衣装を合わせるのを、黙って受け入れたのだった。