3.
◇◇◆◇
『ディアベル 親愛なる我が友よ。
僕が贈った髪飾りが、一瞬でも君を愉しませることが出来たなら幸いだよ。
僕は、君の喜ぶ顔が大好きなんだ。
魅惑的なベルローズ。
君に会いたくて仕方がないよ。
この手紙はヴァンベールで書いているのだけれど、この土地で見たことがない布を見つけたんだ。
何でも新しい織り方で織られた布らしい。驚くほど薄くて軽くて柔らかなんだ。
さすが財貨の女主人のお膝元は、技術革新に余念がないよね。常に追求し続けている。
手に取った瞬間、これでドレスを仕立てれば君を最高に喜ばせれると確信したくらいさ。
つい勢いでレースとジョーゼットのワンピースドレスを三着とそれに合わせたハーフボンネットとヘッドドレスを頼んでしまっていたよ。
あとティアードドレスニ着、それに合わせたハーフボンネットも薔薇づくしで頼んでおいた。こちらはフロラ=クロリス製の布で仕立てて貰ったよ。
フロラ=クロリス公国は、鮮やかな染色が得意な国だけあるね。あの国の糸で織られた生地の艶やかさといったら。君の美貌に負けず、邪魔にならない可憐さで引き立てるドレスが出来たと思うよ。
どちらのドレスも細かなサイズ調整は、着るときに出来るそうだ。その辺りは、男の僕にはわからないけれど、キミーなら問題なく扱えるんじゃないかな。
念の為と思って、キミーからサイズ表を預かっていて良かったよ。
僕に、乙女の秘密を渡してしまった彼女のことはどうか叱らないでやってほしい。
彼女も君が愉しそうに笑う姿が好きなんだ。
来週には、ファーレチカ入りする。
一日でも早く君の元へ参上することを誓うよ。
その時に、ドレスの話を聞かせてほしい。
君の崇拝者、メッサー・ライモントより
ベルローズへ
愛をこめて』
読み終わった手紙を脇に置いたベルローズは、蓋を外された箱から覗くティアードドレスを見て目を細めるとわずかに口角を上げた。
ソファーのアームレストに肘を添え、リラックスした姿勢でベルローズが手紙を読んでいる間に、粛々と部屋に運び込まれ荷解かれた衣装箱たちは、中身をベルローズが確認しやすいよう蓋を開けた状態で彼女の前に並べられている。
「素敵ですね」
「そうね」
傍らに控え感嘆の吐息を漏らすキミーとは対象的に、何か思案しているのかベルローズの眼差しはどこか冷たい。
「一着、お幾らなのでしょう」
ホロリとこぼれた言葉に、珍しくベルローズの瞳が驚きに見開かれた。
「まさか具体的な数字を聞いてくるとは思わなかったわ」
「何やら試算されているような、お顔でしたので」
実際、ベルローズはメッサーが贈ってきたドレスの価値について考えていたのだから気が置けない。
「メッサーの娯楽にかける貪欲さに、辟易していただけよ」
「ライモント様は、お嬢様を愛しておいでなのですよ」
「愛、ね……」
完全な愉快犯だと思うけれども、キミーの目にはメッサーが素晴らしい人格者か聖人か何かに見えているのね。
「どちらかといえば、同類相憐れ……いえ、違うわね。同」
「お姉さま! わたしに内緒で新しいドレスをお作りになられましたのね!」
ベルローズの言葉を遮り、ステファニーの甲高い声が響く。
「ステファニー」
「酷いですわ。次にドレスをお仕立てになられるときは、ステファニーも一緒にと仰って下さっておりましたのに!」
期待を裏切らず、顔を赤く染めて姿を現した妹にベルローズは嘆息する。
ステファニーを追って部屋へと入ってきた使用人達が彼女の後ろに見えた。しかし、彼女達も心得たもので部屋の主であるベルローズの耳に入る距離で声を荒げる事はせず、即座に口を噤み壁際へと控える。
どうやら妹は、ベルローズの部屋に次々と運び込まれる化粧箱を見て、その大きさから衣装箱だと気付き使用人達の制止を押し切ってベルローズの部屋へと闖入してきたらしい。
「やはり、こんなに沢山!」
並べられた箱の数を見て肩を怒らせる妹から、ベルローズは滑らかに視線を横にずらす。運び込まれた荷物を検分したあと、彼女の采配を待って衣装部屋へと続く扉の前に控えていた家政婦長のレポールが目に入った。
ステファニーの振る舞いにも表情を崩すことなく、直立不動でベルローズの指示を待つ婦長のステファニーを見る目は冷たい。
「ああっ。思った通り、どれもこれも素敵! ひどいわ、お姉さま。わたしが可愛くなるのが許せなくて、一緒のドレスを作ってくださらないのね!」
箱から覗くドレスやボンネットは、ひと目でステファニーを虜にしたようだった。
ベルローズの許可なく衣装箱に近付き勝手に中からドレスを引き出しては、我が物同然に胸に当て喜ぶ。
「ステファニー……、これらは戴いたものよ」
漸く、ベルローズは口を開いた。
「すべて贈り物……」
気に入ったドレスを腕に抱え、ベルローズの為に用意された姿見の前に立ち自分に似合うかどうかを確かめていたステファニーから表情が抜け落ちる。
「なんて」
座るベルローズを振り返ったステファニーの瞳は爛々と輝いていた。
「なんて素晴らしいお友達を、お姉さまはお持ちなのでしょう!」
ベルローズの声に咎めるような響きが宿ったことは、ステファニーの行いから当然のことなのだが、彼女の耳に含まれた意味が届くことはなかったようだ。
あまりの返しに、キミーや他の使用人達の顔が強ばる。
唯一、石膏で作られた像のように家政婦長だけはピクリとも動かなかった。
「素敵、素敵、素敵、素敵!」
声を上げ、はしゃぐ姿は遊びに夢中な仔犬のようで幼子なら微笑ましさを感じる光景かもしれないが、彼女は社交界デビューをふた月後に控えたご令嬢だ。
明るいで済まされない落ち着きの無さに、伯爵達はステファニーのデビュタントボール参加を先延ばしにしてきたがこのままではもう一年延びそうだとベルローズはそっと息を吐いた。
「どれも素敵! ああっ、これはなんて軽い布で作られているの!」
手あたり次第に箱の中身を取り出しては、気に入らなかったものは雑に床に放り出し。空き箱となった衣装箱に自分の気に入ったドレスや帽子小物を詰め込むと壁際に控えていた使用人を呼ぶ。
「お姉さま、全部戴き物ならば私が貰ってもいいでしょう?」
「?!」
至極当然といった顔で笑うステファニーに、ベルローズより側に控えるキミーの唇からくぐもった声が漏れた。
「だって、こんなにあるんですもの。少しくらい私が頂いてもきっと贈られた方は怒りませんわ」
大切な物を腹の下に隠した獣のように衣装箱を抱えるステファニーは、譲られない未来はないと上機嫌な笑顔を見せる。
「いいえ、もしかしたら。お姉さまの妹となった私にお姉さまが分け与えて下さるだろう分も含まれているのかもしれません」
そんなわけ無いでしょう! 思わず叫びだしそうになるキミーをベルローズは軽く片手を上げて制した。
「わかったわ、ステファニー」
「ベルローズ様?!」
「やった! お姉さま、大好き」
ステファニーは意気揚々と「お姉さまのお許しが出たから早くこの箱を私の部屋に運んで」と、再び控える使用人達に声を掛ける。
「レポール」
「はい。お嬢様」
「あなたの見立てで構わないわ」
「承りました」
目礼をして衣装部屋の前から退いたレポールは、そのまま部屋を出ていく。壁際に控えていた使用人が数人、後に続いた。
「あ、ちょっと。出ていくなら、この箱を運びなさいよ!」
背を向ける使用人に言葉を投げつけるが誰も振り返らない。残っていた使用人達もレポール達が部屋の外に出たのに合わせ扉前を塞ぐように並び立った。
「ちょっと!」
誰も手伝いに近付いてこないことに、ステファニーが声を荒げる。
「ステファニー」
癇癪を起こし掛けている妹の名をベルローズは静かに呼んだ。
「ステファニー、神への感謝を」
呼ばれたステファニーは、続いた言葉に慣れたものと言うような微かに嘲りが混ざった笑みを束の間浮かべた。
初めてベルローズから、彼女が最初拒絶した彼女だけの大切な物を譲り受けた日から。ステファニーは学んだことがある。
ベルローズは神への祈りを口にすれば、どのような高価なものでも自分に譲ってくれるのだ。
簡単な口上のみで汎ゆる物が手に入る奇跡に浮かれる彼女は、ベルローズが言った『神への感謝と努め』という言葉をすっかり忘れていた。
「至高のお方、あなたの愛しみに感謝致します。聖寵に感謝致します。私の人生が、あなたの讃美となりますように。感謝の祈りを捧げます」
無意識での内面の発露をベルローズが見逃すはずもなく。床に両膝をつき、重ねるように交差させた手を胸に置いて僅かに頭を垂れ祈りを捧げる妹をベルローズは穏やかな笑みとは対照的な昏い瞳で見ていた。
「いいですわよね」
「ええ」
「ほら早く! このドレス達をわたしの部屋へ持っていって」
一番簡素で一般的な祈りを口にすると、すぐさま祈りの姿勢を崩し使用人達に行動を求める。
そこには神に対する畏敬の念など欠片も感じられなかった。
「それは、まだ駄目よ」
「え……。で、でも神への感謝の祈りは捧げました」
何時もと違う展開にステファニーは不服そうに頬を膨らませて姉を睨む。しかし、その程度でベルローズが動じるわけがなかった。
素直で疑うことを知らない純粋なステファニーは、ベルローズを優しく穏やかで争い事を好まず、控え目で分別があり、自分より他者を優先してしまうようなお人好しで、神への献身を欠かさず、施しを与えることを信仰の証とし慈善に励む人物だと思っていた。
最初は、その信仰心の得体の知れなさに恐怖を抱いたが、祈りさえすればベルローズは許してくれる。譲ってくれるのだ。その行為は、姉は父や母より扱いやすい相手だと思い違いをさせるのに十分だった。
そんなベルローズが自分の行動に否を唱えた。そのことがステファニーを苛つかせたのだが。
寛いでいた筈のベルローズの背は、いつの間にか真っ直ぐに伸ばされていて物静かな淑女然としてステファニーを真正面に捉えている。
そして、その昏い瞳の圧と悠然とした微笑みにステファニーはあの怖ろしかったベルローズを思い出し、気後れがそのまま態度となってドレスの山から一歩下がらせた。
「そうね。でも、貴女は先程、わたくしからの施しではなく自分に分け与えられる分も含まれていると言ったわ」
「え、あ。そ、それは」
「ならば、きっとそうなのでしょう」
静かで穏やかな語り口は、優しくステファニーの耳を打つ。しかし、その声音は仄暗く冷たい何かを孕んでいるかのようにステファニーを怖気立たせた。
「例えそうではなくても、貴女の中にわたくしからの施しを享受するではなく自身が財産を得るという責任に目を向けた。素晴らしい事だわ」
「お姉さま?」
「貴女も神に仕える者の徳目に沿った行いをする頃合いなのかもしれませんね」
「えっ……、えっ?!」
立ち上がったベルローズから真冬の夜風のような冴えた冷たさが広がる。そんな錯覚に囚われ、逃れようと更に一歩下がった所で自分が投げ出したドレスに足を滑らせ無様にもステファニーは尻餅をついた。
「勤勉と倹約の徳。富の公正な分配と弱者の救済を行う準備が出来たのでしょう」
自分から目を逸らすことが出来ず、今際の際のような表情で見上げてくるステファニーにベルローズは微笑みながら近づいていく。
「ま、待って。お姉さま」
手足をバタつかせ、後ずさり逃げるステファニーの指が床に捨て置いたドレスに掛かった。
指先に感じた異物感に驚き、そちらを見たステファニーの視線を追ってベルローズの視線も動く。
「そのドレス一つで、キミーの五年分の給与に値するわ」
「えっ」
ベルローズが口にした価値に驚き、首を戻すと既にベルローズはステファニーの間近まで来ていた。
「貴女が選んだパールクラウンのヘッドドレスは、十年分かしら。艷やかに光を孕む真珠は美しかったでしょう?」
自分を見上げたまま動かなくなったステファニーに、ベルローズは腰を折って彼女の顔へ自分のそれを近付ける。
「貴女は財産を得たのだから、得た財産の一割を信徒に分け与えることで信仰の証となりましょう」
囁く声は、どこまでも優しく。けれど、吸い込まれそうな昏い瞳同様、人の感情は感じられなかった。
「な、な、何を」
「少しだけ待っていてね、ステファニー。今、レポール達が貴女の部屋から相当分の対価を喜捨とする為、運び出しているわ」
「……」
驚きに、ステファニーの目が見開かれていく。
「大丈夫。貴女がこの屋敷に来てから揃えられたドレスと宝石全てを捧げれば、ちょうど釣り合いがとれるでしょう」
喜捨は、自分の大切だと思う財産から払わなければならない。
信仰に身を入れているわけではないステファニーでも、それくらいは知っていた。
昏い、昏い瞳が自分を見下ろしている。
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
その瞳の奥に宿る闇に飲み込まれていくような錯覚に襲われ、ステファニーはあらん限りの声を張り上げると這々の体でベルローズの前から逃げ出した。
「そんな、嫌よ!」
身を翻し、部屋の出入り口へとステファニーが向かうのをベルローズは困った子と微笑みながら見送る。
しかし、扉の前には使用人達が立ち塞がりステファニーが部屋の外へと出るのを許さなかった。
「嫌よ、イヤイヤ!」
叫び、闇雲に両手を振り回して暴れる彼女を使用人達は取り押さえるではなく受け止める。
「離して、イヤッ。出して、この部屋から出して!」
力尽くで押し通ろうとするステファニーと、通すまいとする使用人達。
そして、それを見つめるベルローズ。
「イヤよ、イヤっ。全部、わたしのよ。わたしのなの!」
『ディアベル 親愛なる我が友よ』
「いやぁぁぁぁ!」
絶望に彩られた絶叫に、ベルローズは目を細めた。
『これでドレスを仕立てれば、君を最高に喜ばせれると確信したくらいさ』
「ええ、とても愉しいわ。メッサー」
ジョーゼットもティアードも人名なんですけど
置き換えるにも無理があると判断し、もうそこは致し方無いとそのままにしました。
この世界にもジョーゼットさんとティアードさんはいたんです。
そして都合よく布の織り方も地球と同じく開発したのです。
そういうことにしておいてください涙