第二章 黒い会社 ~新卒入社時~
大斗は、佐賀県佐賀市で、牛山家の長男として生まれた。工場に勤める父親と、同じ職場でパートとして働いていた母親との間に生まれた。三歳下の妹がいる。一般的な家庭と比較して、裕福な方ではなかったが、きちんと住むところがあって、毎日たらふく食べることができた。
しかし、大斗が中学生に上がってまもなく、母親が妹を連れて家を出ていった。特に新しい男が出来たとかそんな訳ではなく、単に性格の不一致が発覚したからだと、妹の愛子は言っている。その後、母と話すことは全く無かったが、妹とは、時々電話で話すことがあり、関係が続いている。
大斗は、生まれ育った環境が嫌いだった。テレビでは、華やかな暮らしをしている芸能人や、高層ビルが立ち並んだ、心が引き込まれる夜景が映っているのに、大斗の家は、築五十年くらい経った木造のあばら家で、周りを見渡すと、田んぼや畑ばかり。いつか佐賀から出て、テレビに映っているような場所へ行きたいと思っていたので、東京にある大学を受験することにした。
父親や親戚からは、「東京まで行かなくても、福岡や大阪でいいじゃないか。近いほうがすぐ帰って来られるじゃないか」と言われた。しかし、大斗はすぐ帰って来たくなかったのだ。新しい環境で、ゼロから魅力的な土地に定着してみたかった。父親の「近いところに居てほしい」という親心は痛いほど分かったが、大斗は心を鬼にして、東京の大学しか受験しないと言い張った。
あまり優秀と言われる所ではなかったが、東京の大学に合格し、上京することになった。二年後、お兄ちゃんがいるからと、妹の愛子も上京した。もちろん、母親には「兄がいるから」とは一言も口にせず、「お母さんの若いころのように、一度東京で暮らしてみたい」と説明したらしい。母親は、結局佐賀に戻ってくることになった自身の経験から、止めるように勧めたが、最後には血は争えないようだと、諦めたと聞いている。
大斗と愛子のどちらの家も、大学へ行く経済力があったのかといえば無かったと言ったほうがいいだろう。父親の耕司が、二人分の教育ローンを組んで、大斗を大学へ送ったし、愛子の母親へ学費として渡したのだ。父親の収入は高くなかったが、二人分の大学の費用を銀行から貸してもらえたのだから、信用はあったのだと思う。
大斗は、大学時代アルバイトばかりしていた。周囲の学生と同じように遊ぶだけの金がなかったからだ。お金持ちになりたくて、経済学部を選び、講義に出ていたが、小難しい話ばかりで、お金を得られそうなヒントは掴めないままだった。そうして、次第に学校へ行かなくなった。しかし、父親に申し訳ないので、きちんと単位は取得し、四年で卒業した。
四回生の初めに就職活動を始めたが、かなり苦戦した。どうしても就職したい業界などがある訳ではなかったので、銀行やマスコミ、製薬会社やIT企業など、見境なく応募した。応募して、そのまま音信不通になることが多かった。たまに面接に呼ばれても、面接が終わると、その後に連絡は来なかった。時間が経ち、年齢を重ねるにつれて、連絡を頂けなかった理由を、少しずつ想像できるようになるのだが、当時は全く見当も付かず、どうしたらよいか全く分からなくなった。何が正解かも分からず、自信をもって行動出来なくなっていた。
そんな中、なぜかキリンソフトだけは三次面接を通過して、内定を取ることができた。キリンソフトは今後成長が見込まれるIT分野の会社だし、結構大きい会社だと感じていた。せっかく内定をくれたから、行ってみようと思った。佐賀の父親に相談したら、「好きにしたら良い」と言われた。
就職した後は、新宿営業所に配属された。身元保証書を親族に書いてもらうように言われたので、父親に書類を送り、電話して書くように頼んだ。最初の一週間は、営業所で研修があった。どうやら、いろんな会社で実施されているITシステム開発プロジェクトに参加することになるらしいと分かった。顧客は、銀行やマスコミ、製薬会社や他のIT会社など多岐にわたるらしい。色々な経験ができるし、就職できなかった場所での仕事にも携わる可能性があると思うと、ワクワクしてきた。
翌週は、早速ITプロジェクトに参加することになった。行先は、別のIT会社で、画面を作る技術について、特許を持っているところらしかった。入社直後に受けた一週間の研修は、名刺の渡し方や、電話の応対など、一般的なビジネスマナーの内容だったので、この時点で、ITに関する知識はほぼ皆無だった。興味をもって自分で少し勉強してみたものの、さっぱり分からず、何も身に付いていない。しかし、同じプロジェクトにキリンソフトの先輩が先に入っていて、色々教えてくれると言われていたから、安心して出勤した。
出勤すると、先輩は三名いた。一人は恐かったけど、残りの二人は優しかった。質問すると丁寧に教えてくれた。しかし、一か月ほどたち、プロジェクトの納期が厳しくなってくると、先輩たちの作業量が多くなり、大斗に教えてくれる時間が無くなった。大斗は、夜の七時には帰っていたが、先輩たちは終電近くまで働いていたと、後から聞いた。申し訳ないから、大斗は帰宅した後、少しでも戦力になるようにプログラムの勉強をしたりしていた。その一か月後、プロジェクトからキリンソフトは撤退し、大斗を含めた四名とも、別のところへ行くことになった。
次のプロジェクトは、すぐに決まらず、大斗はとりあえず営業所に出勤することになった。掃除や資料作りなど、色々雑用を頼まれた。時々、営業所長の浅見から肩をたたかれ、気まぐれに、仕事の考え方などを教わった。
「ITの世界は日進月歩で、新しいことが次々と出てくる。この世界では教えてもらうのではなく、自発的に勉強していかなければいけない」
確かにITの世界は日進月歩で、新しい技術が次々と出てくるのは、よく分かる。本当は一度覚えてしまったら左うちわで、その後もずっと生きていけるような仕事が良かったが仕方ない。
「お客に気に入ってもらえての商売だ。プロジェクトでは会社は違っても、そこの会社の人が上司だ。しっかりと言うことを聞くように」
キリンソフトに入ったら、上司が一杯いるのだと思った。お客さんと所長の指示が違った時があったら、どうすればいいだろうと思った。
「勤務時間に勉強してはいけない」
自分の自由の時間で勉強しろということか。なんかずるいと思った。必要な勉強なら勤務時間中に時間を確保して教育してくれてもいいのに、と思った。
一か月後、今度は銀行の仕事をすることになった。最寄りは五反田駅だが、そこからだいぶ離れた、看板のない建物に出勤することになった。警備員が数人いて、入館するときは入館カードを持って、ゲートを通さないと入れない。建物全体が高い壁で囲われている。刑務所のようだった。後から知ったことだが、銀行は多くの機密情報を扱うから、この様になっていたらしい。
スマートフォンアプリの仕事だった。スマートフォンアプリなんて、画面で見ると小さいけれど、二百人くらいが働いているのを見て、こんなに多くの人がアプリの開発に携わっているのだと思った。すでに準備してある設計書をもとに、プログラムを書いていく仕事だった。後から考えると、キリンソフトに入社して、これが一番やりがいのある仕事だったかもしれない。ITらしいことをやっているし、スキルも身に付いているのを感じた。書いたプログラムは、他の会社に所属しているスペシャリストによりチェックされ、悪いところの指摘を受けて修正した。ただ、帰りは夜遅かった。いろんな要因が重なって、思うように進まなかったからだ。なかなかうまくプログラムが書けなかったり、スペシャリストの指摘が多すぎて対応に手間取ったり、設計書を読み間違えていて大部分がやり直しになったり、そもそもの設計書が間違っていてやり直しになったりした。
作業フロアは、銀行系の会社の人が働く場所と、大斗のようにIT関係の会社の人が働く場所に分かれていた。銀行系の会社の方は、夜の六時くらいには人が帰りはじめ、七時半には誰もいなくなっていた。一方、IT会社の方は、大部分が夜の十一時過ぎても働いていた。銀行系の会社の人たちを見て、ああいう場所に就職できていれば良かったのに、と思った。
プログラミングの工程が終わり、銀行業務観点でのテスト工程に入る頃、大斗たちはお払い箱になった。
その次は、俗にいう火の吹いたプロジェクトに放り込まれた。
勤務地は銀座の一等地だった。大斗は気分だけ出世した気になった。経費精算のパッケージソフトを売り出している会社の仕事だった。古いIT技術で作られていた為、なかなか世の中の状況に対応して作り変えていくのが難しく、融通が利かなくなっていたので、新しい技術で作り替えようというプロジェクトだった。五か月でできると判断され、取引先に、五か月後に販売可能になると伝えていたのだが、画面数が想定の四倍以上あることが判明して、普通に考えると全く終わらない状況に陥っていた。作業量から逆算して一人当たりの作業が割り出され、それを日数で割って、スケジュール表に落とし込まれていた。
最初の数日は何とか数倍速で頑張っていたが、効率を最優先で取り組んだツケも廻ってきて、トラブル対応が多く、到底間に合わなくなってきた。
間に合わないときは、上司、すなわちお客様先のリーダーに伝えなくてはならない。そのため、勇気をもって伝えた。すると「じゃあ、どうするの? 徹夜する?」と聞かれた。
大斗にとって、この返答はショックだった。どうするか考えるのは、リーダーの役割ではないのかと思った。百歩譲って、仮にリーダーがどうしようもなく困っていて、どうしようもない状況だったとしても、「大量の仕事をお願いしてしまい申し訳ないが、何とか協力してもらえないか」とお願いするのが筋ではないのかと感じた。
納得いかなかったので、大斗が所属しているキリンソフトの新宿営業所に電話して事情を話して相談することにした。電話には、営業所長の浅見が出た。みんな客先に行っていて、オフィスには他にあまり人がいないのだろう。浅見の回答はこうだった。
「お客様が徹夜してでも終わらせるようにと言っているのなら、頑張るしかない。社会人として、お金を頂いているのだから、言われた仕事はきっちりやらないといけない。仕事は厳しいものよ」
同じ会社だから、自分の味方だと思っていたのに、裏切られた感じだった。徹夜して作業しても、頭が疲れているから、ロクなものができないと反論すると、「グダグダ言っていないで、お客様の言われるようにやりなさい。私も忙しいのだから、こんなことで、いちいち電話してこないようにしなさい。社会人として自立して自分で判断してくれないと困るよ。私に甘えてもどうしようもないのだから」と言われ、ガチャンと電話は切れた。
その後、三日連続で徹夜することになった。時々夜は段ボールを敷いて横になったりしたけれど、まともな判断力など、もう無かった。解放されたのは、三日目の徹夜明けに、その仕事をクビになった時だ。クビにしてくれて助かったと、心から大斗は思った。
その後、週末の土日を挟み、月曜日に営業所に出勤した。出社早々、大斗は所長の浅見から、呼び出されて怒られた。
「先方から、君の仕事は遅いし、出来も悪いし、何でこんな人を連れて来るんだとこってり怒られた。もっとしっかりするように。このままだと、うちの会社でやっていけなくなるよ」
先方の担当者も、うちの所長も、どうして、そんなことを言うのかと思った。ひどすぎると思う。何かを反論する気分ではなくなり「はい」と答えて席に戻った。席に戻ってやることが無かったから、プログラムの勉強をしていたら、いつの間にか席に後ろにいた浅見に怒られた。
「勤務時間中は勉強してはいけないと言っただろう。減給するぞ」
すみませんと謝ったものの、やることが他にないから、メールチェックしたり、トイレに行ったりして時間を稼いだ。後ろに足音が聞こえてきたら、すぐに会社の規程集のページを開けるように準備していた。
翌々日には、次のプロジェクトの面接に行くことになった。今までは、すでに同じ会社の先輩がおり、そこのチームに入るということで、面談はなかったが、その時はあった。キリンソフト営業担当の松田も同席した。
「土日も出勤してもらうことがあるが良いか」と聞かれたので「うちは、土日は休日なので出来ません」と答えたところ、横にいる松田から頭をはたかれた。
直後に松田は、面接官に向かって「出勤させるので大丈夫です。問題ありません」と話していた。面接が終わって帰るとき、松田から怒られた。
「ここで面接失敗したら、金が会社に入って来ないんだよね。お前の給料分が出ないの。分かる? ああいうときは、迷う事なく、大丈夫ですと答えるようにするんだ。いいね」
面接官の心証は悪かったらしいが、松田が粘り強く交渉したと聞いた。大斗はそこで働くことになった。
大斗はそれから、働く場所を転々としたが、常に忙しかった。やりながら分かってきたことだが、忙しいから呼ばれるのだ。少し落ち着いたら解放され、別の忙しいところに放り込まれる。その繰り返しだった。
残業代は出たことはない。これほど長時間働いているのに理不尽だと思う。所長が言うには、残業しなければならないのは、仕事の能力が足りないから、とのことだ。ゆっくり仕事をしているほうが、給料が多くなるなんて、それこそおかしいだろうと言われた。残業代が欲しければ、残業代をもらっても誰も文句を言わないほど、素晴らしい成果を出してみろと言われた。
会社のタイムカードは、いつも定時出社の定時退社。正直に時間を付けていると、会社が国から是正勧告を受けるから、余計に利益が上がらなくなって、今より給料が下がるからという理由で、その様にするように指示された。
入社して四年ほどたっても、給料はさほど最初と変わらなかった。ここ一年では、休日はほとんど無かった。携わったシステムにトラブルがあると、真夜中に緊急呼び出しを受ける先輩もいた。自分もいずれ、そうなって行くのだろうと思った。世の中は厳しくて、みんな一緒だと思っていたが、どうも違うらしいことが、少しずつ分かってきた。
以前働いていた所の、銀行関係の会社の新卒社員は、自分よりはるかに働いている時間が短いのに、給料はだいぶ上がっていると聞こえてきた。他の会社に転職したほうが幸せになるのではないかと、ときどき考えるようになった。
しかし、現実的に転職は難しい気がする。大斗がここ四年でやってきたのは、主にいわゆるシステム開発の雑用部分であったので、基本的に誰でも出来ることしか出来ない。そのため、求人に応募しても、なかなか採用してもらえないだろう。そして、転職するとまたゼロからのスタートになる。
もともと、肉体労働より、頭を使うデスクワークの仕事が良かった。歳を取ったときに、つぶしが効くからだ。しかし、今の仕事は体力ばかり消耗し、肉体労働と変わらないではないかと思った。
いろんなことが頭をよぎった。人生にはつらい時期とそうではない時期があり、今がつらい時ではないのか。これを乗り越えれば新しい世界が見えてくるのではないか。そんな事も思った。今転職が頭に浮かぶのは、単にきつい事から逃げたいだけではないのか。せっかく入社したのだから、逃げるのは良くないとも思った。
また、簡単に辞めさせてくれない会社であることも知っていた。ある先輩社員は、退職を一度申し出て、何があったか知らないが撤回したらしい。相当な引き止めがあったのだと思う。その後、一番大変だと言われているプロジェクトにばかり放り込まれ、顔を見たときはいつも怒鳴られており、いい年なのに役職はヒラのままで冷遇されている。こういうのを見ると、辞めるとは言わないほうが、今まで以上に悪くはならないのだろうと思う。
突然姿を消し、出社しなくなった社員も何人かいた。その時、所長や営業担当は、実家や知人に電話したり、探偵を雇ったりして徹底的に探していた。しかも、それは「行方不明になって事故にでも遭っていたら大変だから行方を探したい」という感じの雰囲気ではなく「奴隷が逃げたから徹底的に探して見せしめにしろ」という雰囲気が強かったように思えた。どうしてそう思えたのかは、うまく説明ができない。しかし、間違いなくそういう感じがした。「東京駅に五人くらい行かせろ。あいつの行きそうな東北行きのホームを中心に見張れ」とか、「絶対逃がすな」とかいう大声を、電話に向かって発しているのを聞いたからだろうか。その社員たちが、その後どうなったかは不明だ。ただ、目撃情報を一度聞いたことがある。そのうちの一人が、死人のような顔をして荒川沿いを歩いていたということだ。本当かどうかは定かではない。そういうことを踏まえたうえで、辞めるのは考えず、頑張ってみようと思った。
しかし、その一週間後、やはり耐え切れず、妹の愛子に電話して相談した。忙しくて、しばらく電話しておらず、着信があってもかけ直さなかったから、愛子は心配していたらしい。
「お兄ちゃんが体を壊したら意味ないよ。働くところは他にもいっぱいあるからね」そんな風に言ってくれたことも、大斗の決意を後押しした。客先で働いていると、自社の営業所に顔を出すことは、月一回程度なので、所長に直接会うことはあまり無い。そこで、勇気を振り絞って、営業所に退職する旨の電話をした。営業の松田が出て、長い保留音の後、三日後に営業所で会議をすることが決まった。
三日後に営業所に行くと、所長の浅見と営業の松田が待っていた。三人で会議室に入って、会話が始まった。
「本当に辞めるのか。意志は変わっていないのか」
大斗は「はい」と答えた。
「辞めてしまうと、今まで頑張った実績がすべて無かったことになってしまうけど、もったいないよ?」
大斗は、「考えた末です」と答えた。
「理由は?」
大斗は「休みもなく、自由な時間が全くない。そのため違う人生を送りたい」と伝えた。
「そんなことは、みんな同じなのよね。若い人は、ちょっときついと、すぐこれだからな。会社に入っているのだから、自分の時間なんて無くて当然だよ。俺たちが若い頃なんて、もっときつかったよ」
大斗が黙っていると、所長が次の言葉を続けてきた。松田は横でずっと黙っている。
「後任の人は誰にするの? 今やっている仕事の引継ぎのスケジュールは?」
そんなことは、大斗が考えることではなく、会社が考えることだと思っていたので、何も考えていない旨を、所長に伝えた。
「それじゃあ、今やっている仕事を放りだすだけ放り出して、あとはよろしくって事? それって、あまりにも無責任じゃない?」
大斗は、何を言ってよいか分からず、とりあえず、すみませんと謝った。
「じゃあさ、これから考えたらいいから。後任の人を探して、引継ぎを済ませたら辞めてもいいよ。」
大斗は、それではいつ辞められるのかと、聞いてみた。
「それは君次第だよね。最低それだけはやってもらわないと、会社としては損害が出るからさ。よろしくお願いね」
所長が立ち上がって、会議を打ち切りそうになったので、大斗は慌てて言った。
「法律では、退職したいと伝えて十四日で辞められるとなっているみたいですけど」
所長は、完全に人が変わったように、大斗を敵視する視線で言った。
「法律がどうであろうと、一般的な常識で、十四日で辞める人なんていないよ。きちんと会社に迷惑が掛からないように段取りしてから辞めるものだ。分かった?」
大斗は、ここで承諾したら負けだと思って、反論の言葉を考えてみたが思いつかず、しばらく沈黙が続いた。しばらくたって、所長が口を開いた。
「どうしても辞めるならさ、入社時の研修費用をまず返してもらわないといけない。君が定年まで続けると思って投資した分だから、数年で辞めるのだったら、ほぼ全額返してもらわないといけないね。あと、今いるプロジェクトから抜けることによる損害分を払ってもらわないといけない。松田、いくらぐらいになる?」
横で、沈黙を保っていた松田が答えた。
「三百七十万円くらいです。」
大斗はびっくりして、そんなお金は無いことを伝えた。
「今、お金がないなら、どこからか、借りて払ってもらう事になるのかな。残念だけど。ただ、入社の時に君のお父さんから身元保証書を出してもらっているから、まずは君のお父さんに払ってもらうように、うちとしてはお願いする事になるかな。君もお父さんも払えなかったら、警察か、こういう時にお金の取り立てを専門にしている会社があるから、そういうところに頼むしかないかな」
大斗の預金は、四十万円くらいなのに、三百七十万円も払わないといけなかったら、この先何年も貧乏な生活が続いてしまう。父には経済的なゆとりがないので、一切面倒をかけたくない。辞めないほうがいいのだろうか。
「そして、再就職しようとしても、なかなかうまくいかないと思うよ。プロジェクトを途中で放り出して辞めたという噂は意外とすぐ広まるからね。いろんな企業も君を採用すると、うちの会社、つまりキリンソフトから睨まれるから、なかなか採用しないと思うよ」
多額の借金を背負った挙句、就職も決まらないのであれば、人生だいぶ終わってしまうと感じた。大斗は、今日の話を無かったことにできないかと考えた。
「あの、やっぱり辞めるのを止めてもいいですか。やはり働きます。」
所長は呆れた顔で言った。
「働くって言っても、どうせまたすぐ辞めるって言うんじゃないの? 信用できないよね」
大斗は「そんなことはない。もう辞めるなんて言わずに頑張る」と伝えた。
「じゃあ、これにサインしてもらうことになるけどいい?」
所長は、横にいる松田に目配せして、クリアファイルに入っていた一枚の紙を、大斗の目の前に置かせた。誓約書と書いてある。
「今後、プロジェクトの途中で辞めることは一切しないという誓約書だ。これにサインして、印鑑を押せば、今日の話は無かったことにしていいよ」
大斗は、願ってもない話だと、すぐにサインと捺印を行い、会議は終わった。
帰りながら、大斗は最悪の事態は免れたと思った。この後、一年ほど、大斗は誓約書に書いたとおりに頑張った。その後、IT業界で悪名高い、北東京運送のプロジェクトに入ることになった。地獄のようにきついプロジェクトだと聞いていた。大斗は、今までもそんなプロジェクトを経験して、耐えてきたのだから、今度もきっと乗り越えられると思っていた。しかし、人生が思惑通りに行くことは多くはない。大斗は運命に翻弄され、先の読めない展開に入っていくことになる。