黒城に叫ぶ 5
十月十四日。
あたりはまだ暗く、日が昇るであろう東の空にも、燦燦と星が瞬いていた。
加助は、夕べ妻のたみに頼んで作ってもらった握り飯を懐に入れ、蓑傘を身に着けた。防寒のためにこの時期外へ出るときには蓑傘は必需品であった。ましてやこの訴訟が幾日を要するか、加助自身も検討が付かなかった。
まだ床に就いている二人の子供とたみに目をやる。
子供はどちらも男子であり、うえの子は傳八、次男は三蔵と名付けた。まだ十一歳と八歳である。
この子たちより上に、長女、次女、三女がいたが、長女は他家から婿養子を迎え別の家に住んでおり、次女と三女はすでに他家へ嫁に行っていた。
寛文八(1668)年から断続的に信濃国を襲った天候不順による不作とそれに伴う飢饉のなかで、妻とともに育ててきた子どもたちである。
可愛くないはずがなかった。
(もしかすると、これが最後になるかもしれん)
加助はふと思った。途端に、傳八と三蔵との微笑ましい思い出が脳裏に次々と蘇った。
どちらかというと活発な傳八。近隣の悪童のなかでは大将のような存在だったらしい。家族で田植えをしている最中、ふといなくなったことがあり、夕刻になって近所の空き地で泥だらけになりながら、仲のいい子供たちと相撲を取っていたのを叱ったことがあった。家の先祖が甲斐武田家の武将だったという話をした次の日から、己に隠れて慣れない手つきで木の棒を振り始めたのには、つい噴き出してしまったこともある。
傳八に比べ三蔵はおとなしく、己に似たのかひどく寡黙であった。まだ幼さが抜けないにもかかわらず、農作業では己やたみの言うことに従順であった。六つの時、習字を教えると家に籠ってそれにばかり夢中になり、外でほかの子供たちと体を動かしてくればと、少し心配になったこともあった。
そんな三蔵に加助は、関心しことがあった。昨日、夕餉をみんなで食していた時である。ただならぬ雰囲気を子供たちも察していたのだろう。いつもに比べ、傳八も三蔵も元気がなく、箸を動かす手もどこかぎこちなかった。
しばらくすると突然三蔵が箸を膳に置き、
「明日はどちらへ行かれるのですか」
と不安げに加助に尋ねてきた。
おそらく土間で握り飯をこしらえているたみを見たのだろう。
困った表情でたみが視線を向けてきた。
「城下へ行き、年貢をもう少し減らしてくれないかと御代官様にお願いしに行くのだ」
嘘を言っても詮無いと思ったのである。加助は本当のことを言った。
「城下に行くだけであれば、あれほど多くの握り飯はいらないのではないですか」
いつもは無口な三蔵である。幼心に、己がどこか遠くへ行ってしまうのではないのかという不安を感じていたのだろう。
窘めようとする傳八を横目に、三蔵が続けて言った。
「それに父上はもう、庄屋ではないのでしょう。そういうことは庄屋の武兵衛さんがやるべきなのでは」
なかなか的を得た質問である。
加助は、感心しながら答えた。
「確かに庄屋ではなくなった。だがな三蔵、この村のみんなは年貢が増えて困っているのだ。困っている人がいるのに、誰かが代わりになんとかしてくれるだろうと思ってはいけない。父がなんとかしてやりたいと思ったのだ。だから行く。それにうちも食べるお米が減っては困るだろう」
癖で声が大きくなるのに気を付けながら、加助は諭すように三蔵に言った。
「この村の人たちなんか助けてやらなくていい。父上がこれまで年貢を払えない人たちの分まで出してやっていたというのに、何のお返しもしてくれないじゃないか。そのせいでうちに蓄えていたお金も無くなってしまったのでしょう。そんなにしてまでほかの人たちを助けてやる必要なんてないよ」
感情が高まったのか、三蔵の声が言ってる途中から震えていた。
「三蔵!」
つい声が大きくなってしまった。一瞬、床の間を痛いほどの沈黙が支配する。
咳ばらいを一つすると、加助は言い直した。
「三蔵、いいか。困った人がいたら助ける。それは庄屋だから、とか、お返しが欲しいから、という理由からそうするのではない。人としてそうすべきだと父は思うからそうするのだ。人として正しいと信じているからするのだ」
三蔵は、なおも納得のいかない表情をしていた。
三人の寝顔に後ろ髪をひかれる思いで加助は軒の外へ出た。
(三蔵、もしかしたら、お前の方が正しかったかもしれん)
凍えるような冷たい風が加助の頬と耳を襲った。
遠くで木々の間を通る風が甲高い音を鳴らしている。
このまま己が帰らぬ人となれば、たみは、傳八は、三蔵は、この先どうなってしまうのだろう。
頭をよぎる不安を振り切るように、城下町に向けて、一歩一歩足を踏み出した。