黒城に叫ぶ 14
十八日も暮れようとしている。
西日が松本城の黒壁を朱色に染めていた。
やがて太陽の残照が本町通を南に疾駆してこちらに向かってくる四つの騎馬を照らした。
何か叫んでいた。
「諸事、その方達の願い通りとなったぞ。御証文は、この通り」
裃をつけた藩役人は、馬上でひらひらと御達書の紙を振りながら百姓たちのいる博労町の橋までやってきた。
各組手代に手渡された新たな回答書は、すでに宥免されていた四か条についてはほぼ前回と同文であった。籾納めについては次の通りである。
一、先年は、二斗五升挽きで納めてきたところ、三斗挽きで納めるようになった。ところが当年の納めは三斗五升もあるようにと申しだされた。三斗挽きは先々代の御藩主から三斗挽きの決まりである。その例をもって今日まで三斗挽きで納めさせてきた。このことは只今まで問題なく収納されてきたことで申し分ないことである。然れども当年の籾改めは強く、三斗五升挽きに納めよとは、納手代の不届きであった。依って手代共の役儀を召し放ち新手代を申し付けたので、前々の通り三斗挽きで収納するようにこの度申し渡した。有難いと言って納得する者のいる中で、居残った者共は不承知であり城下に長々と罷りあり、公儀いかがわしくにつき、願いの通り二斗五升挽きで両五千石領並みに申しつける。
「……二斗五升じゃ」
「我らの願いが聞き届けらた」
「勝った……。我らの粘り勝ちじゃ」
頓集していた百姓の中からちらほらと声がした。その声は、次第に大きくなり歓声へと変じる。蜷局のように周囲一帯を歓喜の声が渦巻き、勝訴の雄叫びは松本城下に轟き渡った。
「……やっと。やっと、あの生活の苦しみから解放されるのだな」
加助は、両手を挙げて肩を叩きあう周囲の喧騒とは裏腹に、安堵からその場にへなへなと座り込んだ。
「兄者。やりましたな」
肩に手を置く彦之丞の目にはうっすらと光るものがあった。
「ああ。これで、思い残すことなく家に帰れるな」
二十六のとき、それまで彦三郎と名乗っていた己は、多田家の庄屋役と共に名も踏襲し加助と名乗るようになった。己の家のことだけでなく、中萱村の百姓すべての年貢を管理する立場となり、払えない者があれば肩代わりしたことも、一度や二度ではなかった。踏み磨きの御達しが藩から出されるたびに、上役の組手代や、代官に免除の訴願をした。その義侠心が周囲の百姓にまで伝播しのか、六年前には己の預かり知らぬところで、村の人々が踏み磨きの減免を城下に訴えたこともあった。
庄屋であることで、家族にも負担をかけてしまうこともあった。不作の折には、村の年貢を何とか払おうと生活を切り詰め、借財に窮する身となり、そのことから昨年庄屋役を免じられてしまってもいた。
なんと苦しかったことか。
籾納め三斗摺りでもこれだけ苦しかったのである。今年、三斗五升の高札が掲げられたときは、村の者一同、絶望していた。
それが、二斗五升である。
不作ともなれば苦しいことに変わりはなかろうが、恨むは天のみで、藩を恨むことはない。
「これからは、ちとはましな生活ができるというものだな」
博労町の河原にいた六百人ばかりの百姓たちは、喜び合いながらそれぞれの村へと帰っていった。
加助も、彦之丞、小穴善兵衛、春吉らと共に、まだ朱色を帯びた穂高連峰の麓へと去っていった。
大手門から出てきた二人の騎馬武者が、江戸へ向けて駆けて行ったことに、加助は気が付かなかった。