表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

4.

 薄暗い部屋の中に、少年が立っていた。

 暗い色の服は明らかにサイズが大きく、彼の存在をどこか曖昧にしている。帽子を目深に被っているせいで、相変わらず顔はよく見えない。月明かりに照らされた口元だけがハッキリと薄闇に浮かび上がり、ニヤリと笑う白い歯が異様なまでに強調されていた。


「さあ、お楽しみの時間だ」


 大げさな身振りで少年が両腕を広げる。

 そうだ、これはまさしく、私ひとりのためだけに用意された盛大なエンターテインメント。ここは私のためだけの舞台。

 私は少年に向き直り、小さく頭を下げた。


「ありがとう。感謝するよ」


 握手を交わそうと私が差し出した手を見て、少年はなぜだか苦い笑みを浮かべた。ほとんど彼のことを知らない私でも、珍しい表情だと思った。


「‥‥あはは、ゴメンね。そういうのはちょっと、遠慮させて欲しいかな」


 少年は唐突にポケットに手を突っ込んで、一歩退く。なんだかよく分からないが、断られたのであれば強要すべきではないだろう。


「‥‥ぶん殴るだけなら平気なんだけどなあ」


 少年の小さな呟きが何を意味するのかはよく分からない。


「あはは、ごめんね、ボクは少し年上のオネーサンが好きなんだ」


 誤魔化すように少年はそう言って、一歩、横にずれて私に道を譲った。


 私が今いる場所は、病院だった。


 そして私の視線の先、ベッドの上に寝ているのが誰なのか、今更説明する必要はないだろう。

 ベッドの上の男は、もはや虫の息だった。放っておいても、そう長くはもつまい。それはそれで滑稽だが、私は彼に静かな死を与えない。

 少年が提示した追加オプションというのは、コレだった。


 ――最後は、私の手でこの男を殺すこと。


 殺してどうするとか、殺した後どうするとか、そんなことはどうでもいい。


 この男を殺したい。


 私の中にあるのは、それだけだ。

 少年がペンでも渡すように気軽に差し出してくるのは、1本のナイフ。美しく研ぎ澄まされたそれは夜闇を反射して、妖しい光を放っていた。

 私はナイフの柄を握りしめて、男の方を向く。


 躊躇いは――ある。


 当たり前だ。人を殺すなんて、これが初めてなのだから。

 緊張し、手の平が汗ばむ。ごくりと唾を飲みこんで、唇を震わせながら男を見下ろす。


 男の眼球がぎょろりと動いて、私の姿を捉えた。瞳孔がぎゅっと縮んで、眼の端がぶるぶると震えている。

 怒りか、恐怖か。私には男の抱く感情を理解できない。復讐者に命を狙われ、チェックメイトを宣言された者の感情など理解できるはずがない。


 死に際の人間というのは、こんなにも感情的な眼をすることが出来るのかと場違いな感心を抱いた。


 私は、どうすべきだ。結果は変わらないのだから、このままやってしまうべきか。それとも、もうここでやめておくべきか。

 奇妙な視線の交錯が続き、気付けば男の顔の前でナイフの刃先が小刻みに震えていた。

 溢れ出す感情を御しきれず、半端な姿勢で動きが止まる。


 私は――。


「――良い表情だろ? どうだい、少しはボクの気持ちを分かってくれたかな?」


 唐突に思考に割り込むように放たれた少年の言葉で、私は気付く。

 気付いてしまった。

 この手の震えは、緊張でも恐怖でもない。


 ――高揚だ。


 それを自覚した途端、心拍と呼吸が平静を取り戻す。ナイフを握り直して、口の端がわずかに吊り上がった。

 男を見下ろしながら、言葉を探す。死に際に何を言ってやろうかと、心が躍る。


 考えて、悩んで、それでもこんな男にかける言葉など見つからない。慈悲も哀れみも持ち合わせているはずがなく、冥途の土産を渡すどころか、この男の持つもの全てを奪って奈落に蹴落としてやりたいほどなのだ。


 だから結局、単刀直入に私の今の気持ちだけを伝えてやることにした。


「――死ね」


 刃が、肉を貫く感触。それは思っていたよりもずっと軽かった。目の前の男の命のように。

 男は限界まで眼を見開いて、動かせなくなった手足を暴れさせるように筋肉が痙攣する。

 やがてというほどの間を空けることもなく、男の瞳は瞳孔を開かせたまま瞬きすることを止めてしまった。


 死んだ。


 拍子抜けするほどあっけなく。

 私から大切なものを奪っていった男は、死んでしまった。

 私の手で。


「‥‥‥‥ふは」


 思わず、バカみたいな笑い声が溢れ出す。

 可笑しかった。何がかは、よく分からないが。


「良いね。ふたりとも、最高だよ。楽しいのは分かるけど、あまり大きな声で笑うのはヤメテよね」


 少年に愉しげに釘を刺されて、我に返る。私たちがどうやってこの場に居られているのかは知る由もないが、少なくとも好き勝手に出来る状況ではないらしい。

 そんなことを考えられる程度には、私は冷静だった。


「ああ、すまなかった。だけど本当に、ありがとう」


 礼と共に手を差しだしかけて、それを引っこめる代わりにもう一度深く頭を下げる。

 とても、晴れやかな気分だった。


「気にしないでよ。ボクも貰うモノ貰ってるしね」


 少年は軽やかな動作でナイフを引き抜く。コツがあるのか、すでに血などほとんど通っていなかったのか、赤い液体はほとんど衣服を汚さない。


「で、オジサンはこれからどうするの? 奥さんのところへ行くの?」

「いいや。少なくとももうしばらくは、今まで通り生活をするよ。コイツの後を追うようになるのは御免だからね」

「なるほどね。じゃ、次の目標はジジイの墓を探してぶっ壊すことかな」

「はは、それはいい」


 そうだ、この後どうするかなんてどうでもいい。

 殺したいほど憎かった男が死んだ。

 無様に、情けなく、みっともなく、私の手で。


 それだけで今の私は、十分すぎるほど満足しているから。バレて捕まって死ぬことになるとしても、それはそれで別に構わない。


「じゃ、帰ろっか。あんま長居するワケにはいかないからね」

「ひとつだけ、聞かせてもらっていいかな」


 立ち去ろうとするのを呼び止め、少年が振り返る。

 その横顔には妙に艶があり、思わずおかしな気持ちが沸き起こりそうになるのを必死で抑えた。


「‥‥キミは、どうしてこんなことをしているんだ?」


 そんなことを聞いてみるが、残虐な行為を止めるつもりも改心させる気もあるはずもなく。

 それは単純な疑問だった。幼い子供のようにさえ見えるこの少年が、どうしてこれほどの歪みを抱えてしまったのかという。


 少年はしばらく振り返った姿勢のまま動きを止めて、やがて、くるりとこちらに向き直ると、ニィっと、いつものあの笑みを浮かべた。


 パズルのピースが全て裏返っていれば、絵柄は何だろうと自由に想像を働かせることが出来る。だが1ピースだけ表を向いていることで、想像に制限がかかり逆にイメージが掴めなくなってしまう。


 少年の口元を見ていて抱く感想は、そういうものだった。見えるがゆえに、その存在に靄がかかって全体像を捉えられなくなる。

 そんな私の困惑に構わず、少年はわざとらしい身振りでチッチッチと指を振った。


「どうしてって、理由なんてひとつしかないじゃないか」


 ちらりと、男のほうへと視線を向けてもう一度こちらへ向き直る。


「――楽しいからさ」


 少年の口から出てきた言葉は、単純で分かりやすく、理解の及ばないものだった。


「苦しんで泣き叫ぶ顔を見るのが大好きだからだよ。特にコレみたいなのはいいよね。いつも偉そうぶってふんぞり返ってるヤツが、ボクの足元でみっともなく怯えて震えてるのを見下ろすのって、最高じゃないか。手も足も出せなくて、意味も分からず謝り続けてるのを見るとゾクゾクするね。興奮して、笑いが止まらなくなっちゃうんだ」


 あの動画で見た、恍惚とした笑みを浮かべる少年を思い出す。

 顔を隠してはいても、ここにいるのは間違いなくあの画面の向こうにいた少年だった。


「昔ね、もうずっと昔。その楽しさをボクに教えてくれた人がいたんだ。分かりやすく、ボクの身体を使ってね。すごく楽しそうだったよ。最初はイライラしてるんだけど、どんどん楽しそうな顔に変わっていくんだ。最初はボクも嫌だったよ。でもね、いつのまにかそんな感情は、興味に変わってたんだ。なんでこの人は、こんなに楽しそうなんだろうって。だからその後、それからずっと後だけど、ボクにくだらないチョッカイかけてきたヤツに、同じことしてやったんだよ。そうしたら、分かっちゃったんだ。どうしてあの人があんなに楽しそうにしてたかをね。ま、だからって感謝なんてしてるはずもないけどさ。殺してやりたいくらいソイツのことが大嫌いだけど、残念ながらもう無理なんだよねえ。立場が変わって悔しがる姿、どれだけ情けないか見たかったんだけど。そんなワケでボクは趣味と実益を兼ねてこんなことをやってるわけさ。オジサンもボクの気持ちはよく分かってくれただろ?」


 ある意味、非常に納得できた。この少年がこれほどまでに歪んでいる理由に。


「それに、壊れてるのはボクだけで十分だよ」


 ふと少年の笑みが消え、どこか遠くを見つめて呟かれた言葉が何を意味するのかは分からない。それでも、こんな歪な少年にも、何か大切なものがあるのだろうということだけは察することが出来た。

 それを締めとして、少年が再び背を向けて歩き出す。


 ――彼が振り返った瞬間、襟の隙間からおよそ少年には似つかわしくない、長い髪が見えたような気がした。


「キミは――!」

「無駄口はお終い。早く帰らなきゃ」


 その背を追って、私もその場を後にする。

 ここで別れてしまえば、恐らく私はもうこの子と会うことはないだろう。

 わずかな執着と好奇心、そして冷めやらぬ興奮が目の前の存在を引き留めようと手を伸ばす。


 ――けれど、その手はすぐに力を失ってぱたりと落ちた。


 多分、私はもう何もすべきではない。このまま帰って、好きなように生きて、死にたい時に死ぬ。

 大切なものを失って、敵討ちという時代錯誤な目的を果たし、ここに残った私はただの抜け殻だ。

 生きる目的も、身を突き動かす激情もなく、同じくらい、死を望むほどの絶望も持ち合わせていない。

 あるのは愛しく懐かしい過去の記憶と、遠い空の向こうへのわずかばかりの憧憬。


 病院の廊下を静かに歩きながら、窓から見える夜空を見上げる。

 これだけ星があると、ここからではどれが妻と娘なのかは判別するのが難しい。

 だからいつか、もっと近くで、ふたりに寄り添える日が来ることを夢見るのだ。


 いつになれば行けるかは分からないけれど、今からその時を待ち遠しく思いながら。


 ×××


 翌日、男が殺されたことは当然のようにニュースになった。

 ニュースによると、犯人はあの少年だった。ご丁寧に今回も動画を残していたようだ。私が行くまでの間、なかなか愉快なことをしていたらしい。


 前回と同じようにあちこちにアップロードされたその動画をPCに取り込んだ私は、前回の動画と合わせて今夜もそれを酒の肴にして愉しんでいる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ