3話 王の従者
サンドイッチを食べ終えたリースリンデは、紅茶の最後の一口を飲むと、静かに席を立つ。
今後の予定はなく部屋に戻ることも考えたが、それではもったいなく感じたので、腹ごなしも兼ねて城内を歩くことにした。
城の構造は、かつてリースリンデが暮らしていたものと特に大差なかった。
いくつも連なる部屋、迷路のような通路、玉座へ繋がっているであろう階段――リースリンデはあてもなく、城の散策を続けていく。
そうして、結構な時間を探索に費やしたというのに……誰かがいる気配は特に感じられなかった。
孤独な城を廻り続け、途中でバルコニーを見つけたリースリンデは外の空気を吸うべく外に出た。
しばらく遠くを見つめ、高い建物が存在しない、視界を埋め尽くさんばかりの自然に異国……異界を実感する。ふと下を見ると、リースリンデはあっと目を見開いた。
それは、赤茶のレンガに縁取られ、いくつも畝が作られた畑。そして、かつての世界で見慣れた野菜たちが、陽の光に照らされ実っていた。
「クランセイは畑もやっているのか……」
リースリンデの口から、驚きの呟きがもれる。
精霊も農作業を……彼は案外多趣味なのだろうかと思いながら、バルコニーを出て畑の方へ歩み寄る。
畑のすぐ前まで来て、手近にある葉に触れる。小規模だが、よく手入れされている畑を見たリースリンデは――
(本当に、人間のようだな……)
つい、そんな感情を抱いた。
しばらく懐かしい気持ちで畑を見つめていると、
「お、君は……もしかして人間かな?」
背後からの問いかけに、リースリンデは振り返る。そこには背が高く筋肉質の、赤い髪の青年が立っていた。
彼は、年季が感じられる三叉の鍬を肩に担ぎ、左手には土汚れがついたバケツを持っている。農夫のような出で立ちであった。
青年はリースリンデの前まで歩き道具をおろすと、片手を腰の後ろにまわし、もう片方を胸を当て恭しく頭をさげた。
「ご機嫌麗しゅう姫君。君が、最近来たルーサーの妃だね?」
「ルーサー?」
「クランセイのことだ」
青年の言葉に、そういえば……とリースリンデは思い返す。
クランセイ・ルーサー・アヴァトル――初めて出会ったとき、彼がそう名乗っていたことを思い出した。
「君のことは知ってるよ。リースリンデ・アヴ・アンドラハン王女」
「……っ」
名を呼ばれて、リースリンデはさっと口を引き結び身を引き警戒する。
「どこで私の名を……?」
「ん、普通にルーサーから聞いた。君が使う部屋を整え、軽食を作ったのはオレだし……。オレが作ったサンドイッチ、美味かっただろ?」
青年は首を傾げてニカッと笑う。
リースリンデは彼の言葉を反芻し、やがて理解する。ついさっきご馳走になったサンドイッチの作り主に、リースリンデは声をあげた。
「そうだったんだ。わたし、てっきりクランセイが作ったものだと……」
そうリースリンデが言うと、青年は一瞬真顔になったあと、心底おかしそうに笑い声をあげた。
「ルーサーは湯は沸かせても、飯は作れないよ。まぁその湯沸かしもオレが教えたんだけど!」
青年がひとしきり笑ったのち、2人は並んで、改めて畑を見渡した。
穏やかな異国の風が吹き、それぞれの髪や服を揺らす。
「この畑は……食料は、自分たちで栽培しているのか?」
「そうだ。美味いか不味いか分からん野っ花摘むより、確実に食べれるものを作った方がいい――ということで、あいつに土地の一部を畑に変えてもらったのさ」
イチから開墾するのは大変だからな! と青年は語る。彼の溌剌とした明るさに、リースリンデもつられて顔を綻ばせた。
「あなたは、人間界から還ってきた精霊なのか?」
「まぁな。正確に言うとオレは精霊ではないんだけど、あいつの世話をするという契約で、ここに住まわせてもらってる。……でも、よかった。君はいい子そうだし美人だし。ルーサーはあの通り無愛想だから、嫁取りなんて出来ないと思ってたから安心したよ」
その言葉に、リースリンデは目を見開く。
主人であろう彼のことを馬鹿にしたような言葉や態度が一変、口の端を緩やかに吊り上げたその表情には、言葉通りの安堵があった。
「……さて、オレはそろそろ畑仕事に入るよ」
「そうか……。また来ても、いいだろうか」
「もちろん。主人のお妃様ならいつでも歓迎さ」
「それならよかった。……そうだ、あなたの名前は?」
ここまで話し込んでおいて失念していたことを思い出し、リースリンデは青年に名前を問う。
すると、青年は一度悩んだ表情をして、すぐにパッとした笑顔を見せた。
「オレは、そうだな……。巨人族のアースヴァルさんとでも呼んでくれ!」
青年は力強く親指を立てたあと、仕事に取りかかるべく畑へ入っていく。
リースリンデは、そんな彼をしばし見つめた。
彼はきっと、クランセイが言う「友好的な精霊」なのだろう……。そんなことを思っていると、青年は何か思い出したかのように勢いよくリースリンデへ振り返った。
「あ、もしかしてルーサー探してたりする? だったら、城の天辺に行くといいよ! あいつはいつも自分の部屋にいるから」
そう言って、青年は城の頂を指差す。
「それは……勝手に行ってもいいのか?」
リースリンデは、クランセイの冷ややかな青い瞳を思い出す。どう見ても、突然の来訪など好まないように思えた。
しかし、青年はあっけらかんと言い放った。
「別にいいんじゃない? まぁ、いい顔はしないかもだけど、茶ァくらいは出してくれるさ!」
「……そうか」
あまりに適当で呑気な返答に、リースリンデは失いかけた言葉を絞り出す。そして、覚悟を決めたように視線を青年から城へと移した。
何はともあれ、次の行き先は決まった。気になってはいたものの、彼の近寄りがたい雰囲気から避けていた……帰還城アヴァトルの頂上である。