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2.

 

 ◇◆◇◇



「ベルローズ、話がある。後で書斎に来なさい」


 朝食室で一人、遅めの朝食を摂っていたベルローズは、わざわざ顔を出した父親に驚いたものの、やはり来たかという思いも同時に湧いた。


 ケネス・キャッテル。愛妻家として有名だった彼は、後添いのイザベラにも惜しみない愛情を注いでいる。


 ――と、いう一般の風評は正しくもあり、間違ってもいた。


 ケネスという男は、とてもよく出来た男だった。

 父としても、夫としても、貴族という政治家としても、投資家としても。非の打ち所がないというほどではないが、可もなく不可もなくというのが一番難しい役どころであるのに。彼は普通という枠に収まり続けることの難しさを難しいと悟らせずに実直に熟し続けた。


 故にベルローズを含め周囲は、彼は、大変良くできた人間なのだと勝手に思い込んでいたのである。


 よもやまさか、継室に愛人を据えるとは。


 とはいえ、この継室となったイザベラもよく出来た女性であった。

 目に余るような贅沢をするでもなく。気が強く野心に燃えるわけでも無く、女主人として慣れぬ仕事に懸命に取り組む。

 何故わざわざ日陰の道を歩んだのかと首を傾げたくなるような女性であった。


 不実の証だけが、自分は世界に愛されていると生命を満喫している。


 食事を終えたベルローズは、一旦部屋に戻るとキミーを呼んだ。


 少しばかり憂鬱な気分だから、髪型を気持ちが明るくなるような華やかなものにして欲しいと結い直しを求める。


 キミーは、朝食室での当主とのやり取りを給仕から聞いていたのだろう。

 ベルローズが化粧台の前に座るやいなや、彼女の髪を素早く解き、ハチ下までの髪を編み込みハーフアップを作ると、引き込むように両サイドの髪を耳の後ろから編み込んでひとつにまとめ、更に揺れ落ちするようにそこかしこを解してスキのある動きをつけて、エレガントさの中にゴージャスが垣間見えるそんな華やかな髪型をつくり出した。


「さすがね」


 鏡越しにキミーの仕事を見ていたベルローズは、彼女の手際の良さに感嘆のため息を吐く。


「痛み入ります」


 キミーは、よく心得ているらしくベルローズが指定するまでもなくメッサーから贈られた髪飾りを選び彼女の髪に挿して形を整えた。


 ベルローズは、初夏の日差しに映える花の様な色合いのドレスを好んで身に着ける。メッサーは、そんな彼女の趣味をよく理解していたのだろう。まるで誂えたように髪飾りは、ベルローズのどのドレスにもよく似合った。


 ベルローズはメッサーとの関係を又従兄以上には考えていないようだったが、メッサーはベルローズの好みを熟知しハズレた贈り物をすることがない。


 キミーは、メッサーが寄越す手紙の結びの言葉としてよく使われる『君の崇拝者』という文言に嘘偽りはないと確信し、早くベルローズがその真意に気付き愛情を傾けるようになればいいと心から思っていた。


「お化粧も直されますか?」

「そうね。髪型に合わせたものに」

「承りました」


 自分の敬愛する主を春を告げる光の乙女の如く輝かせるため、キンバリーはフラットトップブラシへと手を伸ばす。



 ◇



「ベルローズ、参りました」


 食事を終え、ケネスの書斎に馳せ参じたベルローズの目に真っ先に飛び込んできたのは、すぐれない顔色でソファーに座るイザベラと彼女の腰に縋るようにして顔を伏せているステファニーであった。


「お父様、これは一体」


 楚々とケネスが座る両袖机の前まで進み出たベルローズは、継母と異母妹を気遣わしげに見やりながら口を開く。


「すまないな、ベルローズ。ステファニーがお前が持つ髪飾りと同じものが欲しいと無理を言ってな」


 眉間の皺を摘んで揉みしだく仕草から、どうやら昨日の夜中から癇癪が続いているのだと察した。


「でしたら、ミューラ商会にお問い合わせ頂けば。あの商会は、オリエンス皇国と交易しております。きっと美しいカンザシを用意して貰えますわ」

「オリエンス皇国のものなのか」


 オリエンス皇国と聞いたケネスの顔が曇る。


「イヤッ! お姉さまと同じものが欲しいのっ」


 そこに顔を上げたステファニーがベルローズを見付けて叫んだ。


「ステフ」


 驚いた夫人がステファニーを止めようとするが、彼女の口は止まらない。


「お姉さまは、いつも素敵なものを身につけられているわ!」


 母親から離れ、立ち上がったステファニーは大地に猛り立つ勇者のように肩幅に足を開き、背筋を真っ直ぐに伸ばしてベルローズへと強い瞳を向ける。


「髪飾りも、耳飾りも、首元を飾るレースも、手袋だって!」

「ステフ、おやめなさい」

「素敵なもので溢れてる!」


 激しい感情がステファニーの瞳に涙を盛り上げさせた。


「いつも、いつも、いつも!」

「ステファニー!」


 夫人の悲鳴を聞きながら、ベルローズは自分へと掴みかかってくるステファニーをどこか他人事のような目で見ていた。


「わたしも欲しい! わたしも同じものが欲しいの!」


 目の端に、驚愕の表情で立ち上がる父親が見える。


 その位置で、今更立ち上がったところで間に合いませんよ。


 そんな場違いな考えにベルローズの口角が上がった。


「おねぇさま、頂戴!」


 ステファニーに肩を押され、彼女のもう一方の手がベルローズの髪を飾る髪挿しへと伸びる。


「きゃあ!」


 そのタイミングで、ベルローズは足を取られたようによろけ、不可抗力にも振り上げた手でステファニーの頬を打った。


「痛ぁい!」


 ケネスもイザベラも思っていた相手とは違う人間が悲鳴を上げ、床に倒れ込んだことが信じられなかったのだろう。


 倒れた異母妹を見下ろすベルローズと打たれた頬を手で庇い異母姉を見上げるステファニー。


 演劇のいち場面のような二人を呆然と見ている父母。


 母としての本能か、我に返るのが早かったのはイザベラだった。慌ててステファニーに駆け寄った彼女は、嫌がる娘を強引に引き起こし、ソファーへと連れ戻す。二人がソファーに戻ったのを見て、ケネスは崩れるように椅子に尻をつけた。


「ベルローズ」


 偶然とはいえ、父親の目の前で異母妹に暴力を振るったベルローズを叱るべきなのかと、迷うケネスは深いため息を吐き眉間の皺を揉み解す。


「ステファニーを傷付けるつもりはありませんでした」

「ああ、わかっている」


 ことの始まりは、ステファニーだ。

 異母妹が力尽くで異母姉の髪飾りを奪おうとした。すべてが、たまたまの産物なのだ。


「ステファニー……。我儘を言っても通じませんよ」

「お母様ひどい。お姉さまは意地悪よ!」


 イザベラはステファニーに言い聞かせようとするが、ステファニーはすすり泣くばかりで母親の言葉を受け入れようとしない。


「ステファニー」


 イザベラの言うことを聞かず、姉を羨んで泣き続ける娘に思うところがあるのだろう。彼女の名を呼ぶケネスの声に、暗く苦い感情が滲む。


「お父様」


 それ以上は。と、でも言いたげな瞳を父親に向けたベルローズは緩く首を横に振った。


「……ああ」


 もうひとりの娘の心を察し、ケネスの表情はますます翳る。


 少しだけ背が丸くなったように見える父親の姿に、目を細め短く息を吐いたベルローズはイザベラとステファニー母娘に向き直った。


「ステファニー」

「……フローレス」


 娘の名を呼ぶベルローズの静かな声に、イザベラが顔を上げる。


 彼女は、ベルローズを常にフローレスと呼んだ。それが『花の乙女』という意味でなのか『完成された美』という意味でなのかは判らない。


 ベルローズ自身、確かめる気はなかったのでそのままにしている。


 ただ。


 イザベラという女は鼻が利くのだろう。本人も無自覚のうちに選び取っていた。この本能に似た才能をステファニーも受け継いでいたら良かったのにとベルローズは思う。


「お母さま?」


 母の身動ぎが伝わったのか、イザベラに縋った状態のステファニーも伏せていた顔を上げた。先に母を見、次に彼女の視線の先に立つベルローズへと瞳を動かす。


 二人の視線を一身に受けたベルローズは、自分の髪を飾る髪挿しを引き抜くと座るステファニーと目線を同じにするように身を屈め、彼女の前へと手にした髪飾りを差し出した。


「これは、貴女に差し上げるわ」

「お姉さま!」


 嬉しいと躊躇い無く伸ばされた手は、髪飾りを掴むことなく空を切る。

 ステファニーが髪飾りに触れる前に、ベルローズが髪飾りを持った手を後方へとやり彼女から遠ざけたのだ。


「お、お姉……さ、ま?」

「ステファニー、これは貴女に差し上げます」


 同じことを繰り返し、ステファニーの前に髪飾りを持った手を差し出す。

 しかし、戸惑ったステファニーは勢いよく手を伸ばすことはなかった。


「神に感謝を」

「え」

「貴女は、機会を与えられたのです」


 穏やかで優しいベルローズ。

 ステファニーの甘えを漫然と受けいれていた筈の彼女が、まるで別人のような目でステファニーを見ていた。


「恵まれた環境に対し、貴女は神に感謝しなければなりません」

「えっ、あの」


 忙しなくステファニーの瞳が動き、母や父に対して視線で救いを求める。

 しかし、ベルローズを見上げるイザベラもステファニー同様に顔色を悪くし言葉を失っていた。


「ベル、そこまでに」


 怯える母子とその前に立つ娘の纏う雰囲気にケネスが止めに入るが、振り返ったベルローズの真っ直ぐな瞳はどこまでも昏く。ケネスは初めて娘に恐怖を感じた。


「いいえ」


 声を荒げるわけでもない。ただ静かに生まれながらの貴人らしく凛とした佇まいでケネスと向かい合う。


「いいえ、いけませんわ」


 どこまでも昏いベルローズの瞳は、見つめ合えば吸い込まれそうな錯覚を覚えた。


「ベルローズ……」


 娘の変貌に、ケネスの背に冷たい汗が流れる。


「我がディノ皇国の貴族は全て、聖主座教を信仰しております」

「あ、ああ」


 声を詰まらせるケネスに、ベルローズはゆっくりと瞬きした後、その視線をステファニーへと移した。


「貴族であるためには、敬虔なる聖主座教の信者でなければなりません」


 敬虔な聖主座教の信者であるベルローズは、父親の再婚を境により熱心に主への祈りを捧げるようになったと、日々の生活を演出している。


 ベルローズの瞳の圧に、イザベラがコクコクと頷く。


「神の恵みに感謝と賛美を忘れてはなりません」


 ディノ皇国では、聖主座教以外の信仰も認められているが国民の六割は聖主座教を信仰しており、貴族は聖主座教の教徒であることが条件であった。


「我らの生まれ持った身分も神より賜った僥倖なれば、その偶然にて得た利は神の施しとして未だ神の威光が届かぬ者へ分け与えるのが信徒の努め」


 狂おしいほどの神への忠信が、瞳の奥に息づく。


「これは、神からの施しです」


 春の化身たる光の乙女のように柔らかな笑みを浮かべているのに目だけが笑っていない。


「お、お姉……さ、ま」


 瞳に宿る暗闇が恐ろしくて堪らない。しかし、恐ろしければ恐ろしいほどステファニーは目を逸らすことが出来なかった。


「ステファニー。神への感謝を」

「あ、あり」


 だが、ベルローズは首を横に振る。


「神への感謝を」


 繰り返される言葉に、彼女が求めているのは神への祈りなのだと悟ったステファニーは、必死の思いで震える唇を開く。


「し、しし至高のお方、ああ、あ、なたのいつく、しみにか、かんしゃいたします。み、みみめぐみに、か、感謝い、いた、いたします。わ、わた、私の人、生が、あなたのさ、さん、さんびとなりままますように。か、かか感謝のいっ、いの、祈りを捧げます」


「……」


 ニコリ。

 そんな表現がよく似合う笑顔を見せたベルローズは、ステファニーの震えて上手く動かすことが出来ない手を取ると手ずから彼女の掌に髪飾りを握らせた。


「神への感謝と努めを、忘れてはいけませんよ」


 幼子に語りかけるような柔らかな口調と優しい微笑み。常と変わらぬ穏やかなベルローズに、あの深淵を覗いたような昏さはなく。


 すべてが一瞬の悪魔が見せた白昼夢のようだと思い、そしてステファニーは意識を手放した。



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