表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/23

冥龍の裁き(4)

「面白いご冗談をおっしゃるのですね」

「田舎の奴らは皆耳にしたことがないと申しておったが。厄については、どこまで知っておるのだ?」


 鉄仁が意外そうな表情かおで問うので、蒼燕は小さく笑いながら答えた。


「正体不明の化生でございましょう? 『厄について深く知ろうとすると、厄に喰われてしまう』との言い伝えがあるそうですが」

「では、『黒月』については?」

「いいえ。それは初めて耳にしました。厄と繋がりがあるのですか?」

「黒月は厄を斬る役目を担う者だ。漆黒の剣を振るい、厄を斬り裂く後宮の守護者らしい」

「……守護者? まるで後宮に厄が出るような言い回しではありませんか」


 蒼燕は、怪訝そうにしつつ、自分が求めている情報が得られるかもしれないと、内心では歓喜していた。

 蒼燕の思惑など知る由もなく、鉄仁は硬い面持ちで口を開いた。


「この後宮では時折、人が消えるのだ。高貴な家の生まれである妃賓や、将来を嘱望されていた宦官。そんな者達がある日突然姿を消すという。彼らは厄に襲われたのではと囁かれておるのだ」

「つまり、火蘭様の侍女達も、友人は厄によって攫われたと思っているのでしょうか?」

「俺はさほど信じていないがな。後宮は龍珠によって守られている聖域だ。化物が現れるとは思えん。……む?」


 鉄仁の足が止まる。前方に人影が見えたのだ。

 他の見回りの兵ではなく、若い娘だった。簡素な衣装を見るに宦官同様、雑用を主な仕事とする下女だろう。

 下女が、夜更けに無断で部屋から抜け出すことは、固く禁じらている。


「そこの者、こんな時間に何をしておる」

「…………」


 鉄仁の呼びかけに下女は反応を示さなかった。覚束ない足取りで近くの部屋に入ろうとしている。その様子を見ていた蒼燕は首を傾げた。


「自らの寝部屋に戻る途中だったのでしょうか……?」

「しかし、あそこは下女ではなく、妃賓に宛がわれる部屋だ。それに今は空室になっておるはずだが……蒼燕? どうした?」

「う……」


 蒼燕は自身の異変を感じていた。

 下女が部屋の扉を開いた途端、右目が痛み出したのだ。激しい痛みに小さく呻き、布の上から右目を押さえる蒼燕に鉄仁が声をかける。


「蒼燕!?」

「私のことはお気になさらないでください。それよりも下女をあの部屋に入らせてはなりません」

「どういうことだ?」

「胸騒ぎがするのです」


 痛みで荒くなる呼吸を整えながら、蒼燕は下女を一瞥した。


「……あの者を部屋に入れさせるな」

「はい」


 部屋に踏み入ろうとする下女を兵が取り押さえる。下女は抵抗を示さないが、虚ろな瞳でぶつぶつと呟いていた。


「いかなくちゃ……」

「おい、しっかりしろ!」

「いかなくちゃ……わたしも……」

「……様子がおかしい。この部屋に何があるというのだ?」

「私が確認して参ります」

「俺も行こう」


 兵の一人と鉄仁が部屋に入って行く。残りの二人は蒼燕を案じていた。


「右目はまだ痛むか?」

「はい……痛みにある程度は慣れてきましたが」

「お前はこの下女を連れて療養部屋へ行け。あとのことは俺達に任せておけばよい」


 蒼燕を残し、彼らも部屋へ入ろうとした時だった。


「うわぁぁぁぁ!!」


 先に部屋へ立ち入った兵の悲鳴が聞こえてきた。


「!」


 下女を廊下の壁に凭れさせ、蒼燕達も部屋に駆け込む。兵は怯えた表情で腰を抜かし、鉄仁は天井を見上げたまま硬直していた。彼の視線を目で辿り、蒼燕は『其れ』を見付けた。


「ふふ……」


 上から聞こえる笑い声。


「……貴様は何者だ」


 鉄仁は、僅かに震える声で『其れ』に問いかけた。

 巨大な黒い翼。

 足には、如何なる獲物も捕らえて離さない鋭い鉤爪を持ち、黒髪は足元まで伸びている。

 体は無数の鳥の毛で覆われ、細くて長い尾羽は床に届くほどである。

 妖艶な笑みで蒼燕達を見下ろす女の瞳は赤く光っていた。

 そして、女の傍らには一人の女官が浮かんでいた。


「あの服……火蘭様の侍女か」

「可愛いでしょう? 私のものなのよ……あの子も私のものにするつもりだったのに、あなた達が邪魔をするから……」

「……誰でもよい、今すぐあの者を連れてこの場から去れ。奴の次の狙いはあの者だ」


 鉄仁の言葉にいち早く動いたのは、腰を抜かしていた兵だった。どうにか立ち上がり、部屋の外にいる下女の手を引いて去っていく。下女を守るためではなく、この場から一刻も早く逃げるために。

 女が下女を追いかけようとするが、険しい目付きの鉄仁が立ち塞がる。


「その者を返せ、化生!」


 鉄仁は、背中に背負っていた弓を構えて叫んだ。その顔は恐怖と緊張で強張り、声と手も震えている。それでも、ここで退くわけにはいかないと自らを奮い立たせていた。

 その姿を見た他の二人の兵も武器を構える。だが蒼燕は、自分達ではあの化生を倒せないと、鉄仁へ撤退を促した。


「お待ちください、鉄仁様! ここは一旦退くべきでございます!」

「だが、あの者を救うことが出来ん!」


 鉄仁が矢を女へ射かける。

 胴体を狙ったはずだった。だが、女は嘲笑いながらひるがした翼で矢を弾き飛ばした。こちらへ跳ね返ってきた矢が鉄仁の腕を僅かに掠り、床に突き刺さる。


「くそっ!」

「し、死ね化生!」


 狼狽しながら二人の兵も無作為に矢を放ってゆく。

 狙いを定めずに放たれたそれらは次々と翼で弾かれ、そのうちの一本が兵へと向かってしまった。

 だが、その矢は他方から放たれた別の矢によって弾かれた。安堵した兵が周囲を見回すと、その矢を放った位置で蒼燕が弓を構えている。


「蒼燕……」

「闇雲に矢を射るものではございません」

「あ、ああ……済まない」


 右目の痛みを気にかけている場合ではない。蒼燕は女を鋭く睨んだ。


「お前が……厄と呼ばれるモノか?」

「ふふ……ねえ、あなた……」

「……何だ?」


 女はうっとりと微笑んだ。


「とてもいい香りがするわ……」

「…………?」

「私の大好きな香り……もっと近くに来て頂戴」


 翼を羽ばたかせ迫りくる女に、蒼燕は素早く矢を射かける。狙いは女の胴体ではなく、顔だった。


「うっ!」


 矢が右目に命中する。続けざまにもう一撃。左目に突き刺さる。小さく呻きながら動きを止めた女を見て鉄仁が声を上げた。


「仕留めたか!」

「……いいえ」


 蒼燕は目の前の光景に眉根を寄せた。


「ふふ……こんなもの……」


 両目に刺さった矢が粉々に砕け散り、目の傷も瞬く間に塞がってしまう。愕然とする蒼燕を捕えるため、女が再び迫りくる。


「あなたも私のものにしてあげる……!」

「く……っ」


 より速さが増し、矢を射る間もない。苛立たしげに舌打ちをする蒼燕へ、細い尾羽が伸ばされる。

 捕まる。そう思った時、先程矢を弾いて救った兵に、蒼燕は突き飛ばされていた。


「ぐっ!」


 女の尾羽が兵の体を絡み取る。


「逃げ、ろ、蒼燕……!」


 女は捕らえた兵を自らへ引き寄せていく。その光景に、蒼燕は声を張り上げて訴えた。


「貴様の狙いは私だろう! その者を離せ!」

「あなた、邪魔だわ……」

「やめろ……!」

「死になさい」


 逃れようと必死に藻掻く兵に女が口づけをした途端、兵の体から力が抜けて動かなくなった。

 蒼燕は彼の姿に見て言葉を失う。生気を奪われ、まるで木乃伊ミイラのように干からびていった。

 兵を床へ投げ捨てると、女は愉しげに笑い声を上げた。


「うふふふ……あはははは!」

「くそ……!」

 

 蒼燕は直ぐ様兵へ駆け寄るが、既に事切れていた。開かれたままの彼の瞼を手で下ろしてやる。

 兵の亡骸を見下ろしながら、蒼燕は怒りで体を震わせる。

 人の命を弄ぶ、醜悪な化生。これが厄という存在なのか。


「さあ、今度こそあなたを頂戴……」


 女が蒼燕に視線を移して、舌なめずりをした時だった。


「そうはさせぬ」


 颯爽とした声がよどんだ夜の空気を震わせ、黒い風が蒼燕の横を通り過ぎた。

 風の正体は仮面で顔を隠した黒衣の剣士であった。 

 漆黒の剣を片手に、女へ駆け走っていく。


「人の闇より出でし厄よ、冥龍の裁きを受けるがよい」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ