第七話「なぎさはいつでも頑張りたい」
更衣室で着替えた私は、廊下をしばらく歩いて、勝手知ったるスタジオに入る。
ちょっと大きめのダブついたTシャツに下はスパッツ。
動きやすさを重視した格好にした。
学校が終わってからすぐにここに来たから「一番乗りかな」と思っていたけど、スタジオの中にはすでに誰かが来ていた。
茶色いくせっ毛がつんつん跳ねていてまるで子犬を思わせるような外見のその女性は、
「かふぇちゃん!」
壁際のベンチに腰掛けてスポーツドリンクを飲んでいる彼女に声を掛ける。
一瞬驚いたような表情を見せた彼女だけど、すぐにぱあっと顔をほころばせて、たたたっと元気よく駆け寄ってきた。
「ねるねるぅ、おはよう! 元気だったぁ?」
彼女、焙煎かふぇちゃんは私と同じ事務所『パンタシア』に所属しているVTuber。
事務所内では一番仲が良く、配信でも頻繁にコラボをさせてもらっている。
かふぇちゃんと私のコンビはリスナーからの評判も良く『ねるドリップ』なんていうコンビ名も授かっちゃったりしてる。
かふぇちゃんはブレーキもかけずに私の身体めがけて飛び込んできた。
これはいつものことなんで、私も腰を下ろしてそれをしっかりと受け止める。
ふんっ!
「ねるねるぅ! 寂しかったよぉ! 一億年ぶりだよぉ!」
「先週オフコラボしたばかりだよね!?」
かふぇちゃんは私より年上なんだけど、そんなことも感じさせずに親友のような付き合いをさせてもらってる。
かふぇちゃんはしばらく私の胸に頭をぐりぐりさせると満足そうに顔をほころばせて、ぴょこんと後ろに飛び跳ねた。
「ねえ、今日の収録終わったらさ、焼き肉行こうよぉ! 焼き肉ぅ! 奢ってあげるよぉ! この前約束したじゃん?」
かふぇちゃんは両手で拳を握ってそれをぶんぶん上下に振った。
もうほんと身体中から『元気っ!』が溢れてる。
「ごめーん。今日は家に帰ってご飯食べなくちゃいけないんだ。母さんが帰って来いっ! って」
「そっかぁ、それじゃ仕方ないよねぇ。じゃあ、今度のスタジオん時は一緒に食べようよ! 空けておいてね!」
目をキラキラさせて前傾姿勢でまくし立てるかふぇちゃんに、私は「うん!」と大きく頷いた。
かふぇちゃんは大学生だけど、私は高校生。
両親からはそう簡単に外出許可がもらえない。
今日はメンバーの半分近くが集まるスタジオ収録の日だから、母さんからは外出OKをもらっているけど「晩ご飯用意しておくから、収録が終わったら家に直帰するんだよ?」と厳命されている。
母さんが心配してくれているのは分かるけど、ちょっと息苦しさは感じる。
ああー、早く高校卒業したいなぁ。
そうしたら自由にかふぇちゃんや他のメンバーとご飯食べに行けるのに。
そんなことをぼおっと考えていたら、スタジオの扉ががちゃりと開いて、誰かが入ってきたことに気がついた。
「おはようございます。あら、なぎささん、お早いですね?」
そう言ってしゃなりと歩いてきたのは、同じ学校の先輩でもある牧島さやかさん。
さやかさんはTシャツにスエットという格好で、長くて艶やかな黒髪はスポーティーにポニーテールにまとめていた。
半袖のTシャツから出ている二の腕はびっくりするほど白くて、顔もすっごい整っているし、女の私でも見とれてしまうほどの美人さんだ。
さやかさんはVやるより、そのまま顔出しして配信した方が良いんじゃないかしら、なんていつも思う。
「放課後学校終わってここに直行しましたから。さやかさんは図書委員の仕事だったんですか?」
「ええ。今日の放課後当番の子が熱を出して学校を休んでしまって。それで急遽代わりに。……あ、なぎささんのクラスメイトの吉岡くんにも手伝ってもらったんですよ?」
吉岡?
……ああ、ローキか。
その名前を聞いて、今朝のことを思い出して胸がざわりとする。
『ダイヤちゃんと付き合いたい』
ローキのヤツ、ほんと毎回ダイヤちゃん、ダイヤちゃん言っていてウザくてしょうがない。
ダイヤちゃんが素敵で凄い人だってのは分かっているけど、なんか納得いかない。
ローキの口からダイヤちゃんの名前が出る度、いらいらが溜まっていく感じ。
ほんと大嫌い。
でも――
――ねるのことを好きだって言ってくれたのは嬉しかったかな。
VTuber、綿津見ねるは私のもう一つの顔。
なんか勢いで『パンタシア』のオーディション受かっちゃって「あなたはこれから綿津見ねるとして活動してください」って言われて、それからあれよあれよというままここまで来た。
右も左も分からない世界で手探り状態。
人気が出るのか、このままやっていけるのかも分からないまま突っ走って来たけど、どうにかリスナーさんにも高評価をもらえて、人気VTuberとして認識されているみたいだ。 でも、時々思うことがある。
自分の今立っている場所が、正解なのかなとか、もっと他にもやりようがあったんじゃないのかな、とか。
120パーセントの力で頑張ってきたつもりではいるけど、ほんとはずーっと不安だ。
見通しのきかない霧の中にいるような気持ちだし、足下もぐらぐらした崖の端っこのような感じで、うっかりすると足を滑らして落ちてしまうんじゃないか、って気になる。
だから、今朝のローキみたいに、面と向かって、ねるを褒められたのはもの凄く嬉しかった。
今まで自分のやってきたことが間違ってなかったんだ、って自分に自信が持てた気がした。
『観てて面白い。才能あるよ』
ローキの言葉を思い出して、心の中がちょっとほっこりとなる。
でもダイヤちゃんの次、ってのがやっぱムカつくけど。
「どうしたんですか、なぎささん? 急ににっこりしたり、むうっとしたり?」
さやかさんが不思議そうな表情で私の顔をのぞき込んできた。
あ、いけないいけない! また自分の世界に入っちゃった。
時々やっちゃうんだ。反省。
配信でもやっちゃう時があって、マネちゃんに注意される時がある。
長い無言時間は配信じゃ厳禁だから。
「いつものことじゃん、シャクヤクちゃん! これねるねるの癖だからぁ!」
かふぇちゃんがいいタイミングでフォローしてくれた。
さやかさんも「ああ」と何かを思い出したようににっこりとうなずく。
「なんか、いろいろ考えちゃうんです。ごめんなさい」
私も素直に頭を下げた。
あ、ちなみにかふぇちゃんが言った「シャクヤクちゃん」というのは、さやかさんのVの名前。
赤備シャクヤクさんは、とっても高貴だけど猛々しい面も持つ和風のお姫様という設定のV。
でも、こんなお淑やかなさやかさんが、あんな勇ましい演技できるなんていつも配信観る度にびっくりしてしまう。
「ところで、なにを考え込んでいたんですか? もしかして……?」
そのさやかさんはその真っ直ぐな瞳で、急に私の瞳をのぞき込んできた。
ちょ!
まるで自分の心の中がのぞき込まれるんじゃないか、っていう気になって私は「ひゃ!」と言って両手を顔の前にかざした。
そんな私にさやかさんは「ふふふ」と意味ありげな表情で微笑みかける。
ちょ、さやかさん、な、何が言いたいの!?
さやかさんから微妙に距離を取りながら、次にその口から飛び出る言葉に戦々恐々としていたら――
「おはようございますー。今日もよろしくお願いしますー」
と他のVTuberさんや、スタッフさんやインストラクターさん、そしてマネージャーさんたちがぞろぞろとスタジオ入ってきた。
スタジオの壁に掛けられている時計を見ると、開始予定時間の十分前。
だいぶ早く来たかと思っていたけど、いつの間にかこんな時間。
さやかさんは入室して来たほかのVの人たちを目で数えていたけど、しばらくして「あら?」と声を上げた。
「……どうも、うらら先生がまだ来てないみたいですね?」
え? 先生が?




