10
「あんた寒がりなんだな」
おれはぴったりとくっついてくる大悪鬼に、率直な事を言ってみた。
だってあまりにも、この大悪鬼はくっついている。密着だ密着。
「お前、このぼろ布をしっかり見ているか?」
おれのつっこみなのかなんなのかに対して、イシュトバーンは当然だろうと言いたげに反論してくる。たしかに、大悪鬼の身なりはぼろぼろで、長い年月の間檻の中に、閉じこめられていた事を伺わせる朽ち果て方で、全裸じゃないだけまだ、ましかも、と言われそうな状態だ。
「うん、なんかすごいぼろ」
「これで防寒もくそもあるか」
本当に冷え込む、とぼやきながら、大悪鬼はおれを抱えなおした。
その態度から、おれは本当に寒いんだなと理解した。
「なるほど……」
おれ達は、その日も野宿をしていた。と言うのも、イシュトバーンが連れて行ってくれる、人生再出発の新天地は、森から少し距離がある場所なのだ。
なんでも、目指しているのがとある国の首都だから、転移の術を使う際には結構な距離をおかないといけないんだとか。
首都って国の一番面倒くさいところだと聞いた事があるから、なるほど転移の術も近い場所に到着は出来ないんだろう。
散々に泣きわめいて数日。おれは目標だった、お嬢ちゃんに身体を返すって事はもう無理だと、割り切る事が出来た。
たぶんそれは、落ち込んだりするたびに遠慮も容赦もなく、現実を見せてくるイシュトバーンの言葉の力も大きいだろう。
落ち込むと
「お前がどうやってもお前のお嬢ちゃんは戻らないだろう」
と言い、お嬢ちゃんを思って泣きそうな気分になると
「泣きわめきたい感情は否定しないが、それで現状は打開できない」
と身も蓋もなく言う大悪鬼に、負けるものかと反骨心みたいなものがわき上がり、おれは立ち直ったのだ。
現実であり事実である中身しか、この大悪鬼は言わなかったけどな。容赦がないんだ。
そして元々、おれは、というか、刃物、と言う物は主に対する割り切りが速いものなのだ。
だって刃物は持ち主を変えて転々とするし、意思があろうがなかろうが、それを考えてもらう事もなく売り買いされるし。
おれ達刃物は、使った相手によって、善も悪も左右される道具だ。
だからだろうか、主の事でいちいちくよくよし続けたり、落ち込み続けたり、病んだりするのはあまり向いていない道具なのだ。
持ち主の無念がとりつき、魔剣だの妖刀になるだのの話はさすがに知っているが、意志を持った刃物が病んで、問題のある物になるという話は、古今東西存在しない。
それくらい、刃物の持つ感覚って元々はあっさりしているのだ。
でも、現在の持ち主は大事に思うのだから、愛情深い部分はありそうだが。
そういうわけで、おれは、お嬢ちゃんが帰ってこないというのはとても悲しかったし、つらかったし、刃物としては珍しく、なかなか認められなかった部分だったが、現実は現実だ。
さっさと違う方向を見るくらいしか出来ない。
そういったわけで、おれは第二の目標として、
「お嬢ちゃんの身体をもうひどい目に遭わせないで、平穏な暮らしを新天地でする!」
と言う物をたてる事にしたのだ。
そのためには衣食住がちゃんとしてなくてはならない。お嬢ちゃんの体に、無体な真似はしたくない。
そういうわけで、おれはどこかの国の首都を目指す道中で、出来そうな下働きの事を考えて、雇ってもらう方法を考え、前向きに足を進めているわけだった。
そして時を戻して現在だが、おれは寒いのだと文句を言うイシュトバーンの腕の中に抱え込まれて、大悪鬼って体温高いな……と思いつつ、すっかり寒くなっている土地にいた。
野宿になると、イシュトバーンは、先に見張りを自分がするから寝ろと言う。
「あんたは寝ないの」
「俺は寝ていても、敵の気配がすればすぐに戦える」
「やっぱり大悪鬼くらいになるとそんな物なの」
「まあな。その前に、ほとんどの相手が俺と事を構えるつもりもないだろうから、敵意を持つ相手は少数だけどな」
ただし、見張りをする時間は寒いから抱きかかえさせろ。と言うのが主張だ。
そしておれが見張りを交代すると、イシュトバーンはおれを腕の中に入れたまま、寝入ってしまう。
それでいいのかと思ったりもするんだが
「お前が異変を感じたら、俺を起こせばいい。それで起きない俺ではない」
と言う事らしいので、おれは寒さをあまり感じる事もなく、見張りをして、また歩いて首都を目指し続けてた。
「お前は、何か望みでもあるのか」
新天地での新たな生活と言う話で、イシュトバーンが、そろそろ眠くなってきたおれに聞いてくる。
望みか。叶えられない物も多そうだけど、新生活に対しての夢はある。
「窓から見える景色が最高で、布団がふわふわで、ご飯に不自由しない暮らしがしたい。で、手に職をつけて、いつか……」
ふわあ、とおれは欠伸をしながら夢の続きを話した。
「いつか、お嬢ちゃんが着られなかった、花嫁装束をこの体に着せてあげるんだ……お嬢ちゃんは、あの、真っ白い……」
真っ白い、汚れ一つないお嫁さんの衣装を、着たいってよく、口にしてたから。
お嬢ちゃんの魂がここになくても、おれの自己満足だとしても、お嬢ちゃんから聞いた願いは、叶えたいんだ。
そういっていたはずなんだが、今日も歩きくたびれたおれは、抱え込む相手の体温の高さに、すっかり慣れてしまって、眠気を誘われて、目を閉じたのだった。
雄を自認している相手の腕の中ってどうなんだと言われるかもしれないが、大悪鬼って見た目枯れ枝なんだよ。
昔はもっと肉があったような記憶もあるんだけど、檻の中に押し込められて数百年の間に、すっかり色々削られたみたいでさ。
肌の色も枯れた樹木みたいな色をしているし、腕とかも骨と皮だけもしくは枝切れみたいな体で、発する気配のただ者じゃない感じが感じられなかったら、わりと弱い樹木系統の魔物っぽくも見えるんだ。
気配を絶たれたらまず間違いなく、格の低い魔物と思われて、人間の世界でも、相手にもしなくていい弱者だと思われて、放っておかれそう。
枝みたいな見た目でも、力はかなり強いんだけどな。
一つ聞くけれども、樹木相手に男だの女だのと言う感覚を持つ事が出来るかっていったら、無理だろ? おれは根っこが刃物で、元々そういった感覚をもてない側で、さらに相手が見た目だけでもう、意識もへったくれもないわけなので、こうして熱源よろしく抱えられるのを納得してるんだ。
……でも絶対、こいつの方が体温高いだろ、とひっついていて思うんだけどさ。逆に体温が高すぎて、外のと気温差で寒いのかもしれないし。
これから新天地に案内してくれる相手に、不親切な事はしたくもないしな。
「ここってどこの国になるんだ? こんなでかい首都の国、今まで聞いた事がない」
「魔界にある四つの国の一つだ。他の国と違い、人間とも交易を行っている国でな。多少の種族差は気にしなくて済む土地柄だから、お前にもちょうどいいだろうと連れてきた」
「た、確かに、人間に見える人と、そうじゃない相手が普通に会話してる……」
おれは何日も歩き続けて、やっと現れた巨大な首都に、行き交う者達の多さに、圧倒されていた。
おれ、イシュトバーンを檻に入れていた町でも、人の行き交いはすごくて、発展した町ってすごいと思っていたんだが、そんなの比じゃないくらい、いろんな生き物が行き交いしているんだ。
大きな門のところでは、何か確認していて、それによって待遇が変わったりするのかな。
そして、一番驚いたのは、人間に見える人も、少数だけど出入りしているって事だった。
魔界まで商売しにくるような、命知らずの人間がいるんだと思うと、人間って根性ある奴はあるな、と感心してしまう。
たくさんの魔族だろう、人間は見た目が違う生き物達に、明らかに魔物だろう、色々ぶっ飛んだ見た目の生き物。
これだけいろんな生き物が生活してるんだ、おれみたいな、見た目が人間で中身が刃物っていう奴、目立ちもしないだろう。
つまりイシュトバーンは、悪目立ちしない国の町を、選んでくれたってわけだった。
「驚いたか? いい場所だろう」
大悪鬼がちょっと得意げに言う。
「目立たないって事でいえば、一番だと思う。多少人間らしくない行動とか言動しても、変な顔されなさそう」
「気に入ったか」
「まだ門の中にも入ってないのに、気に入ったとかわかんね」
そんな話をしつつ、おれはイシュトバーンと、門の前の出入りするための許可証でもあるのか、それを発行している行列に並んだのだが。
「あなたはどうしてそうなんですか!!」
並んでしばらく待っていた矢先に、いきなり大きな声での叱責が響いて、誰かがこっちに走ってきた。
魔族的な肌色に、角。秀麗な顔立ちに青筋を浮かべて駆け寄ってくるその魔族は、おれの脇に立って、行列なかなかはけないな、と会話していたイシュトバーンの前に立って、思いっきりしかる調子で言った。
「お帰りになるなら連絡をくださいと、何度も言っているでしょう! 周辺の土地で、あなたの魔力を関知したと、警備の者から報告があがって以来、あなたからの連絡を、皆心待ちにしていたというのに! どうしてあなたはそういうところが残念なんですか、イシュトバーン!!」
おお、お説教してる。というか、イシュトバーンって前々からこんな見た目だったのか? この目の前の魔族と思わしき相手、おれの横にいるのがイシュトバーンだってすぐ特定している。
さて、怒られている相手のイシュトバーンは、その相手を見下ろしてこう言った。
「そんなにここで怒鳴るな、ウォレン。俺がこの土地に戻ってきたのは数日前だぞ。数百年ぶりの国を眺めたいと思うのは、悪い事か?」
「ああ言えばこういう! それに騙されませんよ! こうして出迎えに私が来た時点で諦めていただきます!」
……なんかイシュトバーンが偉い存在みたいな口振りだな、ウォレンさん。
確かに、確かに思い出せば、大悪鬼って人間の町に軍勢を率いて襲ってきた事もあったから、ある程度の権力はあったんだな……
額に青筋を浮かべて怒鳴っているウォレンさんと、それを受け流しているイシュトバーン。
そして、周囲の第三者達は、イシュトバーンという名前でざわついている。
それを見て、ウォレンさんが言った。
「ここではあなたは悪目立ちしております。行きますよ」
「ああ、彼女も連れていくぞ」
「彼女?」
「恩人だ」
「……わかりました。あなたが連れて来るというのならば、私が止める事を言ったところで、あなたは止まらないでしょう。にしても、人間くささの薄い女性ですね」
「色々あるのさ」
ここでの説明を面倒くさがったのか、イシュトバーンはそういい、ウォレンさんはおれに一礼する。
「イシュトバーンの恩人の方。私は側近のウォレスと言います」
「おれは……」
おれはここに来て、お嬢ちゃんの名前を知らなければ、自分の名前も持っていない現実に気付いた。
いや、今気付いたんだ。本当に。
どうしよう、名乗る名前もない、と内心で大慌てになったわけだが、とっさに
「ノーシです」
包丁の方言での呼び方を名乗ったのだった。