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冥龍の裁き(3)

 その様子は言葉で言い表すならば『黒』。彼女はあらゆる黒を纏っていた。艶やかな黒髪と、黒一色に染めた衣装。そして、澄んだ夜色の双眸。

 その辺りの下級妃賓よりも地味な姿だった。豪華な出で立ちで、多くの若い侍女を引き連れていた瑠流妃を見た後だと、尚更そう感じる。


「……優しそうな御方なのでは? 微笑んでおられますが」

「あの御方は優しくも厳しくもない。今の玲華様は抜け殻のようなものだ」


 確かに玲華は微笑んではいるのだが、どこか虚ろな雰囲気を漂わせている。一言も口をきくこともなく、ただぼんやりと木を見詰めていた。


「玲華様の一族は武芸の達人が多いだけではなく、当主に身を置いた者は必ず冥龍の加護を授かる名家だったのだ。授かった者は宮廷入りを許され、主上をお守りすることに従事する。冥龍は戦を司る龍神だからな」

「武芸、ですか」

「と言っても、本来、当主になれるのは男のみだ。玲華様は幼少の頃に母君を病で亡くされている。その母君によく似た大人しい性格で、剣や槍などは一度も握られたことがないらしい。だが、冥龍が選ばれたのは玲華様であった。いや、玲華様しか残されていなかったと言うべきか。ある日、当主の父君や次期当主であった兄君は、何者かによって殺されてしまったのだ」


 鉄仁の声には悲哀が滲んでいた。


「冥龍はな、龍の中でも気性が荒くて、苛烈とされておる。悲しみに暮れていた玲華様は、その加護に耐えられなかったのであろう。心を壊されてしまい、常にあのように微笑んでいらっしゃる。護衛など到底無理であろうと、四龍妃として後宮に迎え入れられたものの、夜伽に呼ばれたことは一度もないらしい」

「……そうなのですか」

「四龍妃に選ばれるのは、龍の加護を授かった者だけだ。玲華様はその条件を満たしてはおるが、『役目』は果たされておらぬ。周囲からは置物と呼ばれて疎まれておられるのだ」


 蒼燕は眉を顰めた。玲華の心は空虚となり、自分を見失っている。そんな彼女を四龍妃としたのは、他でもない龍神だ。しかし、国の守護神を責めることなど出来るはずもない。なので、悪意の矛先は玲華へと向けられるのである。


「侍女も他の四龍妃のように多く仕えておるが、まともに玲華様の世話をなさっておるのは、あそこに玲華様とおられる紅梅様のみだ。他の侍女は最低限のことをして、遊び呆けておる」


 見兼ねた火蘭が行いを咎めた。それによって、一旦は改心したものの、すぐに元に戻ってしまったという。


「……あのようなご様子なのをいいことに酷いものだ」


 理不尽な形で家族を喪い、望まぬ加護を授かり、この場所では後ろ指を指されている。哀れな人生だ。彼女の中身が虚ろであることが唯一の救いか。心が壊れていれば、悲しむこともない。

 人の欲を煮詰めた、絢爛豪華な毒の鍋。

 後宮をそのように例えた者がいたか、全くその通りだ。蒼燕とて『目的』を果たすためでなければ、こんな場所に足を踏み入れたくはなかった。




 暮らしが豊かだからといって、皆が清らかな心を持っているわけではない。蒼燕がそれを再認識したのは数日後のことだった。

 新入りの警護兵の身だ。自由な行動はあまり許されていないが、何せ数千人の共同生活である。醜聞が勝手に耳へ入り込んでくる。

 近々有名な文官の娘が後宮入りするだの、あの妃賓が酒に溺れているだの。

 このような話は本来、公にされるべきではないだろう。しかし、これほど人が多いと、情報の漏洩は防げない。

 悪意じみた好奇心で目を輝かせ、噂話で盛り上がる姿は正直見ていて気分が悪い。出世こそが、この世界で生き延びるために最も重要なことだ。そのために内情を探るならともかく、軽はずみに人のことを取り沙汰するのは如何なものか。

 溜め息をつきながら庭の見回りを行っていると、視界の隅に『黒』が入り込んだ。


 冥龍の加護を授かった四龍妃、玲華が歩いていた。先日連れていた紅梅という侍女も付けずに一人で。

 彼女を見るのはこれで二度目だ。

 まるで月夜のような物静かさを持つ御方だ。そう思っていると、遠くから玲華へ視線を向けながら、何やら話し込む二人の女官の姿を見つけた。どこかの侍女か。彼女達に挟まれる形で、気弱そうな宦官もいる。

 宦官は二人に何かを指図されているのか、あつもの用の器を無理矢理押し付けられていた。それを持ったまま玲華の下に近付いて行く。

 そのことに気付かず玲華は歩いていた。


「………………」


 ああ、見ていられない。蒼燕は小走りで向かった。玲華ではなく、宦官のほうへ。

 そして、わざと彼にぶつかった。


「あっ」


 声を上げたのは、宦官のほうだった。器から零れ出した中身を蒼燕は素早く身を捻って避けた。

 ばしゃん、と地面を濡らしたのは濁った泥水だ。蒼燕がそれを見下ろしていると、宦官の顔から血の気が引いていく。


「も、申し訳ありませんでした!」

「こちらこそ、申し訳ありません。よく前を見ていなかったものですから」


 恐らく故意に玲華へとぶつかり、器の中身を彼女にかけるつもりだったのだ。

 あの女官二人は蒼燕が宦官にぶつかるのを見て、すぐにどこかへ逃げ去ってしまった。自分達が仕向けたというのに薄情なことだ。


「それと、あのような方々には用心なされた方がよろしいかと存じます」

「は、はい……」


 宦官は泣きそうな顔で頷いた。元『男』という特殊な性を有する彼らは、よくいじめの対象になると聞く。先程の件も、たとえ公になったところで、彼女達はきっととぼけることだろう。

 次は上手くすり抜けてくれればよいが。

 宦官と別れて見回りを再開しようとすると、後ろから袖を引っ張られた。

 振り向いた瞬間、蒼燕の心臓は大きく跳ねた。──玲華の顔がすぐ側にあったからだ。


「な……っ」


 いつから背後に立っていたのだろう。気配すら感じなかった。

 荒くなった呼吸を整える蒼燕に、玲華が懐から小さな包みを取り出して押し付けてきた。


「……私に、でしょうか?」

「………………」

「申し訳ありませんが、いただくことは出来ません。そのような決まりになっているのです」

「……………」


 警護兵が妃賓から下賜されることは禁じられている。やんわり断り続けたが、玲華は押し付けるのをやめようとしない。

 誰かに見られていなければよいが。周囲に人がいないことを確認しながら包みに手を伸ばすと、虚ろだった玲華の笑みが満足気に変わった気がした。

 そして、玲華はまた歩き出した。お供をするべきか悩んでいると他の兵士から声をかけられた。用件が済んでから玲華を捜したものの、その姿はどこにもなかった。

 包みの中身は、蜜や果汁を煮詰めて作った飴だった。




 夜の後宮は、不気味なまでの静けさに包まれている。見回りを行う警護兵の足音のみが響いていた。

 しかし、廊下は昼間ほどではないが、ある程度の明るさを保ち続けている。暗闇を照らそうと思うのか、龍珠が七色の輝きを増すのだ。太陽や炎と違って熱を感じられない光。まるで月光のようである。

 その光を見ていると、玲華妃の姿が脳裏に浮かぶ。

 彼女は華やかさこそなかったものの、美しかった。闇夜のような黒髪と瞳。月を彷彿させる白い肌。非の打ち所がない美しさであった。

 そこまで考えてから、蒼燕は軽くかぶりを振る。その様子を見た鉄仁が声をかける。今夜の見回りには、鉄仁も同行していた。


「どうした、蒼燕」

「いえ、少し立ち眩みを起こしただけです」

「だったらいいが……何だ、お前。何か甘い香りがするな」

「やはり匂いますか」

「その匂いは林檎か?」

「はい。林檎の果汁を使った飴をいただきました」


 こんな時に彼女を思い出したのは、月夜のせいだけではない。玲華から貰った飴の甘みが口の中に残っているからだ。

 最初に口に入れた途端、あまりの甘さに噎せてしまった。唾液を溜めて何度も飲み干したが、舌が痺れるような感覚が未だに取れない。あんなものを彼女はいつも舐めているのだろうか。


「飴か。誰に貰った?」

「侍女からでございます」

「侍女が警護兵に飴を? あまり聞いたことがないぞ」


 訝しげに首を傾げる鉄仁に、蒼燕は自らの失言を悟った。咄嗟のこととは言え、もう少し考えてから嘘はつくものだ。平静を装いながら、別の話題を出すことにした。


「侍女と言えば……火蘭様の侍女はどこに消えたのでしょうか」

「ん? ああ、あれから手がかり一つ見付かっていないようだが。気になるのか」

「はい。あの侍女達は同僚の身を案じているだけでなく、何かに怯えているようにも見えましたので」


 友人が消えたにしても、あの怯えようは妙な感じがする。

 彼女たちはおおよその見当はついているが、自分達ではどうすることも出来ないと鉄仁に助けを求めたのではないだろうか。


「彼女は攫われたのかもしれません。そう、もしかしたら人ではない化物などに……」

「蒼燕」


 蒼燕の名前を硬い声で鉄仁が呼んだ。他の兵士も表情を強張らせている。


「あまりこの件に深入りするな。『厄』に喰われたくなければな」



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