序
予約投稿を諦めました。
床には刺繍が施された赤い絨毯が敷かれ、天井には龍珠を加工し作られた照明器具が吊るされている。
柱には龍神の姿が彫られ、目の部分には翡翠や紅玉などの宝石が埋め込まれている。
最奥では宝石や砕いた龍珠の欠片が鏤められた玉座が置かれていた。まるで夜空で輝く星々のようである。
主は不在らしい。にも拘わらず、王の間には妃賓が集められていた。
彼女等は数百人いる中の一部、つまりは上の階級に位置する者達である。
その中には、後宮において強い権力を持つ四龍妃の姿があった。
淑やかな性格で、他の妃賓からの人望も厚い火蘭妃。
やや気性が荒く、周囲から恐れられている瑠流妃。
若いながら、後宮という世界に身を置いた桃紅妃。
彼女たち『三人』がいるのだ。重要な要件に違いなかった。皆が固唾を呑む中、銀の髪を持つ美女が奥から現れた。その姿に一同がざわつく。
「皆様、お集まりいただいてありがとう」
天女の如き微笑。藍玉を彷彿させる青の双眸。男のみならず、女すらも虜にするような美貌。現皇帝の妹君、銀露公主である。
皆が顔色を変え、左拳の上に右手を添えて銀露へ敬意を示す。皇后がいない今、四龍妃を超えて後宮の実権を握っているのは彼女だった。
銀露は澄んだ声で語り出す。
「今日はあなたたちに、紹介したい子がいるの。──これから、新たな四龍妃となる妃賓です」
再びざわめきが起こる。現四龍妃も言葉を発することはないが、困惑を隠し切れていない。
無理もない。今回、四龍妃最後の一人は、空席になるものと思われていたのだ。
炎龍は火蘭妃、水龍は瑠流妃、風龍は桃紅妃をそれぞれ選んでいる。
だが、光龍が選んだのは男。皇帝の側近であり、後宮の管理も任されている白金だ。
「さあ、入ってちょうだい」
銀露に促され、一人の人物が彼女と同じ場所から姿を現した。それを見た妃賓達は困惑する。
──一言で表現するならば、地味。黒髪には豪華な装飾もなく、衣装はほぼ黒一色。まるで喪に服しているかのような出で立ちは、不吉ささえ感じる。それだけで眉を顰める者もいるだろう。
だが、美しい顔立ちをしている。それに見合うような白い肌。特に黒い瞳は夜の空のように澄み、その双眸に妃賓たちを映しながら、彼女は微笑んでいた。
けれども、微笑んだまま、自ら喋ろうとしない。緩やかに弧を描き、形を変えようとしない唇。異様な光景に訝しむ妃賓達へ、銀露が説明を始める。
「彼女は玲華。冥龍の加護を授かったの」
ざわめきがどよめきに変わる。戸惑う妃賓達を代表するように、声を上げたのは瑠流だった。
「銀露様、そのようなことは有り得るのでしょうか? 冥龍の四龍妃など、聞いたことがございません」
「そう、初めてね。冥龍の加護を得た四龍妃が現れるのは」
「ですが、冥龍が加護を授けるのは本来……」
「言いたいことは分かるわ。けれど、この子は龍神の加護を得た。四龍妃の資格があるのよ。ねえ、玲華?」
瑠流からの追及を受け流し、銀露が笑顔で玲華に同意を求める。が、黒の妃は笑みを浮かべたまま、微動だにしない。
「……少し変わっている子だけれど」
少し、と銀露は柔く表現しているが、公主の呼び掛けを聞き流すなど、不敬どころの話ではない。本来ならば、即座に後宮から退去を命じられるか、厳刑が下される。銀露自身はそれを望んでいないとしても。
既に数人の妃賓が懐疑を滲ませた眼差しを、語らずの妃賓へ向け始めている。そのひりついた空気を感じ取った銀露は、困ったような笑みを見せた。
「あまり彼女を責めないであげて。この子の心は空っぽのようなものなの」
「空っぽ、と言いますと……」
「後からゆっくり説明するわ。今日はまず顔合わせから。皆、仲良くしてあげてね」
仲良く。恐らく銀露に他意はないだろう。しかし、それはここでは意味を成さない、残酷な言葉である。
ただ微笑むだけの黒い四龍妃に、反応は様々だった。
「わたくしはあなたを四龍妃として受け入れましょう、玲華妃」
火蘭のように静かに受け入れる者。
「仲良くしてくださいませ、玲華様」
桃紅のように笑みを浮かべ、歓迎の意を示す者。
「……………………」
瑠流のように早速敵視を始める者。
最後の反応が圧倒的に多いのは、仕方のないことである。
女にとって、この国で最も高貴な場所で、悍ましい魔性共が跋扈する檻。
後宮では自分以外の妃賓は、全て敵。誰に教えられたわけでもなく、妃賓は本能的に感じ取り、生きている。そこに四龍妃というだけの、女が放り込まれた。彼女にどのような日々が待っているかなど、火を見るより明らかだった。
絢爛豪華な世界に身を投じた美しき女。或いは獰猛な牙と爪を有した苛烈な獣か。夜色の瞳には、眼前の妃賓達がどのように映っているのだろう。それを知る者は誰もいない。
そして、深遠の夜が訪れる。