第1話「気が付けば異世界」7
「きゃああ!」
これまでの様々な出来事により既に疲弊しつつあった映美の精神は、新たな恐怖により遂に悲鳴を抑える事が出来なくなる。とはいえその悲鳴の性質自体は絶叫マシンに乗った時のそれと同種のものであり、映美の精神自体が限界を迎えたという訳ではなかった。
「エイミー、大丈夫か?」
クリスが映美を案じて声を掛けるが、その声もそれ程深刻さを感じさせるものではなかった。クリスも映美の悲鳴の質には気付いており、状況がそれ程に差し迫ったものではないと理解していた。とはいえ映美の精神が疲弊している事も事実であり、それは映美にこれまでとは違う選択をさせる。
(このまましがみついているのは流石に怖くなってきたわ。……他の人に体重を預けるという事には抵抗があったのだけど、本人がそうして良いと言っているんだから……良いわよね)
そう考えた映美が思い切って後ろのクリスの身体へと寄り掛かる。映美としては自身の体重を遠慮なく預けたつもりだったが、まるで椅子の背もたれにそうしたかの様にクリスの身体はびくともしなかった。映美の体格がクリスと比較してかなり小柄だという事もあったが、クリスは仮にも騎士団の長であり、その身体は十分な筋力とバランスを有しているのだった。
予想していた以上にしっかりとその身体を支えてくれていて、とても安心出来る。そう思う映美であったが、当然ながらクリスも歴とした女性である。そうして落ち着きを取り戻した映美は、やがてその背中や後頭部に感じる柔らかな感触に気付く。
(うきゃー!?)
思わず心の中で悲鳴を上げる映美だったが、今更離れる訳にはいかなかった。あまりにも不自然な行動であるし、クリスに対して失礼でもあるし、何よりも走行中の馬の上で余計な動きをする事が危険である事は、その時の映美でも理解出来た。
(天国……だけど地獄でもあるわね、この状況は)
最早、映美は馬上故の恐怖などは忘れていた。実質的にクリスに抱かれているに等しいという状況や、背中側から感じる感触による幸福感。そしてそれらによって同時に生じる、心拍数や体温の上昇と言った身体の変調。それらを同時に味わい続けるのは、心身共に負担が無いとは言えなかった。
それらを軽減する為なのか、それともクリスから感じる柔らかさや体温、そしてしっかりと支えられている感覚の為か。映美の意識は薄れていき、やがてその瞼も重くなってくる。密着してその身体を支えているクリスも、当然その変化には気が付く。
「……そのまま眠ってしまっても構わないぞ。落とす様な事は無いから安心してくれて良い」
クリスが優しく声を掛けるが、その声は映美には殆ど届いていなかった。周期的に耳に届く馬の蹄の音が子守歌の役目を果たし、この短時間で過剰な程の経験を得た事で疲弊した映美は微睡みに落ちつつあった。
クリスが手綱を軽く引いてパトリシアに自身の意図を伝えると、速度が殆ど変わらぬまま二人に伝わる揺れが小さくなる。人馬一体という言葉があるが、僅かな動作でこの様な細かい意図までが伝わるクリスとパトリシアの関係は、既にそれをも超えていると言えた。
「……村に着くのは遅れてしまうが、仕方が無いよな、パトリシア」
クリスがそう言うと、パトリシアは返事をする様に小さくぶるると鳴く。やや日が傾き始めた平原を白馬が駆けて行く姿は美しく、絵画の様であった。その上で微睡む映美のあまりにミスマッチな格好以外は、であるが。