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亡き愛を求める(1)

「もういらないの? まだ全然食べていないじゃない」

「ごめんなさい。あまり食欲がなくて……」


 同僚の侍女からの案じるような視線に、居心地の悪さを感じてしまう。それを申し訳なく思いながら、女は自分の部屋に逃げ帰った。椅子に腰かけながら、大きく息を吐く。絶えず続く吐き気のせいで、食事も喉を通らない。

 これから自分はどうすべきなのか。仕事をこなしている間も、そのことばかりを考えてしまう。

『こんなもの』、とっとと捨ててしまえばいい。他の者に知られてしまう前に、早く。そうしなければ、この後宮に居られなくなってしまう。  


「うぅ……っ」


 そして、自らの浅はかさを呪っている時だった。


 ──それ、じゃま、だよ、ね。


 どこからか聞こえた幼い声に、女は周囲を見回した。


「……っ、どこ?」


 室内に自分以外の姿は見当たらない。ならば、今の声は一体どこから?

 恐怖を覚えた女は、部屋から出て行こうとしたが、錠を下ろしていないはずなのに扉が開かない。


「な、なんで……!」


 ──いら、ない、よ、ね?


 耳元で問いかけられ、女は身を震わせた。得体の知れない『何か』が今、背後にいる。決して振り向いてはならないと、本能に訴えていた。

 何度も何度も扉を叩きながら、助けを求めて叫び声を上げた。


「開けて! お願い! ここから出してぇ!」


 ──わたしが、すてて、あげるね。




 あくる日、いつまでも姿を見せない同僚を心配し、部屋を訪れた侍女達が見たもの。

 それは口から血を流し、絶命している彼女の亡骸であった。




 近頃、警護兵たちの間では『蒼鈴』の話題で盛り上がっているらしい。庭を散策していると聞こえて来た彼らの話し声に、蒼燕は眉間に皺を寄せた。


「昨日、蒼鈴様をじっと見ておったら、こちらを振り向いてくださったのだ」

「蒼鈴様は俺に気があるのかもしれぬ」

「いや、俺に決まっておる」

「俺だ」


 全員違う。気などあってたまるものか、と心の中で蒼燕は言い放った。

 視線を感じたので、振り向いただけである。確かに目が合ったような気がするが、ここまでくると勘違いも甚だしい。後宮では男女の仲になることを禁じられているため、彼らはろくに色恋沙汰がなかったのだ。その弊害が思わぬ形で生じている。

 前を歩いていた主は作り物の微笑みを浮かべ、ちらりと後ろを振り向いた。が、彼女が何を考えているかは何となしに分かる。

 望まずして、警護兵達を虜にしてしまった蒼燕を面白がっているらしい。


「……玲華様もお人が悪い」

「…………」

「ぐ……っ」


 玲華は体を寄せたかと思えば、侍女の脇腹に肘を叩き込んだ。臓物が揺さぶられる感覚に、蒼燕は小さく呻いた。


「蒼鈴様、少しだけよろしいかしら」


 数人の侍女を引き連れた妃賓に呼び止められた。が、蒼燕にとっては全員、見知らぬ顔である。玲華でさえ覚えがない。

 妃賓が多ければ、当然、侍女の数も多い。

 四龍妃、もしくはそれに次ぐ位を持つ妃賓とその侍女でなければ、顔などいちいち覚えていられない。


「わたくしに何か御用でございますか?」

「あなた大丈夫なのかしら?」


 わざとらしい口調で訊ねられ、蒼燕は首を傾げた。


「玲華様の侍女になられて、苦労も多いでしょう? 何か困ったことがあれば、いつでもわたくしに相談してちょうだい」

「は、はい。ありがとうございます」

「あなたのような美しい子なら、いつでもわたくしの侍女として迎えて差し上げるわ」


 本心はそれか。蒼燕は心の中で呆れた声を漏らした。

 妃賓は気付いているだろうか。自分の侍女達が、たった今、こちらを凄まじい形相で睨み付けているのを。


「近いうちに、わたくしの茶会に招いてあげるわ」

「はい……」

「では、またお話しいたしましょうね、蒼鈴様」


 妃賓達が去っていく。その時、侍女の一人がふらついた。


「う……」

「大丈夫?」

「ごめんなさい。あまり気にしないで……」


 他の侍女に心配され、笑って誤魔化しているが、どうも顔色が悪い。蒼燕がその様子を見ていると、視線に気付いた彼女にきつく睨まれてしまった。

 小さく溜め息をつくと、玲華が蒼燕の耳元に口を寄せてきた。


「おぬしも苦労しておるな」

「はい……玲華様のおっしゃる通りでございました」


 蒼鈴もとい蒼燕を迎え入れようとする妃賓と、嫉妬の視線を向けてくる侍女。そのような者達に、ここのところ毎日出くわす。

 いつになれば、収まるのだろうか。ぐったりとしながら、蒼燕は玲華との二日前の会話を思い返す。




『今におぬしを欲する者が、妃賓の中から現れるであろうな』


 主からの言葉に、蒼燕は床掃除をする手を止めた。


『……妃賓が私を?』

『おぬしのような美女を伴っていたら、それだけで皆の視線を引き付ける。目立ちたがりの妃賓には何よりも美しい装飾品に見えるのだ』

『かざり物……でございますか』


 それは少し複雑だと、蒼燕は眉を顰めた。すると、玲華が顔を近付けてきた。


『そのような表情をするな。美しい顔が台無しではないか』

『物のような扱いを受けるのかと思うと、あまりよい気分ではございません』

『私はお主を物扱いすると申してはおらぬ。それと、もう一つ』


 ここからが重要だと、玲華が強い口調で告げる。


『おぬしを最初に気に入ったのは、私だ。そこらの妃賓なんぞには絶対にやらぬ』


 その言葉に気恥ずかしくなり、蒼燕は顔に熱が集まるのを感じた。


『……私がお仕えすると決めたのは、玲華様だけでございます』

『承知しておるならよいが。よいか。絶対に、やらぬぞ』

『はい』


 この主は、意外と独占欲の強い性格らしい。強く念を押され、蒼燕は首を縦に振った。





 冥龍宮に戻ろうとすると、その扉の前に人だかりが出来ていた。蒼鈴目当てかと思いきや、妃賓や侍女が顔を赤らめて、ある一点を見詰めている。

 彼女達の視線を追った蒼燕の目に映ったのは、自らの護衛兵と会話をする若い男であった。


 高い背丈と涼やかな顔立ち。宦官や兵ではないことは、その贅沢ぜいたくな衣装ですぐに分かるが、官吏とも異なる高貴な雰囲気を放っている。

 そして、その双眸は固く閉ざされていた。一年前、何者かに毒を盛られ、一命は取り留めたものの、視力を奪われてしまったという。


「白金様だわ……」


 彼の名を呟きながら、妃賓や侍女が甘い吐息を漏らした。少し離れた場所からも、下女達や宦官がこちらを眺めている。どうやらこの人だかりは、彼を一目見ようと集まった者達で出来ているようだ。

 白金パイジン。凛でその名を知らぬ者はいないだろう。

 彼は現皇帝の側近にして、従兄弟に当たる。更には、この後宮の管理を一任されていた。


 そして、独断で蒼燕を後宮へ引き入れた人物であった。

「警護に充てるべきではない」、「何者かに雇われた暗殺者ではないのか」など、それらの意見を退け、火傷の痕で素顔が分からない蒼燕を警護兵に任命したのだ。

 ──この者の『光』はとても美しい。良からぬことを企てておるとは思えぬ。

 そのような理由をつけて。


 蒼燕は白金の手の甲へ視線を向けた。

 彼の手の甲で輝く円形の模様。太陽、月、星、あらゆる星の光を司り、世界を照らす力を持つ光龍の紋である。

 本来、光龍は、四龍妃を誕生させるため、その代の主上によって選ばれた女へ加護を授ける。

 しかし、今回はどういうわけか、白金がその加護を授かることとなった。


「それにしても、何故白金様は冥龍宮へお越しになったのでしょうか……」


 首を傾げながら、蒼燕が疑問を口にした。そのような予定は聞いていない。「如何しましょう?」と玲華に問いかけていると、白金が小さく微笑んでから歩き始めた。まっすぐ、蒼燕に向かって。


「私はそなたに会いに来たのだ、蒼鈴」


 甘い声で蒼燕へ語りかける白金に、周囲の女達が色めき立った。



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