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1.

 

 動画の再生が終わると、ベッドに寝転がってPCを見るわたしを、いつの間にやら隣にいた彼が覗き込んでいることに気が付いた。

 どうやら、しばらくわたしのことを見ていたらしい。なんともいえない気持ちになりながら苦笑いを浮かべると、彼も同様になんともいえない表情で小さく息を吐いた。


「また見てたの」

「まあ、ね。なんだか、つい」


 先日ネットで公開され、様々な意味で話題を呼んだこの動画。投稿され、拡散され、その度に削除されるものの、それ以上の勢いで再投稿が繰り返される。今でも探せばどこかで見つけることは出来るだろう。けれどわたしは最初に見た時点でそれをダウンロードしてPCに取り込んでいたため、好きな時に好きなだけ見ることが出来た。


 良い趣味じゃないことは分かっている。というより、こうして繰り返し見ていることを知られれば、多くの人がわたしに怪訝な視線を向けてくるであろうことは想像に難くない。一般的な倫理というものから大きく外れていることくらい、当然自覚はしている。


 それでも、わたしはこの動画を見ることをやめられなかった。


 なぜ、と問われれば上手く答えられないのだが、ひと言でいうならば〝惹かれる〟からだ。

 淡々と惨状を作り出す様に、血に染まりながら浮かべる笑顔に、感情を読み取りづらい口調に、その行為とあまりに不釣り合いな少年のようにあどけない声に。

 動画の中の彼を構成する全てに、言葉に出来ない引力を感じるのだ。


 動画内で彼が言っていたように、人を殺しておいて罪を逃れようとした男が無残になぶられる様子も、清々しないと言えば嘘になる。

 やりすぎと言われるのも理解できるが、誰かを殺して平然としている人間なのだ。何か行動を起こす気はなかったが、犯人に対して不愉快な感情は抱いていたし、まさに自業自得。悲惨な復讐劇などとメディアは騒いでいるが、悲惨なのは元の事故だ。相応と言えば相応の天誅と言える。

 ただ、ここにいる彼はわたしほどこの動画の存在を受け入れられていないらしい。


「あんまり見ない方がいいと思う?」

「そりゃ、そうだろ‥‥」


 わたしの少し意地悪な問いに、彼は少し言いづらそうに否定の意を肯定する。

 男性にしては低めの身長は、わたしよりもわずかに高い程度。筋肉はそれなりについているけれど、全体像としては細めの印象で力強さはあまり感じさせない。瞳はやや吊り気味ではあるが、ぱっちりと開いた眼は鋭さよりも可愛らしさの方が勝っていた。


 わたしよりひとつ年下の彼は、年齢以上に幼く見える。けれどそれは彼にとってコンプレックスであるらしく、あまりそれを言うとすぐに不機嫌になってしまう。


「はいはい、お姉ちゃんのこと心配してくれてるんだね。ありがとね」

「ああもう、やめろって」


 よしよしと頭を撫でるわたしの手を、彼は乱暴に振り払った。


 分かってはいるけど、やめられないんだよね。


 そういう彼の嫌がる素振りですら、わたしにとっては愛おしい。勘弁してくれと彼はいうけれど、本人も自覚のない間に、そういうやり取りに彼自身慣れてきていたりもする。

 なにより、わたしは彼のそういう、弟っぽさとでも言うべき部分が好きなのだから、やめろと言われてやめられるものでもない。

 不機嫌な彼を眺めてニコニコしているわたしを見て、彼は大きなため息をひとつ。そこに本当の怒りが混じってはいないことくらい、わたしには分かっている。


 そう、彼はなんだかんだわたしのことが大好きなのである。困っちまいますな。

 そして、わたしも彼のことが大好きなのである。参っちまいますな。


「うむうむ、キミは幸せ者ですなー」

「幸せなのはお前の頭の中だよ」


 仕返しのように、わしゃわしゃと頭を乱暴に撫でられる。こういうのも、嫌いではない。


「ぬへへー、もっとナデナデしてもよいのじゃよー」

「うわ、情緒不安定かよ」


 ぐいぐいと頭を押し付けるとなぜか嫌そうな顔をされて逃げられてしまった。とんだワガママボーイである。


「彼氏に甘えるのはそんなにおかしいことかね」

「それはおかしくないけど、お前は間違いなくおかしい」

「どこが」

「頭」


 容赦ない。こんな子に育てた覚えはないのだが。

 そんなやり取りをしている隙に、彼の手がするりと伸びてPCの動画プレイヤーを閉じてしまった。穏やかな狂気に染まった少年の笑顔が消えて、代わりにPCの壁紙が表示される。


 以前彼と一緒に行った、名もない山の名もない川の写真だ。撮影後、わたしが全力で着衣水泳を敢行したところ、彼にスゴイ顔をされた。そして着替えがないことを告げると、かなり本気で怒られた。わたしはお姉さんとアホな子供を兼業しているので、仕方ないことである。

 そんな記憶に頬を緩ませるわたしとは裏腹に、彼の表情は硬い。


「‥‥こんなの見てるわたしは、変だと思う?」

「変じゃあ、ない‥‥」


 それでも彼は、わたしを否定しない。たとえその行為がどれだけ常識を逸脱していようと、彼は決してわたし自身を否定することはない。冗談めかしてバカにされるのはいつものことだけど。

 無条件に全てを受け入れられるというのは、存外に嬉しいものだ。彼になら、自分の全てを捧げても良いと思えてしまう程度には。


「‥‥あー、メシでも食い行く?」


 強引な話題転換に、わたしは抗うことなく従うことにした。


「お、いいねいいね。すぐ準備するね」


 女の支度には時間がかかる。と一般的には言われているようだが、わたしは一般的な女には当てはまらないらしい。ぱぱーっと着替えてぺぺーっと最低限の化粧を済ませると、椅子に腰かけて待つ彼の目の前に颯爽と飛び出した。


「さ、もたもたしてないで早く行くよ」

「はいはい」


 わたしの扱いに慣れてしまった彼は突っ込んでもくれない。適当な返事だけを寄越してとっとと出て行ってしまった。

 わたしたちが向かったのは、歩いて10分ほどの場所にある個人経営のあまり大きくないレストラン。わりと安くてわりと美味い、という程良さが気に入り、常連とは呼べない程度の頻度で食べに来ている場所だ。


 席に着いて見慣れたメニュー表を眺め、今日は何を食べたい気分なのか慎重に検討する。優柔不断ではないと思うけれど、なんでもパパッと決めてしまえるほどシンプルな生き方はしていないのだ。


 メニューから顔を上げると、わたしを見つめる彼と目が合った。相変わらず可愛い顔しやがって、と思っているに違いない。わたしには分かるんだ。

「‥‥早く決めろよ」とジト目で急かしてくるのは照れ隠しに違いない。わたしには以下略。

 彼の手元に視線を向けると、白身フライ定食を指でトントンと叩く。煮て良し焼いて良し、お魚好きな彼である。


「わたしコレ」


 わたしが指さしたメニューを見て、彼がなぜか眉間にシワを寄せる。なんだよ、ホルモン焼きそばの何が悪い。

 不思議そうな顔をするわたしに、彼は若干言いづらそうに視線を泳がせて、口の端をひん曲げた。


「‥‥あの動画見た後に、よくそれを食おうと思えるな」

「え、だって別に、内臓ぐちゃぐちゃのシーンとかあるわけでもないし」

「そりゃまあ、そうかもしれんけど‥‥」


 複雑な表情をする彼に構わず、小さく手を上げて店員を呼ぶ。店員がやってくると、彼は気を取り直してメニュー表を指差しながらわたしの代わりに注文をしてくれた。

 その様子を見ながら、わたしはふと考える。注文を繰り返して立ち去ろうとする店員を呼び止め、わたしは注文の訂正をすることにした。


「すいません、わたしの焼きそば、大盛りでお願いします」


 かしこまりました、と言って今度こそ店員が去ると、彼がスゴイ顔をしてわたし見ていた。


「‥‥‥‥なんで?」

「いや、キミに言われて冷静に考えてみたら、わたし思ったよりお腹空いてるかもしれないと思って」

「ええ‥‥」


 スゴく怪訝そうに眉間に皺を寄せていた。いつものことなので今更気にしない。

 本当に、動画を見て食欲を刺激されたわけではなかった。残念ながらわたしに食人衝動とかそういうものはない。動画は動画、食事は食事。わたしの中でそのふたつは完全に乖離していた。

 スプラッタ映画が好きでそーいうのを収集しているとか、そういうワケでもない。わたしが惹かれてしまったのは、あくまで「あの動画」だから。

 しばらくすると料理が運ばれてきて、わたしたちは食事を開始した。


「そんなにあの動画嫌いなの?」

「いや、嫌いっていうかさ‥‥」


 言葉を濁す彼。まあ、大好きって言われてもそれはそれで反応に困るが。

 彼はわたしの顔を見て眉間に皺を寄せて、お魚にかじりついた。


「‥‥でも、あんまり見て欲しくはない」

「ま、そりゃそーだー」


 軽く答えながらホルモンをもきゅもきゅしていると、変な顔をされた。


「なんか、妙にあれのこと気にするよね」

「そりゃ、そうだろ‥‥」

「そりゃ、そうだな」


 確かに、その通りかもしれない。あんなものを毎日見ているヤツが目の前にいたら、頭の心配をする。当たり前だ。

 浮かない表情の彼とは対照的に、わたしは呑気な表情で焼きそばをもちゃもちゃ食うのであった。


 ×××


 ご飯を食べて家に帰って、ごろごろしていればあっという間に夜が来る。時の流れは矢の如し。

 彼とは同棲しているわけではないので、そろそろ帰るか今日は泊まるかなんて話になって、そうすればちょっと甘い空気になったりすることもありまして。


 ベッドの上にふたりで乗っかって、口と手を用いてのやり取りを交わして気持ちが高まってゆく。

 彼の手によって服を脱がされて――彼の手が、そこで一度止まった。


「‥‥気になる?」

「‥‥気にならない、ことはない」


 彼は下着だけになったわたしの身体を見ている。


 わたしの身体の――消えない傷を。


 肩とか、腕とか、背中とか、お腹とか。要は顔とか手の平、服で隠れない部分以外の全てに、わたしは癒えない傷を負っている。

 もう、十年以上は昔の傷。事故だとか、そういうものではない。明確な意思をもって、人為的につけられた傷だ。


「やっぱり、汚いかなあ」

「そんなことない。傷なんか関係ない。オレはお前の身体、綺麗だと思う」


 自分の腕を見下ろしていると、不意に、そんなことを言って抱きしめられる。

 痛んでもいない傷の痛みが、少しだけ和らいだ。


 同じようにわたしも彼の背に腕を回して、よしよしと頭を撫でる。少し嫌そうに身じろぎされるが、結局何も言わずにそれを受け入れていた。


 彼はわたしが弟扱いするのを嫌がるが、わたしは彼の弟っぽいところが好きで、弟っぽいから彼のことを好きになって、彼はそのことを知っているから拒絶しないことをわたしは知っている。


 支え合って生きられたらいいけれど、わたしは彼に支えられてばっかりだ。わたしは多分、彼がいないと勝手に倒れて自壊してしまうんだろうなと自覚しながら、彼を甘やかすふりをしながら彼に依りかかっている。


 どうしてそんなわたしが、弟っぽい彼に惹かれたかというと、わたしには弟がいたからだ。

 いた。今はいない。

 もし弟が今もいれば、多分わたしと同じ傷を負っていたことだろう。


 ――なぜなら、この傷をつけたのはわたしの父親だから。


 いわゆる、虐待ってヤツだ。それの、激しめのヤツ。

 わたしと弟は父親からの暴力を受け続け。


 やがて弟は死んだ。


 それからしばらくして、父親はいなくなった。どうなったのか、今どうしているかは、よく知らない。

 その後わたしはしばらくの間、男の人と大人が怖くて近づくことが出来なかった。


 今でこそかなりマシになっているが、苦手意識はやはり拭いきれない。

 だから、弟っぽい彼には近づくことが出来たし、話すのも平気だった。今のコレを含めて彼とは色んなやり取りをしているけど、わたしの苦手意識を越えて安心できる性質を持っている、彼だから出来ることなのだ。


 彼がわたしの頭をよしよしと撫でると、胸の前で自分の髪がさらさらと揺れた。

 髪を伸ばしてるのも多分、少しでも肌が見えないようにしたいから。


 気にしてないつもりでも、わたしは無意識に身体のことを気にしてる。

 彼も、わたしの身体のことを気にしてる。だけどそれに嫌悪が混じっていないから、安心する。こうやって、身体を見られても平気でいられる。


 そう、わたしは彼が好きなのだ。


 だから昔のことはともかく、今のわたしは幸せなんだと思う。

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