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黒城に叫ぶ 2

「兄者。早く来てくだされ」


 出立の仕度を整えていると軒先で己を呼ぶ声がした。

 

「先に行った者たちと、納手代様との間で何やら諍いが起きたようです」


 戸を開けると隣家に住む弟の彦之承が肩で息をしながら、もと来た方角を指さしていた。

 

「やはり意見する者が出たか」


 加助はため息交じりに呟くと、すぐ行くと彦之丞に告げた。

 もう四十も半ばを過ぎている。十年前であればすぐに駆けだしていたであろうと重い体に苛立ちを思える。


 此度の籾納めは一俵に三斗五升挽きで納めよという高札が、ここ南安曇野郡中萱村に掲げられたのは二日前のことである。

 昨年までは三斗で納めてきていたが、どうわけか増徴の命が松本藩から下されたのである。

 

「三斗でも困窮していたのに、さらに増えるのか」


「隣の高遠藩領や諏訪藩領の年貢は二斗五升だというに、何故……」


 苛立つ農民たちの不満の声も空しく収納の当日を迎えた。加助も俵に籾を詰めていた時に彦之丞が駆け込んできたのである。

 西に聳え立つ穂高連峰から吹き下ろされた冷たい風が、表に出た加助を襲った。


 年貢の収納は、庄屋である武兵衛の屋敷の庭で行われていた。


「籾様が悪いだと!ただでさえ今年から納め量が増えたっちゅうに、そのうえ籾様までとやかく言われちゃあ、わしらも納めたくとも納められねえ」


 加助が駆け付けると、ぼろ木綿に身を包んだ近隣に住む農夫が、藩役人である納手代に向かって唾を飛ばしながら喚いていた。

 

「お上の命だぞ。お殿様にたてつくつもりか」


 藩役人は杖先を農夫に向けながら高飛車に言い放った。


 籾様とは籾の出来栄えのことである。松本藩では長期保存が可能な籾の状態(殻を取っていない)で納める籾納制であった。

 籾には”のぎ”という毛が付いているのだが、のぎが付いたままではないかと藩役人は言ったのである。


「我らも生活していくんで、手いっぱいなんじゃ。年貢を増やしたうえさらには、これまで免じられていた踏み磨きをやれとは、無理難題じゃ」


 農夫は食ってかからんばかりに怒鳴り散らした。

 

「いう通りにせんか」


(まずい)


 納手代が農夫に杖を振り上げたのを見ると、状況を把握した加助は一目散に二人の間に割って入った。


「申し訳ございません。我ら百姓は、決してお上に逆らうつもりなどはございません」


 地に膝をつき両手を広げた加助は、言葉に反して厳然とした態度で納手代に対峙した。

 

「ですが、御存じの通りここ数年の凶作は今年も変わらず続いております。昨年まではやっとの思いで三斗の年貢を納めて参りました。しかし収穫量は変わらぬのに三斗五升と年貢が増えては、我々も今後どうやって生活していけばいいやらわかりません。どうか、踏み磨きと三斗五升を再考していただくことはできませんでしょうか」


 言葉の調子は柔和であるが、加助の表情は懇願している者のそれではなく、まるで野盗に物取りの理由を糺しているかのように冷たいものであった。

 

「またお前か、加助。もうお前は庄屋ではないのだぞ。村の代表みたいな面で物を言うな」


 次の瞬間、納手代は振り上げていた杖を加助の顔面目掛けて振り下ろした。

 殴打された頬が傷むのをぐっと堪え、閉じていた目を開け役人を睨み据えたのと、背後から怒号が聞こえたのはほとんど同時のであった。

 

「兄者に何をする!」


 後ろで様子を窺っていた彦之承が、兄を打たれたことに怒り藩役人に飛び掛かったのである。

 

「離せ、下賤の者が」


 胸倉を掴まれた役人は、もがきながら彦之丞の両手を引き離すと腰の刀に手をやった。


「何をするか」


「刀を抜かせるな」


 この光景を見ていた年貢を納めるために集まっていたほかの百姓たちが、一斉に役人にしがみつき抜刀させじと食らいつく。

 傍に控えていた別の藩役人が集団でかかってきた百姓らを取り押さえようとする。

 その場は乱闘さながらの状態になった。

 

「お前たち、控えよ!」


 地鳴りのような声が一帯に轟いた。その場にいた皆がびくりと動きを止める。

 加助であった。


「武兵衛殿、役人様方に茶でもお入れしてくだされ」


 おろおろしていた庄屋の武兵衛は加助の言葉に頷くと、まだ怒りの収まらない役人たちを宥めながら、屋敷の中へと案内していった。

 

「ひとまず解散じゃ」


 加助はぶつくさと文句を言う百姓たちを家に帰るように諭した。

 殺伐とした雰囲気と冬の訪れを感じさせる冷たい空気が皆が去ったその場を支配していた。


 


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