1.
よろしくお願いします。
『ディアベル 親愛なる我が友よ。
異母妹が出来たんだって?
寝耳に水過ぎて笑ってしまったよ。
あの伯爵にそんな甲斐性があるなんてね。
面白そうだから、一度寄らせてもらうよ。
そうだな。
キャッテル家の薔薇が見頃な夏前あたりに伺おうと思う。
それまで無事でいてくれるといいのだけれど。
ああ、それと。
アレックス・クレメンツを覚えているかい?
飛空船を造船したクレメンツ家の次男坊だよ。
彼とミュルーズで偶然会ってね。
オリエンス皇国まで飛空船を飛ばすというので、物見遊山で乗せてもらう事にしたんだ。
二日に一度は、死ぬかな。と思う一瞬はあったけど、人間慣れるものだね。十日も過ぎたら多少のトラブルには動じなくなって楽しい空の旅となったよ。
それで向こうで『カンザシ』と呼ばれる髪飾りを見付けたんだ。
とても繊細で美しくて、君に似合うと思う一本を見付けたからミューラ商会を通して送るよ。
この手紙が君の手元に届いた頃には、ラシュールにある支店で受け取れると思う。
足労をかけるが宜しく頼むよ。
それでは、会うのを楽しみにしている。
君の崇拝者、メッサー・ライモントより
ベルローズへ
愛をこめて』
「崇拝者とかよく言うわ。欠片も思っていないくせに」
ベルローズは母方の又従兄であるメッサー・ライモントからの手紙に目を通すと呆れた溜息を吐いて首を振った。
全く。他人の不幸を面白おかしく楽しもうとする精神が気に食わないと顔を顰める。
それでも五つ年上の彼とは、彼が自分に合わせてくれているのか小さな頃から気が合う仲で、両家が顔を合わせた時は共に過ごすことが多かった。
「お嬢様、ライモント様は何と?」
ベルローズ付きの使用人であるキミーが、主人の反応から気持ちを察しながらも話を聞いてきた。
ベルローズより八歳年上であるキンバリーは、ベルローズが六歳の頃から仕えてくれてる女性である。
「五月あたりに庭の薔薇を見に来るそうよ」
「まぁ。では、ジャンに後で伝えておきます」
庭師のジャンはベルローズの父であるケネス・キャッテルが子供の頃からキャッテル家の庭を整えてくれている庭師だ。ベルローズの生まれた朝には、栽培が難しいとされるスィートリリーで館内を満たしてくれたほど腕がよく。彼に任せておけば、真冬であろうと飾られる花が絶えることはない。
ベルローズは、手紙を化粧机の引き出しにしまうと一番近い窓に寄り外を眺めた。
色彩設計された美しい庭は、見ているだけでベルローズの心を癒やしてくれる。
「お茶の準備を致しましょうか」
「いいえ、結構よ」
主人の背中に憂いを感じたキミーが声を掛けるが、返ってきたのは常の彼女らしい張りのあるハッキリとした声だった。
「出掛けます。車の準備をお願い」
「畏まりました」
振り返ったベルローズの意志の強そうな瞳と誇りに裏打ちされた優美な笑みを目にしたキミーは、己が主の高潔さに心震わせながら一礼し支度をするため部屋を後にする。
部屋に一人となったことで、ようやくベルローズは張っていた気を緩めるように息を吐き、どこか仄暗い影のある微笑みを浮かべたのであった。
◆◇◇◇
寝耳に水。
そうメッサー・ライモントが表した通り、ケネス・キャッテルに愛人がいて、更に娘まで生まれていたことは一家一問に衝撃と混乱を与えた。
ベルローズの母であるルイーズと父であるケネスは仲睦まじく。特にルイーズが体調を崩しがちとなりベッドで過ごす日々が増えるようになってからは、ケネスはルイーズの健康を気遣い東方によく効く生薬があると聞けばペレストレーロ商会に依頼して商船をはしらせて貰い、北方に焚きこめば怠さが治まり気が楽になるという香木の噂を聞けばボーグラン商会に依頼して取り寄せて貰うなど懸命に尽くした。
ルイーズは夫の愛に包まれ、心穏やかに幸福な時間を過ごした後、天の宮城に招かれて帰らぬ人となる。
妻を深く愛する夫の話は、人の口から口へ伝わっていき多くの人々の涙を誘った。それが、ベルローズが十二歳になる誕生日を目前に控えた五年前の話。
夫人を亡くしたケネスが、憔悴しきった姿を見せたのは十日ほどで、すぐに彼は仕事に戻った。
何かに打ち込んでいる方が、悲しみを紛らわすことが出来るからだろうと伯爵を知る人間は思っていたが、実はそうではなかったのだと判明したのはつい半年ほど前の話。
半年前、ベルローズの父親は再婚した。
継室となったのは、イザベラ・リンドストローム。娘を一人連れての再婚となった。
娘の名は、ステファニー。顔立ちは母であるイザベラにとても良く似ていたが、絹のような指ざわりの白銀色をした髪に澄んだ湖のような紺碧色をした瞳は、どちらもベルローズの父であるケネスとそっくりな特徴をしていた。
初めてステファニーと対面したベルローズは、間違いようのない父の特徴を義妹である筈の妹に見て、彼女が義妹ではなく異母妹であると察したのだった。
ベルローズとステファニーは、一歳差。生まれ月で数えれば十ヶ月差ということで、ベルローズの母であるルイーズがベルローズを身籠り、いざ産まれたか産まれる前かあたりにケネスとステファニーの母であるイザベラとが関係を持った事の証左となる。
ステファニーの年齢が幼ければルイーズが天の宮城に旅立った後で関係を持ったといった言い訳も出来たのだが、十六の誕生日を目前に控えた十五歳ではどうにも言い訳はつかない。
去年、ベルローズが社交界デビューを果たしてから一年待ちイザベラを継室としたのはよく出来た判断と言えなくはないが、ステファニーの年齢だけはよろしくなかった。
結局は噂となり、今現在ベルローズに煩わしさを運んできている。
◇
「嗚呼、なんて美しいのでしょう。お姉さま、それはアクセサリーですわよね?」
ステファニーの瞳は、ベルローズが持つ髪飾りに釘付けとなっていた。未知の装飾品に興味津々なのだろう。
ベルローズといえば、何故自分の部屋に自分の許可もなく異母妹が入り込み、更に当然のように自分が座るソファーに乗り上げるように座ってきた彼女の埒外な行動に硬直し、思考が停止してしまってた。
「え……ええ、髪飾りよ。結った髪に挿して飾るの」
息を吹き返すように我に返ったベルローズは、僅かに尻の位置をずらしてステファニーから距離を取る。
しかし、そんなささやかな拒絶などステファニーには伝わらないのか、離れた分だけ彼女はベルローズとの距離を詰めた。
「とっても素敵」
遙か東方のオリエンス皇国から取り寄せた髪飾りは、この国にはない技術で作られている。
柔らかでフワフワとした薄い布地を折って摘んで形にするのだという。深紅と淡紅色で作られたバラとカメリアを模した花飾りと白いレースリボン。散らされた小粒のパールビーズがアクセントとして輝いていた。
繊細で、それでいて華やかで大胆。異国の文化は容易くベルローズを魅了したが、ステファニーも同じく虜にしたようであった。
ミューラ商会に勤めるにオリエンス人に『カンザシ』の髪への飾り方を教えてもらわなければ使い方が分からず、ただ眺めるだけのお楽しみになっていただろうそれは、豊穣の時を迎えた輝く稲穂色をしたベルローズの緩く波打つ髪によく似合う華やかな髪飾りであり、白銀色をしたステファニーの髪を飾るには、少しばかりアクの強さを感じる。そんな髪飾りであった。
「わたしも同じものが欲しいです。お姉さま、わたしにも同じ物をくださいませ」
この子は何を言っているのかしら。そんな言葉がありありと浮かぶ表情でベルローズはステファニーを見る。
今、ベルローズの手に握られているのは、包みを開いて五分と過ぎていない彼女への贈り物だ。
メッサー・ライモントが遠い海の果ての国で見つけ、ベルローズを喜ばせようと彼女の為に選び、贈った一品である。
「ごめんなさい、ステファニー。これは海を渡った異国の物なの、同じ物はこの国では見つからないわ」
「ええっ、そんな……!」
ステファニーの形の良い眉がくしゃりと歪む。
「でしたら、今お持ちの髪飾りを下さいませ」
「何を言うの?!」
一見、気の強そうに見えるツリ目がちな瞳を潤ませ、小さな唇を震わせる異母妹が気の毒に思えるが、ベルローズは自分に贈られたものをそれが血縁者であろうとも容易く下げ渡すほど恥知らずではなかった。
「欲しいです、お姉さま」
ステファニーがベルローズの持つ髪飾りを奪おうとしたわけではなかったのかもしれない。
しかし、欲しいと言って自分に手を伸ばしてくるステファニーにベルローズは危機感を覚え、髪飾りを抱き締めるように胸元に隠した。
「ごめんなさい、ステファニー。これは私に贈られた私だけのもの。どうにもしてあげれないわ」
自分から隠すように髪飾りを守るベルローズに、ステファニーの表情が歪む。
「ひどいわ、お姉さま!」
飛び跳ねるようにソファーから降りたステファニーは、ベルローズに「沢山持っているのにヒドい」や「お姉さまばかりズルい」といった言葉を投げつけ、彼女の部屋を出ていった。
残されたベルローズは、あまりの理不尽な展開に呆然と異母妹の背中を見送るしかなく。しかし、無作法に荒々しく響いた扉が閉まる音に、髪飾りを握る指先に自然と力がこもる。
『ディアベル 親愛なる我が友よ』
「どうしましょう、メッサー」
『無事でいてくれるといいのだけれど』
「貴方が火種よ」
『ベルローズへ 愛をこめて』
「……酷い人ね」
憂うように睫毛を伏せながら、瞳の奥に昏い灯りを燈してベルローズは微笑う。