第五話「さやか先輩はたしなめたい」
シャクヤクさんは日本のどこかの城のお姫様という設定のVTuberだ。
そしてパーソナルカラーは『赤』。
赤く染めた着物の片肌を脱いだような勇ましくも色っぽい外見をしている。
そしてこのシャクヤクさんを特徴付けているのがその言動。
画面を覗いてみると、ちょうどそんなシーンだった。
『え? え? キ、キジョーイ? も、もちろん存じておるぞ!?』
戸惑い気味の表情を見せながら、しどろもどろに答えるシャクヤクさん。
『どたキャン』というアニメの同時視聴配信をしているらしいんだけど、男女の際どいシーンでなんやらかんやらあったようだ。
過激なシーンを目撃したせいか、シャクヤクさんはしばらく無言でぽかんとしていた。
無言の時間というのはVとしては、基本的に作っちゃいけない。
だけど、このときのシャクヤクさんはショックのあまり放心状態で、そんなことを考えている余裕がなかったようだ。
弾幕のように流れる
『姫様! 姫様!』
『ご無事ですか!?』
というリスナーの呼びかけでシャクヤクさんはようやく我に返った。
『も、もちろん、無事じゃ! ちょっと意識が飛んでいただけじゃ!』
『全然無事じゃないの草』
『姫様気をしっかり持って!』
『大丈夫、まだ致命傷じゃない!』
シャクヤクさんを心配するリスナーのコメントが即座に溢れかえる。
だがもちろんそんなコメントだけじゃない。
動転しているシャクヤクさんに軽く煽りを入れるようなコメントも増えだした。
『姫様、キジョーイの意味分かるんですか?』
『箱入り娘の姫様には分かるわけないですよね』
『大丈夫っす。知らなくても生きていけるっす』
こういう煽りなんて無視すれば良いのに、簡単に引っかかるところもシャクヤクさんの魅力の一つでもある。
『お、お主ら! も、もちろんそれくらい知っておる! キジョーイというのはだな――』
というところで、さっきのシャクヤクさんの発言につながるというわけだ。
『――『火入れ』の工程を行わない醤油のことじゃ! 料理をするときに火を入れるとほんわりと香ばしい香りが立ち上っておいしさが引き立つのじゃ!』
『それはもしや生醤油のことでは』
『安定のボケ』
といったやりとりが行われ、コメント欄が爆速で盛り上がるのはいつものお約束の光景だ。
そうこのシャクヤクさん、わざとボケているわけじゃなくて、どうも本気でこういうセンシティブなことが疎い女性らしい。
普段は落ち着いた話し方をするくせに、こういう時だけ声がうわずるし、噛むし、早口になるからそれは間違いないと思う。
もし逆にこれを演じていたとしたら演技の天才だ。
そんなこんなしている内に切り抜きは終わってしまった。
基本的に切り抜きは短い時間にまとめられている動画だ。
こんな風に空いている時間に観ることが出来て助かっている。
と、その時だ。
「すみません。この本を借りたいんですが」
という声が頭の上から降ってきたんだ。
え? うそ? この図書館、利用者なんているの!?
一人の男子学生が分厚い図鑑のような本を俺の方に差し出してくる。
俺はかなりテンパった。
正直、書籍貸し出し業務をするのはこれが初めてだ。
昔、図書委員になりたての時に一度だけ教えてもらった『書籍の貸し出しの仕方』という知識を頭の奥からなんとか引きずり出す。
ええと、なんだっけ! そうだ、まずパソコンの貸し出し業務のシステムを立ち上げなくちゃいけなんだっけ!
あわててYoutubeの画面を閉じて、図書貸し出しのシステム用のアイコンをクリックする。
その時、隣のさやか先輩がしゃなり、と立ち上がった。
「貸し出しですね? ただいま手続きを致します。学生証をご提示ください?」
「あ、は、はい」
さやか先輩が柔らかく微笑みかけると、貸し出し希望の男子学生はわずかに頬を赤らめて、ポケットから学生証を取り出す。
それを受け取って確認したさやか先輩は、
「はい、吉岡くん?」
と言って俺の方にその学生証を差し出す。
その頃にはシステムも立ち上がっていた。
「は、はい!」
初めての経験なので、俺は戸惑いながらも立ち上がった貸し出しシステムの画面に必要事項を打ち込んでいく。
「あ、そこはそうじゃありませんよ? こっちのチェックボックスにチェックを入れるんです」
さやか先輩が身を乗り出して画面を指差してアドバイスをくれる。
目の前にさやか先輩の上半身が横切り、いい香りがふんわりと俺を包み込んだ。
ちょっとドキドキしながら作業を続け、貸し出し用紙をプリントアウトした。
プリンターから吐き出されたそれをさやか先輩は受け取り、そして本に挟み込み「はい」と男子学生に渡す。
「あ、ありがとうございますすー!」
笑顔で本を手渡された男子学生は、顔を真っ赤にして逃げるように図書室から足早に出て行った。
男子学生くん、君の気持ちは凄い分かるぜ。
誰だってそうなる。俺もそうなる。
さやか先輩ファンがまた一人生まれた瞬間だった。
ばたん、と図書室の扉が閉まったのを確認すると、さやか先輩は俺の方に振り向いた。
そして腰に手を当てて、むうっと眉をしかめる。
「吉岡くん? 私も本を読んでいたから大きな事は言えませんが、利用者が来ていることに気付かないくらい動画にのめり込んじゃうのは良いことではありませんよ?」
うぐ。
それはそうだ。
気をつけていたつもりだったんだけど、結局俺は男子学生くんに話しかけられるまでその接近に気付かなかった。
戦場だったら命を落としているレベルだ。
そしてそんな俺を即座にフォローしてくれたのは、さやか先輩。
まったくもって返す言葉もない。
「すみませんでした……以後気をつけます」
さやか先輩はしばらくの間そんな俺を「まったく、もう」というような視線で見つめていた。
だけど、頭を切り替えるかのように小さなため息を吐くと、すぐにいつもの柔和な笑顔を口元に浮かべる。
「ところで吉岡くん、まどか先生に訊きましたよ? VTuberとお付き合いしたい、とか公言しているらしいですね」
うわあ、まどか先生、余計なことをさやか先輩の耳に入れやがったあ!
まどか先生は一応、図書委員会の顧問ということになっているので、そのルートで訊いたんだろう。
でも、それは隠すことでもないし、事実でもある。
俺は自信を持ってうなずいた。
「はい。煌ダイヤちゃんって言うVTuberが大好きなんです。あんな素敵な女性が彼女だったら嬉しいな、と」
「そうなんですかー」
さやか先輩は、じっと俺の瞳をのぞき込む。
う、と俺はたじろいだ。
その真っ直ぐで、透明な瞳に真正面から見つめられて動揺しない男はいないと思う。
そしてほんのりとした好意を抱いているさやか先輩に、好きなVTuberの話はしたくなかった。
だけど、今の俺は断言出来る。
さやか先輩よりダイヤちゃんの方が好きだ。
……そうとう僅差ではあるけど。
「でも、VTuberとお付き合いするって、かなり大変なことだと私は思うんですよ?」
さやか先輩は口元に手を当てて、深く考え込むように俯いた。