第2話「平和なロータス村」1
「エイミー、起きてくれエイミー」
そう呼びかけながらクリスがその肩を叩くと映美が目を覚ますが、寝起きの良くない映美は馬上でただぼーっとしていた。
「起きたか。おはよう、エイミー」
そうクリスに声を掛けられ、映美は漸く完全に覚醒する。どうやら自分はクリスに体重を預けたまま眠ってしまっていたらしい。それを理解した映美は直ぐに身体を真っ直ぐに起こして口を開く。
「……おはよう、クリス。ごめんなさい、寝てしまっていたみたいね」
映美は挨拶を返すと、素直に謝罪をする。そして周囲を何となく見渡すが、村には未だ到着していない様だった。陽はかなり傾いてきており、日暮れが近い様に映美には思えた。
「気にしなくて良い。私がそうして良いと言ったのだからな。それよりも、折角気持ち良く眠っていたのに起こしてしまってすまない。これから村に入るのだが、君が眠っていると説明が少し面倒になると思ってな」
穏やかな声でクリスが言う。その言葉からクリスの気遣いを感じ取り、映美はその優しさに感動していた。少なくとも此処数年の間、映美には人に優しくされた記憶は無かった。その事から思わず涙が出そうになる映美であったが、優しいクリスに無駄な心配を掛けぬ様にと普段通りの反応を試みる。
「成程、状況は分かったわ。そういう事なら、寧ろ起こしてくれてありがとう。でも、近くに村は見えない様だけど」
映美が自然な疑問を口にする。周囲には相変わらずの平原が広がっており、それが傾き始めた日の光に照らされて黄金色に輝いていた。綺麗だ。映美は素直にそう思った。
「ああ、それは村人に気付かれない程度の距離で一度止まったからだな。先程も言った通り、君が眠ったままだと説明が面倒になりそうだったのでな。では、その心配も不要になった事だし村へ向かおう」
そう言ってクリスがパトリシアに足で軽く合図を出すと、それに答えたパトリシアが今度は最初から速歩で進み始める。
「きゃっ」
突然の事に驚いた映美が思わず短い悲鳴を上げるが、今度はそれに恐怖を覚える事は無かった。強い揺れを感じながら、初めて自転車を乗りこなした時の様な楽しさを感じていた。そして程なく、映美の視界が村らしきものを捉える。
(あ、見えて来たわ。あれが今私達が向かっている村よね。そして私がこの世界で初めて訪れる集落……寝ちゃっていたから断言は出来ないけど、サウザン平原にある村という事は恐らく……)
「見えて来たな。あれが目的地のロータス村だ。長閑で良い処だから、きっと君も落ち着いて今後の事を考えられるだろう」
映美の思考に合わせる様に、クリスが近付きつつある村の紹介をする。その言葉からも自身への気遣いが感じられ、映美のクリスに対する好意は既に元の世界の誰へのものよりも高くなっていた。思えば、突然異世界に来てしまったにもかかわらず、元の世界への心配を映美は一切感じていなかった。
(ああ、クリスは本当に優しいわね。こんな美人にこんなに優しくされて、落馬しない為に必要な行為だっとはいえあんなに密着したまま抱かれるみたいな恰好になって。それで『好きになるな』と言われても、私みたいな陰キャにそれは無理ってものよ。でも、それを知られたらクリスを困らせちゃうだろうから、何とか平静を保たないと)
そんな事を思う映美であったが、自身の直ぐ真後ろに当のクリスが居るとなればそれを意識しない事は難しかった。急激に激しくなる鼓動を感じつつ、平静を装って映美が口を開く。
「それは楽しみね……って、誰か来てるみたいよ」
映美が何とかして冷静に言葉を紡いていると、丁度村の方から誰かが駆けて来るのが目に入る。その時に映美が先ず思ったのは、助かったという事だった。目の前に何か動きがあれば、気が紛れて真後ろのクリスを意識しないで済む。そう考えているうちに、その人物との距離は直ぐに縮まっていった。
「やっぱりクリス様だ! おーい、クリス様ぁ!」
そう大声を上げているのは、見たところ小学校高学年程度の女の子だった。青みがかった髪を揺らし、大きく手を振りながら、平原を駆けて来ている。
「ミント! 危ないから止まりなさい!」
クリスが映美の頭越しにそう叫ぶが、ミントと呼ばれた少女はなお足を止める事は無かった。両者の距離が自然に会話が出来る程に近くなると、漸く立ち止まる。それと同時に、クリスが合図を出すまでも無くパトリシアもその脚を止める。更にクリスが合図を出すと、パトリシアはその身を低くした。
「こんにちは、クリス様! そっちのお姉さんはだあれ?」
ミントが改めてクリスに挨拶をし、映美へと興味を移す。そのあどけない様子に微笑ましさを感じる一方、人付き合いが苦手な映美はその少女に対しても若干の緊張を感じていた。
「ああ、こんにちは、ミント。このお姉さんはエイミー。外国の人なのだが、平原で迷子になっていたから連れて来たんだ」
クリスは馬上からさっと降りると、自らの注意を無視したミントを叱るでもなく、近付いて来たミントの頭を優しく撫でて質問に答える。クリスに倣って映美も馬を降りるが、馬に乗る為に自身がスカートを限界まで上げていた事を思い出し、赤面しながらそれを通常の位置まで下ろすのだった。