第6章 最終話 無意味な意味
「それで……なんで泣いてたわけ?」
私を椅子に座らせ、ジンが問い詰めてくる。既に涙は止まっているが、目が赤くなっていることは間違いないだろう。
「別に……ちょっと感傷的になることくらいあるでしょ」
直接問われてもそのままを話すことはできない。言えるわけがない。所詮はただの嫉妬。そんな感情で泣いてしまったなんて絶対に言えない。
「やっぱり……俺が何かした?」
「……だとしたら私はジンくんと婚約破棄します。斬波を泣かせるような人と結婚なんてできるわけありませんから」
「俺が原因なら……そうだよな。俺も斬波を傷つけるくらいなら早苗との結婚は諦める」
「そうですね。では出ていってもらえますか」
目を伏せていると、目の前であまりにも淡白な別れ話が聞こえてきた。私への誘導尋問、ではないだろう。本当に別れようと思っている。あんなにラブラブだったのに、こんなにも簡単に。これが早苗とジンの関係だ。
早苗は感情で生きている。好きだから結婚したいし、好きじゃなくなったら結婚しない。単純で、恐ろしいほどに冷酷だ。
対するジンは理屈を大切にしている。自分がいることで誰かを幸せにできないなら、すぐに身を引く。中間試験で2位になっただけで婚約破棄をした男だ。その覚悟は異常とも言える。
だから私がジンのせいだと言えば。ジンは早苗の前から消えるだろう。別れても結婚するための努力はするだろうが、それは自分磨きの領分。少なくともすぐには現れない。つまり私が早苗と付き合うためにこれ以上ないくらい都合のいい状況になるわけで。
「……ジンのせいなんかじゃないよ」
そんなことになるくらいなら、死んだ方がマシだ。
「私が悪いんだよ。全部私の身勝手。私が勝手に希望を見て、勝手に絶望して、勝手に泣いてるだけなんだから。ジンは全然、悪くない」
これが限界だ。私が曝け出せる限界。これ以上この人たちに本音は晒せない。
「だから……ほんと気にしないで。未来は私が止めておくから、後は2人で……ね」
今度こそ脚が動いた。よかった。これで2人から逃げ出せる。やっと、全部諦められ……。
「じゃあ俺も勝手なことするからな」
部屋の扉へと歩き始めた私に。ジンが何かの箱を優しく投げてきた。
「……なにこれ」
「誕生日プレゼント。……お前が全部曝け出せないなら、努力できないのなら。それができる環境を作るのが俺の夢だから。後はがんばれよ」
その箱を開けると、2つの指輪があった。どちらも細い、女性用の指輪。そしてその中央に輝く石は、ローズクォーツ。その石が表す言葉は、愛。女性の恋愛成就に使われる宝石だ。
「……馬鹿じゃないの」
こんな……早苗に渡したのよりよっぽど高そうな指輪買って……しかも私のお金で。こんなもので何かが変わるとでも? こんな……こんなので……。
「ほんと……馬鹿……」
気がつけば止まっていたはずの涙は再び溢れ出し、私の身体は。ジンの隣で佇む早苗へと向かっていた。
「大好き……すごい好き……ずっと一緒にいたい……! だから……受け取って……!」
そして強引に早苗の左手を取ると、ジンからもらった指輪が嵌っている薬指に、私のも重ねた。
「私はジンくんが好きです。だから斬波とは付き合えません。それでもずっと一緒にいたいというのは私も同じです。なのでぜひ受け取らせてください」
「うん……うん……!」
倫理的には間違っているのだろう。絶対に間違っている。この空間の何もかもが。それをわかっていても、私は止まれない。もう片方の指輪を自分の薬指に嵌め、ネックレスにしていたジンとのペアリングをその上から重ねる。
「ジン……嵌める場所間違えた」
そしてジンの左手もとり、自分が小指に嵌めたペアリングを外して、早苗のものの上から重ねる。
「これが私の気持ち。嫌だったらいつでも外していい……けど。気持ちだけでも伝えさせて……!」
「それが斬波の幸せなら。俺は受け入れるよ。お前と結婚するつもりはないけどな」
本当に間違っている。私は2人に指輪を渡すべきではないし、2人は私から受け取った指輪をすぐに外すべきだろう。それがこの日本の常識だ。
結局状況は何も変わっていない。ジンは早苗が好きで、早苗はジンが好き。私は2人が好きだが、その愛が返ってくることは、現状ありえない。だから左手の薬指に嵌められた指輪なんて、何の意味もなさない。
全部わかっている。みんなわかっているけれども。
私たち3人の薬指には、2つの指輪が輝いていた。